コンビニに押し入った男③
水の記憶。
もがいて、ただひたすら苦しかった。
水泳の時間に受けた嫌がらせだ。
プールに入ると、俺の周りでは必ず何か不思議な事が起きた。
水泳の授業には自由時間があったが、俺は泳げない上に友人もいない。外にいても目立つだけだから適当にプールを歩いてたら、何故か突然足が浮かんで身体が水の中に沈んだ。
俺は驚きの余り呼吸も出来ず、しこたま水を飲み込んだ。
誰だかは知らないが俺の足を引っ張ったんだろうな。嫌がらせのつもりだろうが、泳げない人間が溺れる恐怖を、あいつらは全く理解していない。
俺はパニック状態だった。プールの水で洗い流されていたが、あの時の俺は本気で号泣していた。水を飲んで、叫ぶ事もままならなかったがな。
記憶を辿り終えて、俺は閉じていた目をそっと開いた。
柱に掛かっている時計を確認し、独り呟く。
「……二時間か」
苦々しい思い出を振りきるように、俺はレジカウンタから腰を上げた。
思い出に浸るのはもう十分だ。悩むのも止めた。
後は、どうやって殺すかだ。
座らせた客の前まで歩き、その場にしゃがみ込む。
金髪の女が低い声を出した。
「何する気?」
「お前は黙ってろ」
ナイフをちらつかせると、一番近くにいた高校生の少女が微かに後ずさりした。そんな姿を見て、俺は鼻で笑う。
「怖いか? 安心しろ。何もしやしない……後少しの間だけな」
最後の言葉で、少女の顔が引きつった。
ナイフを少女の頬に当てる。ひっ、と少女は声にならない声を上げた。
ナイフに少しだけ力を入れると、少女の呼吸は音が聞こえるほど大きくなり、その頬を一筋の汗が流れた。
怯え切った目だ。
昔の俺と同じ。
俺はナイフを引っ込めた。
状況の整理が出来ていない少女の横で、気の弱そうな店長がおずおずと手を上げた。
「あ、あの」震える声でそう言い、俺の様子をちらちらと窺いながら続ける。「目的はお金でしょう? 好きなだけ持っていって構いませんから、出て行って下さい」
「好きなだけって言うほどあるかよ。それに、まだ外には出られねえよ」
そう毒づいて、俺は店長の前に移動した。俺を避けるように、他の客が店長から少し距離を取る。そんな程度の距離では何も変わらないというのに。
俺は構わず、店長に顔を寄せて全員に聞こえるように言う。
「一つ、いい事を教えてやろうか?」
店長はどう反応していいのか分からず、先ほどと同様にちらちらと俺の様子を窺っている。小心者を体現したような男だった。
「目的は、金じゃない。初めから別のものだ」
店長は目を見開き、咄嗟に俺の顔を見た。
俺はそれ以上何も言わずに店長から離れた。
また、客が俺を避けて少し動く。逃げ惑う虫の群れを彷彿させて、思わず笑ってしまいそうになる光景だった。
俺は商品の陳列棚からサンドイッチを一つ掴み、全員を見渡せるレジカウンタの位置に戻った。乱暴にビニールを破ると、座らせた客を監視しながらサンドイッチを口に含む。
これからやる事を考えた、最後の腹ごしらえだった。
俺が飯を食っているだけでも、客や店長の目には怯えが浮かんでいた。
その目にまた昔の自分を思い出して、肺の辺りがすっと冷たくなる。
中学時代は楽しいとは呼べないどころか、ほとんど地獄に近かった。
ただ殴られ、侮辱されるだけの毎日に嫌気が刺していても、自殺する勇気はなかった。
高校に入ってもその時の記憶は消えず、他人に怯えて過ごした。
怯えはいつしか恨みに変わり、恨みはやがて殺意に変わった。
こんな事になった原因に復讐するまでは死にきれない。
主犯格だった奴らだけでも、必ず。
そして、ようやく標的が目の前にいるのだ。
俺の目的は一つ。
こいつらを殺す。