閉じ込められた客①
「……どうしてこうなった」
浅岸沙希はそう呟いて、思わず苦笑した。
大学二年になった春の矢先。よもやこんな事に巻き込まれようとは。
沙希はため息をついて、目の前の状況を整理する。
シャッターを締め切られたコンビニは外の光が遮断され、せっかくの桜も今はその姿を確認出来ない。まだ正午だと言うのに明かりは照明に頼り切りで、冷房で肌寒いくらいに冷やされた店内はしんと静まり返っていた。
レジの手前には男が立っている。右手にサバイバルナイフ、左手にはアイスピックを握った強盗だ。顔は隠れているが、比較的若いように見えた。
現在、男はコンビニの店長や店内の客を人質に取って籠城中だ。外は既に警察に取り囲まれていて、時折、スピーカーらしき物で外から何事か叫んでいるのが聞こえてきた。
客観的に見て、男はどう考えても既に詰んでいる。
「これからどうするんだろうね? あの人は」
沙希のすぐ隣で、成瀬が他人事のよう言う。成瀬が目にかかる程度の茶色い癖毛を払うと、右目の下の泣きぼくろが見えた。
成瀬はナイフを持った男を興味深そうに観察している。男の程度を探ろうとしている様に見えた。何処まで危害が及ぶ可能性があるのか。何処まで本気なのか。
成瀬に習って、沙希も男の様子を窺ってみた。
初めは男をただのコンビニ強盗だと思っていた。けれど、男は何故か既に警察に追われており、コンビニに入るや否やすぐにパトカーや警察が店の外を取り囲んだ。やけになった男は小太りの店長を人質にして籠城作戦に入り、そして今に至る。
やっぱりどう見ても、男は詰んでいるとしか思えなかった。
件の店長はだらだらと汗をかきながら犯人にナイフを突き付けられているところだ。
実際には首根っこを掴まれてナイフを目の前に構えられているので、ナイフが直接触れているわけではない。それでも店長はこの世の終わりを見るような目で刃先を見つめていた。
「くそっ! ついてねえ! なんだってんだ!」
泣き言のように犯人がそう叫んだ。それを聞いた沙希は「こっちが聞きたいわ」と小声で呟く。
それから、犯人は解説じみた泣き言を続けた。その話を聞くに、どうやらこのコンビニは本日二件目の強盗先だったらしい。
最初のコンビニを襲って逃亡しようとした際に車のエンジンがオーバーヒートし、少しでも遠くへと走り回っている間に警察に連絡が行き渡っていた。逃げる足を手に入れようと慌てて入ったこのコンビニで、あえなく取り囲まれたというわけだ。
男の独り言が情報源なので、何処まで本当なのかは分からない。
分からないが、本当ならば相当だ。
「あの格好で走ってれば、そりゃ怪しいよね」
成瀬の言葉に、沙希は完全に同意して頷いた。
「つーか、アホなんじゃ」
心底呆れると同時に、早く解放してくれないものかと思う。
「これ、私達関係ないだろ」
「関係ある人なんていないと思うけど」
成瀬がもっともな事を言う。この諍いが長引けば長引くほど、花見の予定が遠のいていく。そう思うと、沙希は気が滅入るようだった。
店内には同じく突発的に人質にされた客が二人いる。男が押し入ってきた時、最初のどさくさで何人かの客は外に逃げたのだが、運悪く店内に残ってしまった居残り組だ。
様子を窺ってみると、思い思いの顔をしているのが見える。
一人は先ほど成瀬が気にしていた高校生の女の子で、先ほどから犯人を見ては、苛立たしげに何度も爪を噛んでいた。
もう一人はビジネスマン風の痩せた男で、縁無しの眼鏡の奥から人の良さそうな顔が覗いている。歳のほどは三十前半であろうか。彼は取り立てて焦る様子も無く、現状を受け入れているようだった。
一応、名目上は人質だという事になる。いつ解放されるかは全く分からないが、時間だけは少しずつ進んでいく。
沙希は少しだけ考えを巡らせてみた。
妙案は思いつかないものの、案だけは一つ思いつく。
「……仕方ない。ダメ元だ」
そう呟いて、沙希は右手を上げて犯人に呼びかけた。
「何する気?」
小声で成瀬がそう聞いたが、それには答えず、沙希は黙って立ち上がる。
そして一切躊躇せずにこう言った。
「あの! 私だけでも解放してもらえませんか!」
その瞬間、何を言っているのか、と店内の空気が止まった。
それは犯人も同様で、沙希の言葉の意味を理解するまで少しのタイムラグを要した。
遅れて言葉を理解した犯人の男は舌打ちし、思い切り沙希を怒鳴り付ける。
「アホか! 黙ってろ!」
その提案は、やはり当然のように却下された。