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OK,lets be fallen.

 おい、女の子に必要なものを知らないか。存じ上げません、男も女も等しく乖離しておりますから。使えないメイドだなぁ、お前だって昔は女の子だったろうに。ではスプーンに一杯砂糖と毒薬を盛って飲ませてあげるのはいかがでしょうか、さぞうつくしいでしょうそれが爆弾なら。分かった分かったお前にはもう聞かない、だからお前はいつもどおりに掃除をしてくれ。もうなにも聞かない。かしこまりました、喜んで。



 埃っぽい街中を歩きながら思うことにはこれがやっぱり冗談なのか頓知なのかということで、その話はもうとうに片付けたはずだと自分に言い聞かせてもふとした瞬間に首をもたげてくる、言うなればうつつに亀裂がはいっているようなものなのだ。即ち疑心、即ち疎外。即ち自己の喪失。からからと晴れわたった空はあおあおと腫れている……「南区の暴力的自警団花村よりから平和へのお願いです!」

 私たちは世にも不思議な矛盾の塊となって賑わう人ごみのなかをのんびりまったりと歩いた。両岸には剥き出しになった威圧的なコンクリートの建物が並び立ち、その下にはテントを張っただけの店とその下の色鮮やかな商品たちがりんりんと立ち並び、その間を舗装されない土の道がまっつぐに貫き通していてどこまでも終わらない。いや、このひとつの愛すら受け入れられるほど大きくはない街に終わらないことなど存在しない。終わらないのは既に終わってしまった事柄ばかりだ。

「あ、こらそっちに行くな。その奥は危ない。」

 だからここで始まることはきっとろくなことではなくて、現に自分の唯一もてた命は既にきれいさっぱり打ちのめされているというのにうっかり貧民の巣窟を覗き込んでいる彼女(と呼びうるかも分からないけれど)の襟首を引っ張っているのははたまたなんの冗談か。少女の革靴がざりりと地面とこすれて茶色っぽい煙が少し盛り上がる。なんの冗談か、なんの冗談か。こちらをくるりと向いた彼女のひとみは黒い綺石そのままの残酷さを帯びていてどうやら好奇心が妨げられたことが不満らしいが、それにたじろぐことなく見つめ返してそれからしばらくじっとしていれば、根負けしたのか大人しく路地に背を向けてそのまますたすたと贄島の足にしがみついてしまった。彼の、強張った左手がその小さな頭を撫でようか撫でるまいか迷っているらしく宙をさまよい、そうこうしている間にまた徒夢は駆け出している。後ろを振り返ることもなく、前を見ることもなく、重い銃器だけを背負って、そのくせ目のどこかに幼さを残したまま……道行く人々が目を見張る。

「だから待てと言ってるだろう!」

 虚無の巣くった目を見張る。

 この街に無邪気なものなど存在しない。あるとしたらそれはとっくの昔に螺子を歪めてしまった狂人たちだけで彼らは飴を舐めながら雨に濡れているのが常だ。だから彼女が街のうえを翻るさまは終焉を告げる喇叭以外のなにものにもなり得なくて、だから自分は彼女を街に連れてくるのは反対したのだけれども二人はぺったりとくっついたまま離すべき皹さえなかった。けれどいざ街に出てみれば徒夢はあっさりと彼の膝元から巣立ってしまって、見放された贄島はといえばフードをかぶって、顔という人間性を失ったままぼんやりと突っ立っているだけ。だからヨハネスはため息を吐きながら幼女を追いかける。いつから私が子守になったんだ! ……街のうえでは真っ青な空がかかかと笑っている、それが土埃踊る街をゆるゆるとおかしている。

「南区の超暴力的自警団団長、花村より皆々様に平和と慈善に向けての真摯極まりないお願いがあります! この晴れた日に地上の全反人類の繁栄を願う我々は、この街のかなしみが取り払われることを切に祈り今日という日もまた皆さまが威勢良く種々の虚無へと頭から突っ込んでいくことを願います! 私たちは互いに銃と銃とを結ぶことでのみ睦みあうことができるでしょう、私たちが互いに愛を語らえるのは殺戮においてのみでしょう! どうぞ隣人の救済よりも抉るような自害を、かわいた喉で歌うのはパララタタタの銃声であることを私共は頑なに信じております! ところで、そんなことはさておきまずは皆さん握手をしましょう……」……

「待て!」

 ようやく追いついた先でまた幼女は路地を覗きこんでいて、あどけないまなざしの奥のほうでじっとうずくまっている底知れない暗さが路地裏にぽつりぽつりと息を潜めているホームレスらに注がれているのでどうしてやればよいのか分からなくなる。死人の街の貧民といったらそれはもう悲惨なもので、彼らの貪欲さときたら墓に埋もれた骨そのものだ。皮膚病と痩せこけた眼球と哀れっぽい骨とがからからと泣く。宝箱を開けるような無邪気さで差し込まれた徒夢の目にはやさしさのかけらもなくて、あるとしたらそれはナイフのような残酷なもので、ヨハネスはそのいろにぎょっとし、ホームレスらはただ気味悪げな視線だけを投げかけてあとは爛れた皮のしたに閉じこもったまま死を待ちぼうけている。……彼女はその患者たちをけして救わない。

「……だから、勝手に歩くなというに。この街は危ないんだ。」

 ヨハネスが口を尖らして言えば、徒夢はそのあいらしいとすらいえる顔に不服げな気色をつまらせて抗議した。ヨハネスはこの少女が来訪してから何度目ともしれぬ息をつく。

「例え、この街の連中が必死になってまもっている凶悪さがお前にとって歯牙にかける存在でなくとも、私はお前のことが心配なんだ。」

 その時起きたのは爆発だった。徒夢の目の奥、闇しかないはずの黒い光彩の底知れぬところに爛々としたものが現れて、ヨハネスはぎょっとする。その竦んだ巨躯からは埃の街が彼にこびりつかせた殺し屋の名すらもぼろぼろ剥ぎ落とされて、血肉だけが脈打つ彼を見つめながら彼女の目のなかの星は歌を歌った。凶星、暗鬱な灯、殺戮。ああそうか、これが贄島の言っていた爆弾なんだなぁ。とちらり閃くのは頭の片隅だけで、ヨハネスの心は凍りついたまま動かない。確かに自分はうんざりしていた……この状況、破壊、青空に。禍がこちらを見ている。星がちかちかとまたたいて目がとらえられる。

 次の瞬間、彼の足に幼女がぶつかる。何が起きた、何が。え? 驚いてヨハネスが下の方を見れば徒夢はか細い腕でしがみつき、膝のあたりに顔を埋めている。

「おい……。」

 顔を上げた彼女から凶悪のいろはふつりと消えさり、爆弾の失せたあとにの幼い顔には菫のような無垢さがそっととまっていた。小さく形の良い鼻、やや膨らんで日光を飲む白い頬。くるりと大きな目。触れればたやすく折れそうな腕はそれでもしっかり絡みついていて、彼女のどこにこんなしたたかさがあるのだろうとヨハネスはおののいた。幼女を引き剥がそうと手を伸ばしてもぱたりと中空で止まって情けなく落ちる。

「おい……。」

 沈黙は埃まみれになっていく。ヨハネスは空を仰いで呼吸する。私のどこに彼女に赦されるだけの価値があるというのだろう。

 幼女は来たときと同じように、去るときもぱっと離れた。取り残されたままのヨハネスにさっきとさして変わらぬ無表情だけを投げかけると、跳ねるようにしてまっしぐらに駆けていく。そのたびに白いリボンがふわふわ揺れて、黒い影がちかちか回って、真昼の下でそれはかなしいくらいにまぶしくて、最後には木偶の坊のように立っている贄島のもとに飛び込む。二人が身体を繋げば彼の曖昧模糊な人格と彼女の赤い命はぴたりと重なりあって溶けた。それをヨハネスはぼんやりと眺める。

「……。」

 砂埃だけが遮断するその向こうは、青空の向こうよりも遠いような気がした。

「……。」

 膝のあたりにわずかに残った体温を追う。こそばゆい、ともいたたまれない、ともものがなしい、ともわからない欠損だけがそこには口を開けていた。それを手でなぞることだけはしないで、びょうと抜けていく風の食らうがままにさせておく。

「分かった、行くよ。」

 物言わぬ四つの目だけの二人はどうやら催促しているらしくて、それでヨハネスはようやく歩き出した。

「行こう。」

 いったいどこに辿り着けるというのだろう。



 三人はそれから大通りを更に進み、かの暴力団長が差配する南区の外れのほうで右折し、右へ左へ細々曲がる裏道のさらに袋小路へと辿り着いた。廃墟のような、建築物のなり損ないばかりが並ぶなかで何階建てかの和式というにはあまりにも腫れぼったい建物は目を引いた。体裁こそは和風だが壁はコンクリートで固められ、二階の出窓には強化硝子が嵌まっている。「紅鋼屋」……年季の入ってすっかりくすんだ看板にはそう筆で書かれ、字に下敷きにされて木目は苦しげにのたうち回っている。

 がらがら、と建て付けの悪い引き戸を開けると、ヨハネスは慣れたように薄暗いそこへと足を進める。後を追う二人は一度だけ顔を見合わせ、それから敷居を一歩ずつ越えていった。

「やぁマト、相変わらずだな。」

「ああいらっしゃいヨハネスさん、貴方自身がお出ましになるなんて珍しいじゃあないですか。」

「生憎、私は店主に嫌われているようだからね。」

「はは、それも仕方ない。なにしろ物好きですから。」

「そうだな、物好きだな。お前も随分と鍛えられたんじゃないか。」

 広い土間には諸々の家具や黒光りする銃器の群れ、無情を刻んでいる古い振り子時計などが所狭しと陳列されていてそれらはじっとしながら奇怪な目で互いを見つめ合っていた。くらい埃と陰湿さと、南国の甘さとが混じりあったような薄闇をまっすぐに抜けた一番奥には番頭台のようなところがあって青黒い目の青年が座っている。

「貴方があの贄島様、それから徒夢様ですね。只今店主を呼びますのでしばしお待ちを。」

 まだ若いまなざしで、のそりと入ってきた二人を捉えると青年は唇に笑みを穿いて一礼した。その動きはゼンマイ人形のようにぱきぱきとしていて、二人が応ずる頃には彼は背を向けて階上へと続く階段に足をかけている。

「ここの奉公人のマトだ。若いが、しっかりしている。」

 感情があるのかないのか、似たような顔で彼が消えた後を眺めている二人にヨハネスが教える。それからまた店のなかを見て回ろうとする徒夢の襟首を捕まえて店の物は触るなよ、と言い含めてから手を離した。

「ここならあの子に必要なものも大抵揃うだろうよ。相変わらずの何でも屋だが昔より在庫も増えたし、何より店主に信用が置ける。お前の食料もここに手配してもらってたんだぞ。」

「そうか。」

 真っ先に銃器に駆け寄る徒夢を眺めながら、久々に外に出たためだろう、珍しくあたりに興味を向けているらしい贄島にヨハネスはなんとなしに話しかけていた。確か出かける前にも同じようなことを語ったはずだ、けれどもヨハネスはそれに何かを思いを馳せることもなく贄島もまた意に介さない。開けっ放しの出入り口から染みこむ光がまぶしい。

「ありがとう。」

「どう、いたしまして。」

 そうこうしているうちに階上からどたどたとマトが降りてきて、その後に艶やかな着物をまとった女らしき人影がするりと軽やかに土間に降りたった。朱と濃紺とが目にも鮮やかに丹頂の模様を織りなして、縫い止められたままかれらは無音で啼いている。その激しさ、女の長い黒髪がしっとりと落ちるとエメラルドグリーンの瞳がしなやかに笑む。

「あら、いらっしゃい贄島。かれこれ十年ぶりかしらねぇ、会いたかったわよ。」

 その声は存外に野太かった。どうも、と返す贄島にまるで甘えるように近づく動作は柔らかかったが、その首は女のものというには太くて、喉仏がくっきりと浮かび出ている。

「相変わらず私は無視か。」

 ぼやくヨハネスにはじっとりと、攻撃的な目線だけが向けられる。

「あらいたの肉達磨。相変わらずでかい図体ねぇ、ああむさいむさい。」

 ヨハネスは肩を竦めたが、その動きはなおざりでがっしりとした影には呆れというよりも諦めの色が滲む。

「お前だって男だろうが。むさくるしいのはどっちだか。」

「それ以上言ってご覧なさい、商品、売ってやらないわよ。」

「店の信頼がなくなるなぁ。第一それで困るのは贄島だ。」

「お生憎様、あたしはカワイイ客だけ取れればいいのよ。」

「……贄島は可愛いのか……?」

 訝しむヨハネスの足元に徒夢が寄ってくる。

「こんにちは、徒夢ちゃん。」

 驚いているのか、警戒しているのか。どうやら男らしい女が屈み込んで視線を合わせようとすると徒夢はすっと足の後ろに引っ込んで、頭を右半分だけ出してその人を伺った。おい、とまたヨハネスが声を上げて、女はおやまぁとちょっと困ったような表情になる。

「驚かしちゃってごめんねぇ、あたしは紅鋼玉。コウ姉さんとでも呼んでちょうだいな。貴方のことはそこの脳筋から聞いてるわ。」

 脳筋じゃないっての、というヨハネスの反論を無視して紅鋼玉は徒夢に手を差し出した。その肌は水そのものを織り込んだようにきめ細かかったけれども骨ばってもいて、徒夢が小さな、まだ丸みのある指をためらいがちに伸ばせばそれを容易く包み込んでしまえるくらいには大きい。

「貴方のこれからの生活はこのあたしがサポートするわ。なんせ貴方たちのところは女手が無いからね……安心をし、贄島が受け入れた子どもならあたしも支援を惜しまない……ただし、費用は三人の折半でね。」

 そう言って悪戯っぽく片目をつぶってみせる様子は様になっていて、彼女とも彼とも言えぬ紅鋼玉に色香にも近い魅力を与えているようだった。といえどもそれを幼い徒夢には理解することはなかったのだろう、彼女の黒檀の目はしんと紅鋼玉のエメラルドグリーンに注がれている。

「それにねぇ、あたし夢だったのよ。小さい女の子と一緒に暮らすの。」

「おい、変なこと考えてるんじゃないだろうな。」

「これだから肉達磨は……母親ってのは、永遠の憧れなのよ。女の。」

 だから男だろうに、と飛び出かけた言葉はどうにか押しとどめた。紅鋼玉の大きな手が離れてもなお徒夢のまなざしは彼女をくるみこんでいて、またそのなかで星がまたたいているのをヨハネスは発見する。彼女はいったい何を見ているのだろう。

「さぁて、早速運び出しにかかるわよ。大体の家具はあたしが見繕っておいたけど、ちゃんと自分たちで見てちょうだい。なにか気に入らないことがあったら遠慮なく言って。マト、運び屋を呼んでちょうだい。トラックが要るわ。ヨハネスはとりあえずそれ、運び出して。あんたなら一人でどうにかなるでしょ。」

 ぱんぱん、紅鋼玉が手を叩くと一気に空気が動き出す。マトがはきはきとした声でそれに応じ、明るい外へと飛び出す。紅鋼玉はといえば相変わらず取り残されていた贄島を引っ張ると土間に並んだ家具や、小道具やらについて一つ一つ解説をしはじめて、その後ろにぱたぱたと徒夢が続いて二人はまたそっくりな顔でそれを熱心に聞いているらしかった。物言わぬ物体の群の向こうで流れていく平穏があたたかいようにも歪なようにも思えて、なんだかなぁ、とヨハネスはぼやく。

「ほら何してるの、体使うしか脳無いんだから働きなさい。」

 はいはいやりますやります。紅鋼玉の険しい声に追い立てられるようにしてやたらと重い荷を表に出せば、ずっと遠いところから降ってきた青空に少し目眩がした。




「ふぅん、爆弾、ね……。」

「何だ、その顔は。」

「何でもないわよ。そうね、ただ、これはちょっと爆発するかもしれないわねぇ。この街も、この街の死人たちも。」

「何の話だ。」

「分かってるくせに。貴方のそういうところ嫌いよぉ、ヨハネス。」

「さっぱり読めん。」

「皆死ぬってことよ。さて、かわいい女の子が来たことだし、あたしもお裁縫張り切っちゃうわよぉ。」

 その笑顔は心底嬉しそうだったのに、どこまでも澄みきっているのが何故だか無性に恐ろしかった。


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