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初恋バレンタイン

 大事な日の前日は眠れないものだ。いつもの私もそう。

 でも、今日の私は別に大事な日など控えてなどいない。

 ただの寝坊。高校初の雨の日に、だ。

 遅刻ギリギリの時間に家を駆け出し、まさに間一髪で目的の特急に間に合った。

 特急はゆっくりと発車し、笑っている両足でなんとかバランスをとる。

 特急が一定の速度になっても、まだ心臓は波打っていた。私は、それを鎮めてから席を探す。

 制服が雨で少し濡れているのを感じながら、目標となる席についた。

 そこでたまたま同じ学校の男子の制服を見かけ、小さく会釈して向かいの席に腰掛ける。

 この特急で男子と出くわしたのは初めてだなあ、などと思いつつ、自分の雨水の滴る傘を巻いた。

 そして傘を掛けようとしたが、いい場所が見当たらない。

 少しばかりキョロキョロしていると、前から声が飛んできた。

「こう掛けり」

 バリトンの声の主は、彼自身の傘に手を掛け、示した。

 私は一度固まり、やがてカタカタとロボットの音が鳴りそうな動きで傘を掛けた。

 それだけだ。

 それだけで私は――私の心臓は時計の秒針の数十倍の速さで爆走した。



「優梨~、英語のプリント見せて~」

 私の後ろの席で、井上綾はぐったりと腕を垂らして寝る数秒前の体勢で、そう宣った。

「あれくらい、前日までにやっときなよ、綾」

「うるさぁい。あたしは運動部で疲れてるんだよぉ」

 そう言いながら暴れる真似をするときだけは普通に元気そうだ。

「私だって、劇部だよ。公演も来週だし、これでも大変なのよ」

「ふぅん。まあ、部活サボってでも、あたしだけでも見に行ってやるから、安心しろ」

 私は綾の言葉に苦笑しつつ、机の中から自分のプリントを差し出した。

 綾は短く「あんがと」と言った後は写しにかかる。

 私も数学を取り出す。当てられそうな所を一通りチェックだ。

 そこへ不意に、

「そいや、委員長とはどうなったぁ?」

と綾が小さな声で聞いてきたが、

「なんのこと?」

とその言葉に思い浮かぶものがなく、聞き返す。

 すると綾はバッと顔を上げてこちらを見て、さらに声を潜めて言った。

「図書委員長」

 そこまで言われてようやく意味がわかり、同時に、全身の血は滝のごとき流れになった。

「な、な、なにも。前に話した……っきり」

 私の口さえ、早くもリタイアをかましている。

「それに、あの時話せただけで……」

「充分なんて言っちゃダメよ、優梨」

 綾は、ややドスの聞いた声で前のめりで話す。

「名前も学年さえ知らなかった関係が、やっと話せるようになったんでしょ。だいたい、それだって何ヵ月かかって、」

「は、半年」

 綾は大きなため息をつき、降参のポーズを取った。

「今時、こんな乙女、ほんっとどこ探してもいないでしょうね」

「べ、別に……乙女じゃなくて、必死なだけだもん」

「その発言だけで、すでに乙女よ。だいたい、図書委員で見つけて、毎日の昼休み、急に昼食畳むの早くなって、どうしたのかと思いきや、その人探しにだけって。今、全世界に問うたら、盤上一致で乙女判決が下るわ」

 私は有無も言えず黙りこむ。

 綾は言い終わると、作業に戻った。

 最後にボソッと、

「バレンタインデー、考えときなよ。乙女にはもってこいの”言いに行く”日なんだからね」

と言い残した。

 私の頭を1日中彼一色に染め上げるのに、充分な言葉だった。


 頭では分かっているのだ。

 バレンタインデーは、恋する乙女たちが一斉に――”告白”という言葉を使うのが恥ずかしくて、”言いに行く”という言葉を使うのだが――”言いに行く”ことができる絶好のチャンス。

 恋してても男子には向かない日だ。まあ、いっぱいもらえる人とかは別として。

 女子にだけ与えられた、云わば”言いに行く日”なのだ。――でも、私はやはり渋っている。

 別に料理音痴なわけではないし、作ってあげたいとは思う。

 だが、それを渡すことは”言いに行く”と同義。

 ”言って”、判決を待たねばならないのだ。

 それは、ようやく話せるようになったにも関わらず、未だに顔を見るだけで頭が1000℃を振り切る私には超超超難関だ。

 なんせ、昨日だって、いつものように彼より少しだけ早く図書館に行き、入り口のそばにある本棚で本を探す振りをしている間に、彼は来た。

 私はなんとか会釈し、彼も微笑みながら丁寧に返してくれた。

 それだけですでに昇天寸前だ。

 やがて、彼は司書の先生と少し話したあと、こちらへ来て、目当ての作家のところで立ち止まる。

 私との距離は一メートルもない。

(な、なにかを手にして見なければ!)

と思って取ったのは、少し前に読んだ恋愛もの。あらすじを見る振りをしながら彼の横顔を盗み見る。

 彼は一冊を手にし、まずはあらすじ、次に中頃を数ページ目を通す。それが彼のためし読みだ。

 私も始め数ページを読む振りをするが、意識しすぎて、一文字たりとも頭に入らない。

 そのうち彼は別の棚へ行く。私はほっと息を吐くと同時に、胸の動悸を必死に諫める。

 そう、未だに近くに来られただけで固まってしまう。

(そんな私が”言いに行く”なんて、”言いに行く”なんて、”言いに行く”なんてーーーー!)

 私は彼が出ていくまでたまにチラ見し、彼が見漁っていた作家の本からあらすじが気に入ったものを一冊借りた。

 思えば、小説に本格的にハマったのも、彼のお陰だと言えよう。

 図書委員と知って数ヶ月は適当に本を借り、読みもしないで二日後には返す。それで図書館に来る口実を作っていた。

 やがて話すようになって、ある日、彼から一冊の本を差し出された。見覚えのないため、映画化とかがされてない、ややマイナーな作品だ。

〈面白いから読んでみて〉

 彼から言われたならしょうがない。

 読書歴は小学校以来だったが、その結構分厚いそれを冬休みの半分ほどを消費して読み終えた。

 結果は大当たり。とてつもなく面白く、学校が始まると、私はその作家の本を借り漁った。

 数日後、彼は図書館に推参し、私は何百回と頭に描いた台詞を機械的に発した。

 彼の反応もシミュレーションと合い、なんとかひとつの会話をなした。

 今のところ、後にも先にも、あれだけ長く喋ったのはあの時くらいだ。

 とにかく、それでハマったのだ。

 そして、その図書館での私のプチ葛藤はいつものことの回想に回帰し、頬を灼熱に変える。


「まあ、必死に近づいて、なんとか話しかけたのは、まあ、乙女なことを考慮して賞賛するわ」

「う、うん」

 これで話せるようになったきっかけが、私が話しかけられたからとは言えない。

「で、昨日の講座はなんかあった?」

 飲んでいたお茶がむせた。

「え、どういうこと!?」

「あたし、あいつが学室に行くの、忘れ物取りに行ったときに見たもの」

 私はどう言おうものか頭をフル回転させた。

 そう、昨日は一人一講座必須の学習講座があった。

 私はテキトーに選んだ。

 講座は講義室で行われた。

 あそこは大学のように階段状の四人席の長机になっていたので、“大学室”か“学室”と呼ばれる。

 そこで私は前三列目、一番右に着席する。

 前の列の隣の席が三つ次のクラスの男子だったので、ここの隣もそう目星をつける。

 頭のなかで該当クラスの仲のいい男子を並べた。

(せめて彼らだと嬉しいけど)

などと考えてるうちに、講座三十分前。

 私は読みかけの本を取り出した。これは自分で発掘した作家さんだ。

 そこへ足音が近づいてきた。

 隣の人かなあ、と机の左側を見る。

 足音の主は、予想だにしなかった――彼だった。

(も、もしかして前の列!)

と思ったが、違った。

 彼の歩みは私のいる列で一時停止して、こちらを見た。

〈あぁ〉

と向かって空いていた右手を軽く上げ、来たのは私の列で、だ。

 私は瞬時に石像と化している中も彼は私との距離を詰める。

 二席分、一席分……腰を下ろしたのは私の隣の席だった。

 私の心臓は過去最速の鼓舞を為し、顔が沸騰しているかを気にする余裕すら微塵も残っていなかった。

 座られて三つ数えたくらいでなんとか首を曲げ、前を向いた。

 そこからの意識は完全に彼にベクトルを急変させた。

 彼は座ると、バックを開けて英語の教材を取り出す。

 ノートの字は、他の男子とは比べ物にならない達筆さで、構成もしっかりしている。そこに、今日の宿題だろうか、教科書を見て、訳を書き始めた。

 私の紙をめくる音は一切せず、彼のペンを走らせる音だけが鼓膜を震わせた。 やがてプリントが配られ、講座は始まった。

 物理系の話だった気がするが、一欠片も理解できないまま、ただ聞こえてくる言葉をがむしゃらにプリントに書き込んでいた。

 あとで彼の横顔を一度も見れてなかったことに少しだけ後悔した。

 そうこうしていくうちに、質問タイムに入り、生真面目な人たちがポツリポツリと質問していく。

 私は小休憩を取って、左に意識を移す。

 彼は、右手で頬を付き、熱心に聞き入っていた――と思っていた。

 が、彼の肩は緩やかなリズムを刻んで上下していた。どうやら居眠りをしているようだった。

 そこでまた私の小さなオツムは激走した。

(起こさないであげたいけど、先生に見つかったら可哀想だし、でもでも、そもそも起こすとして、どうやって?肩?腕?いや、まさかの手?ってか触れるの、私!?触っていいのか?触って嫌がられない?――あ、寝顔も見たい)

 結局私の起こし方は、――左手の人差し指で彼の近くの机をこずくだけだった。

「だから優梨は進展しないのよ。そこは肩か腕に行きなさいよ!ボディタッチよ!ボディタッチ!」

 目の前で綾は机をバンバン叩きながら言った。

 今は昼食中である。

 私と綾はいつも一緒に食べているので、今回の顛末を話している体である。

「ムチャ言わないでよ」

と私は慌てる。

 綾は深い深いため息をつく。

「まあ、純粋培養高1乙女の初恋漬けじゃ無理よね」

「なんか表現の酷さが加速してない?」

「いいじゃない。蜂蜜漬けみたいで」

「……なに、その理屈」

「で、そのあとは?」

「へ?」

「起こしたあとよ。どんな化学反応が?!」

「私は薬品か!?」

「まあ、話しなさいよぉ」

 その後は、彼はすぐに目を覚ましたようで、こちら向き、明らかに起きた直後の瞼を必死にあげて微笑みながら私にだけ聞こえる小声で言った。

〈ありがと〉

と。

 そのあとの私は――察しが付くだろうが――メデューサに睨まれたかのように硬直していた。

 講習は従順に続き、そして終わった。

 私は、彼が隣にいるということだけで1時間の講習は、12時間くらいに感じた。

 終わってねじまき仕掛けで立ち上がると同時に彼は、よく寝た、とでも言うように少し背伸びをした。

 背の高い彼はさらに伸びた。見上げる私は、彼越しに見る蛍光灯で目を瞬かせる。

〈起こしてくれてありがと〉

と再度笑いながら礼を言い、〈じゃあね〉と手を振って彼は退席した。

 私の心臓の鼓舞は、過去最速をぶっちぎった。

 今死んでもいい、と心から思った。

「ふぅん。まあ、普通ね」

「普通って、普通って……私、これでも心臓の音聞こえないか、ビクビクしてたんだから」

「そりゃ緊張しすぎだわ」

 綾は笑った。

 私はツンッとそっぽを向いて残りのご飯をかけこむ。

 彩はニンマリと口元を歪めて、言った。

「今日、チョコ選ぶの手伝ってあげようか」

 私はまた箸を止めた。そのまま、何も言わない。

 時が過ぎる。

「おぉぉぉい、起きてる~?優梨ちゃぁん?」

 綾が目の前で手を振って、ようやく意識が戻る。

 綾に顔を向けると、

「うわっ、顔真っ赤っか」

と驚かれた。

「わ、私…………じっ、じっ………………」

「じ?」

「…………自分で……作る」

 綾は手を自分の口に当て、「まあ」と言った。

「私、男子に挙げるの、初めてで、初めてくらい、ちゃんと、作りたい、なぁって」

 綾は微笑んで「まあ頑張んな。なにがあって”言いに行く”気になったかは知らんが」と私の肩を叩いた。

 そしてご飯を頬張り、最後にこう付け加えた。

「材料探し、今日手伝ったげる」


 というわけで、私は今、チョコの店にいる。

「何チョコがいい?」

「えっと、これでよくない?」

と私が手に取ったのは明治のチョコレート。

「っていうか、トッピングとかどうするの?」

「……石畳の生チョコにする」

「優梨、渡しに行くとき、緊張しすぎんなよ。って、無理か」

 どうやら今私は顔の赤色度合が最高潮のようだ。

 綾は、私に構わず、バレンタインデーフェアの展示の周りを見回る。

「えっと、生チョコのは、あとココアと……」

などと呟きながら歩き回る。

 私はよさそうなココアと生クリーム、蜂蜜を買い物かごに入れる。

「これでまず生チョコの材料は完了っと。手紙は入れる?」

「うん。でも、これは自分で買う」

 綾は目を細めて、分かった、と言った。

「んじゃ、家でやろっか」

と、いつの間にやら綾は綾で自分の材料を買い終えた。

 友チョコ用で、薄力粉やチョコチップなどを買っていた。


 私たちは、それぞれのチョコを作りあった。

 私のほうは、チョコを細かく刻んで、バットにオーブンシートを敷いておく。

 次に生クリーム、はちみつを鍋に入れ、中火にかけて木べらで混ぜる。沸騰したらすぐに火を止め、火からはずして細かく刻んだチョコレートを入れて静かに混ぜ、なめらかになるまで溶かす。

 オーブンシートを敷いたバットに作ったチョコを流し入れ、表面を平らにして冷蔵庫で1時間以上冷やし固める。

 バットからはずし、オーブンシートをはがして、温めた包丁で好みの大きさに切り分ける。 

 綾によると、包丁はお湯につけ温め、乾いたふきんで水けをしっかりとふきとることが大事なんだそうだ。

 ココアを広げたバットの中でチョコを転がし、全面にココアをまぶしつける。

 そうこうして、ようやくできあがる。

 初めてにしては、まずまずの仕上がりだ。

 自分のものもまあまあな出来だったが、綾が作ったチョコハートは絶品で、

「絶対誰か男子にやりなよ!」

と私は絶賛した。

 綾は「あたしにゃ、彼氏はいいのぉ」と苦笑した。

 私の予行練習はそれで済み、バレンタイン前日、しっかり作り終え、入念に冷やした。

 もちろん、呼び出しの紙は前日の放課後、下駄箱に入れるときでさえ心臓は激しく上下していたが。


 次の日、バレンタインデー当日。

 私は、チョコをもらったかもらってないかでこそこそ話しあっている男子をよそに、席に着いた。

 後ろから、「はぁい、友チョコ」と手を伸ばしたのは、やはり綾だ。

「私、食べたやつ?」

「アホ言うな。あれから別の作品を作り上げたわ。味は保証するわ」

「ありがとう」

 私は綾の高級フランス料理のごとく美味なチョコを口に放った。一口で食べるにはもったいなかったなぁ、と後から思った。

「ところで、そっちはいいのできた?」

 綾は小声で問う。

 私はコクリッと頭を下げる。

 綾は「頑張れたみたいね」とニヤニヤする。そして真顔になり、

「まだ決戦が残ってるわ」

と綾なりに励まし、また宿題の続きを始めた。今日は途中まで自分でやってるだけ、マシかもしれない。

 6限分の授業はものの1分にしか感じず、図書館に行くのは放課後と決め込んでいたので、昼休みには行かなかった。

 もちろん、授業中に様々な妄想を繰り広げた。

 渡す時に、……”言った”後、〈目を瞑って〉と言われる。指示通りにすると、2,3秒後に唇に生暖かく柔らかい何かが触れる。私は目を見張り、言われる。〈これが、答え。――よろしく〉などとやけに背伸びをした妄想だ。

 頭にシミュレーションする間も顔は火照り、昼食中にとうとう綾から〈あんた、3時間目になんか思い出してたでしょ〉と言われる始末だ。

 そして、放課後。

 私は図書館へ向かった。

 綾の、「さぁ、最後、頑張んな」という激励を背に受けて。

 私は今から、”告白”に行く。そして言うんだ。



 ありったけの、「好きです」を。

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