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閉じ込められた客④

 成瀬がトイレから戻ると、状況が少し変わっていた。

 微かに空気が張り詰めている。

 犯人はレジカウンタに座ってパンをかじっているだけだが、数人の表情に緊張が見られた。成瀬はなるべく静かに沙希の隣まで歩き、ゆっくりと腰を下ろした。

 犯人の様子を確認しながら、あまり唇を動かさないようにして小声で囁く。

「何があった?」

 沙希は横目で成瀬を見ると、明らかに不機嫌な顔で「別に。大した事じゃない」と答えた。沙希はピンクの髪をした女子高生の背中をさすって、「佐倉さん、大丈夫だから。大丈夫」と声をかけている。

 成瀬はそこでようやく、佐倉と呼ばれた子の頬に涙の通り道が出来ている事に気が付いた。状況が分からず、成瀬はもう一人の人質である痩せた眼鏡の男と目を合わせる。彼は首を小さく横に振った。小太りの店長もうなだれた姿勢で同様の反応を見せる。

 諦めて、成瀬は一度犯人の様子を窺った。無心でパンを貪る犯人はマスクを顎下にずらして顔だけをこちらに向けている。

 サングラスをしている為、視線は読めない。パンを食べつつ、もう片方の手にはしっかりとナイフが握られている。

 成瀬のいる位置から犯人までの距離は四メートルほど。急いで立ち上がって突進してみたらどうかと想像してみたが、どう考えても犯人がナイフを構える方が早そうだ。

 万が一に賭けて試してみるのも面白そうだが、先ほど沼津に言われた言葉を思い出して止めておいた。

 違う方法を考えながら視線だけを動かして店内を見ていると、痩せた眼鏡の男とまた目が合った。眼鏡の男は声を潜めて言う。

「お互い災難ですね」

 災難? と成瀬は一瞬思ったが、意味を理解して頷いてみせた。

 普通に考えれば、確かにこの状況は災難だ。

「これ、籠城事件になりますよね。まさか、自分が人質の側になるとは思いませんでしたよ。あ、申し遅れました。私、東郷と申します」

「え?」成瀬はきょとんと目を丸くして、それから曖昧に言葉を返す。「ああ、成瀬です」

「私達はどうなるんでしょう?」

「どうでしょうね。ただ、まあ、相手も普通の人ですから」

 成瀬がそう答えると、東郷は興味深そうな顔で聞き返す。

「コンビニ強盗をするような人が普通の人ですか?」

「さっき、犯人が店長に刃物を突き付けてましたけど、ナイフを少し離して構えていましたよね? 人を傷つける事に躊躇している。十分まともな人間ですよ」

 東郷は眼鏡を指でついと押し上げて、微かに唇を吊りあげた。

「なるほど。それは面白い意見ですね。でも、先ほどその前提は崩れましたよ」

 そう宣言して、東郷は成瀬にしか見えないように左手で佐倉を指さし、そして次に自分の喉元を指さした。

 成瀬は視線だけを動かして佐倉の喉元を凝視する。微かに血の跡がついていた。

そういう事か、と成瀬は視線を戻す。

「悪い方に進んでるみたいですね」

 成瀬はもう一度レジカウンタの犯人を窺った。犯人は既にサンドイッチを食べ終えて、おにぎりに手を出している。

 次に沙希を見ると、佐倉に付きっきりで話しかけ、落ち着かせているところだった。時折犯人の方を向いては、攻撃的な目付きで睨んでいる。

 完全に相手を敵として認識した目だ。今はまだ溜め込んでいるようだが、先は危ういかもしれない。

 沙希から視線を外し、成瀬は再び東郷に語りかける。

「それにしても、あの犯人やりたい放題ですね。大人しくしていれば警察が無事解決してくれると思いますけど」

 ふと、すぐ近くで呪詛のようにぶつぶつと何かを呟く声が聞こえた。声のした方を見ると、小太りの店長が恨みがましい目で犯人を見て小刻みに口を動かしていた。

 ひどくこもった声で聞き取りづらかったが、注意深く聞くと、店長は犯人が食べている商品名とその金額をひたすら繰り返しているのだと分かった。

 今まで静かだったので全く気にしてなかったが、明らかに平常心を失っている。最初に見た時に神経質そうだと判断した事を思い出した。

 沙希も危ないが、こっちも危ない。

「あの」

 一旦落ち着かせようと思い、成瀬は言葉をかけた。

 そんな矢先の出来事だった。

「お! お、お前! お前!」

 甲高い声を張り上げて小太りの店長が突然立ち上がった。

 店内にいる人間全員の視線が店長に集まる。一体全体何をするつもりなのか、と全員が同じ疑問を顔に浮かべていた。

 そんな中、小太りの店長は滝のような額の汗を袖でぬぐって言う。

「そ、その商品の! お代を頂けますかね! うちの店だって苦しいんですよ! お前なんかに恵んでる余裕はないんだ! 今月の売り上げ次第じゃ潰れるかもしれない瀬戸際なんだよ! ふざけやがって! こっちは汗水垂らして働いてんだ!」

 一瞬の沈黙。

 確かに汗は流しているが、と成瀬は思った。

 周囲の心配を余所に、小太りの店長は感情を爆発させる。

「どいつもこいつも! ちくしょう! 馬鹿にしやがって! 店員を下に見てる客だってそうだ! こっちは生きる為に必死にやってんだよ! くそ! 働いてるんだよ! 俺は! 払え! お前、その商品の代金払え!」

 涙ながらの演説には恐れ入るが、相手と場所と場合が悪過ぎる。

 成瀬がどう動くか迷っているうちに、小太りの店長は犯人に向かって突進し、そして成瀬の目の前で派手に倒れた。


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