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死神の愛を。  作者: 悠凪
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 凛子の中の命が流れてしまった。

 店主はその連絡を受けた後、店の中でぼんやりと立っていた。夕暮れが迫り、石畳が茜色に染まり始めた頃の連絡だった。大きくて長い暖簾の紫にも、茜色が差し、店の中にも浸食してくる。

 新しい命が宿ったと知ったときの、あの家族の喜びようを知っていただけに、なんとも言えない気分になる。

「私も楽しみにしていたのですよ…」

 ポツリと呟いた店主は、そっと目元を多い、その下で瞼を閉じた。明るい世界を見ないまま、再び常世に旅立った小さすぎる命にむかって、弔いの言葉を紡ぐ。

 これも、あの黒い者の仕業なのか。

 そう思ったとき、不意に風が巻き起こる。冷たくて陰湿なそれは、店主の長い髪を踊らせ、店の中の品々をざらりと撫でた。

「僕のせいじゃないですよ」

 纏う風に似つかわしくない穏やかな声に、店主は嫌悪感を滲ませた顔を声のほうに向けた。

 店の入り口で、黒衣の死神が立っている。相変わらず整った顔に薔薇の蔦の絡む大きな鎌。最近では見慣れすぎて、その綺麗な顔にも何も感じなくなってきた。

「私の思考を勝手に読まないでください」

 ふん、と店主はアンリを無下に扱う。アンリにとってはそれが嬉しいのか、満面の笑みで返してきた。それにさらに店主は嫌な顔をして、いつも自分が座る椅子に腰を下ろした。

「あれ、今日はお茶を出してはくれないのですか?」

 アンリが言いながら、店の中の品を見渡し、時々手にとっては眺める。古い者たちの宿る品は、位の高い「神」であるアンリに驚き、緊張していた。

「最近のお前は図々しいですね」

「だって僕は貴方のお茶が好きなんです。あ、勿論貴方のこともですよ。黄龍様」

 からかう口調に、大きな溜息をついて立ち上がった店主は、少々雑な手つきでお茶の準備を始める。それをニヤニヤして見るアンリは、そのまま二人がけの椅子に腰を下ろした。

「もう少し愛情をこめて入れていただけると、もっと美味しくなるように思いますが」

「この私がお前に愛情があると思いますか?あと、私はもうその名前で呼ばれる存在ではありません」

「酷いですね。これほどお慕いしているのに。貴方が黄龍様でないなら、なんとお呼びすればいいのですか?」

「今までのように主人で良いじゃありませんか。それと慕われるならお前のような者ではなくて、女性の方が嬉しいです」

 とんでもなく不機嫌な顔で、温かいお茶をアンリに出す店主。アンリが現れるようになってから、どうも機嫌が悪いと、店の品たちが囁き出す。それはしっかりと店主の耳にも届き、思い切りそれらを睨みつけた。

「機嫌など悪くはありません。余計なことを言うと焼き尽くしますよ」

 背筋の凍るような眼差しに、ぴたりと声が聞こえなくなって、酷く気まずい沈黙が流れた。アンリはその中で幸せそうに、悠長にお茶を飲んで満足気に息を吐く。それをも睨みながら、店主も椅子に座りなおしてアンリを見た。

 その座る動作からして、不機嫌さは手に取るように分かるのだと、古い品は思うのだった。

「本当に、お前の仕業ではないのですね?」

 真剣な顔で尋ねる店主に、アンリはにっこりと笑って頷いた。店主が小さく、安心したように息を吐くと、アンリが不意に、青紫の瞳に闇を湛えて、青白い顔を典雅に微笑ませた。

「ですが、ちょうど良かったと思っています。僕の手間が省けましたから」

 ニィッっと、顔色に似合わない血色の良い唇を笑みの形にして、命が流れたことを喜ぶアンリ。それを見た店主の顔が一気に怒気を含んだものに変わり、普段は優しげな茶色の瞳が赤く変化した。直後、突然店の中の一番大きな照明が、爆発した、と言う表現がぴったり来るほどの割れ方をした。

 天井から吊るされたその照明が、大きな音と共にガラス片を撒き散らす。アンリは両手で頭をかばうようにしながら、小さく驚いた声を上げた。明らかな、店主の感情の昂りが起こしたその現象は収まらない。

 テーブルの上に置いてあった繊細な天使の装飾が施されたランプも割れ、美味しいお茶の入っていた二つの湯のみも粉々に砕け散った。同時に、店主がいつも読む書物たちが炎を噴いて消滅する。さらには陳列棚や窓、店全体が悲鳴を上げるように軋み、綺麗に整理整頓された品々も震え上がって悲鳴じみた声をあげる中、紫の暖簾が風もないのにバタバタと狂ったように暴れた。

「落ち着いてくださいっ。お店壊れちゃいますよっ」

 アンリはさすがに慌てて、口の中で何かを呟いて真っ先に炎を消す。死神であるアンリは火を司る神でもあるため、そんなことは造作もないことだった。

「私を怒らせるのが、それほど楽しいのですか。お前の趣味は最悪ですね」

 無表情のまま、固い口調で店主はアンリを睨む。その声は地を這うように低く冷酷で、アンリの背中に嫌な汗が流れた。

 店主は、アンリの命を軽んじる発言に我慢できなかった。人間という儚くて弱い者の命は、特殊な、アンリや自分も含めての者たちには、軽すぎるものかもしれない。

 だが、弱くて儚いものだからこそ、大切なものを何か知っている。愛情や喜びを、その短い生の中で感じて一瞬の時間を生きるものたちは美しい。今でこそ、人の欲が深く濃いものになってしまったが、それでも優しい心で懸命に生きようとする者たちを、店主は知っている。

 長い間、この世界を見てきた店主だからこそ、人間の良い所も悪い所も全て見て、そして人間が好きなのだ。愛すべき種族に対しての店主の愛情は、深すぎるほどに深い。

「貴方がそこまで人間に肩入れする気持ちは分かりませんが、先ほどの発言は謝ります」

 久しぶりに店主が本気で怒ったのを見たアンリは、伏せ目がちにそう言って頭を下げた。いや。まだまだ本気ではないのだが、ここまで怒る事すら珍しい。

 ここでこれ以上暴れられては、本当にこの店が潰れてしまう。アンリはこの店を結構気に入っているので、それは避けたかった。

 店主は、乱れた髪の毛を整えながら大きな溜息をついた。赤い瞳が元の優しげなものに戻る。それから、アンリを見据えてまだ厳しい口調で話をする。

「お前は命を扱う者なのに、敬う気持ちが足りません。神聖な命を軽んじることだけは、私は許せませんので、今後私の前でそのような発言は慎みなさい」

「貴方は優しい方ですね。本当なら僕のようなものは簡単に殺してしまうこともできるのに」

 先ほどの怒り方なら、アンリに危害を加えてもおかしくなかった。実際にこの間は、簡単にアンリの体を斬ったのだから。

「私は実害が出ない限りは殺生はしません。私のようなおかしな力のある者はそうやって考えていないと、力に自分を取り込まれてしまいますからね」

「黒龍のようにですか?」

 遠い記憶の中に埋もれていた名前を、アンリはいともたやすく引き出す。店主はそれに小さく笑った。

「また懐かしい名前を出しますね。…そうですね、あの者は私の裏のような部分です」

「僕が貴方を好きな理由はそこですよ」

 店主を見ながら、アンリは穏やかな笑顔で言う。

「理由?」

「はい。貴方はとてつもなく力をお持ちだ。それを利用すれば何でも手に入るでしょう。そしてその力の闇も十分知っている。だから貴方の心は大きくて優しい…優しくて温かい貴方の心が大好きなのです」

「褒めても、先ほどのことは許しませんよ」

「分かっています。それに、あの子の事とこれは別のことですから」

 アンリは言って立ち上がり、店の中を見渡して溜息をついた。

「これ、どうするつもりですか?」

 散々なことになっている店内。店主はアンリを見上げて意地悪そうな目で笑った。

「私を怒らせたお詫びとして、片付けてくださいね」

 そして、呆れるほどのさわやかな笑みを浮かべた店主に、アンリが綺麗な目を丸くする。

「僕が?嘘でしょう!?僕は癒したり元に戻すのは苦手なんです。それは貴方もよくご存知でしょう?」

「さぁ。知りません。とにかく直していただかないと。なんでしたら雇って差し上げましょうか。アルバイトととして」

「冗談…これでも神ですよ。か・みっ!」

 眉を寄せて、アンリは店主に向かって噛み付く。店主は立ち上がり、その顔を笑みを含んでちらりと見た後、目を閉じて何かを呟いた。不思議な言葉に(いざな)われるように、壊れたものが元に戻っていく。

 あまりにも鮮やかなその様子に、アンリは何も言えないまま、目の前の端正な男とそれを交互に見るだけだった。


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