その後の客
車の後部座席で頬杖をついて、成瀬は外の景色を眺めていた。
桜並木を通り過ぎ、今は住宅街を走っている。運転しているのは沼津で、片手でハンドルを操作する姿が妙に様になっていた。
助手席には沙希が座り、一人で車内を賑やかしている。
成瀬が知らぬ間に、沙希は佐倉と番号を交換していたらしい。先ほど、聞いてもいないのに電話帳を見せびらかされた。
別にどうでもいいんだけど、と成瀬は心底思った。
「しかし、予想外の事で時間食ったな」
前方を見たまま、沼津がそう言った。
「三時間だもんね。ったく、あいつ」
「僕は貴重な体験だったと思うけどね」
「いらんわ、こんな体験。お惣菜で言ったら白菜のおひたしじゃん」
「いや白菜のおひたしはいるだろ」
沼津がすぐさま反論する。
「え? いるかな? 沼津さん、変な物好きだね」
「変って、お前」
「じゃあ、浅岸は何が好きなの?」
特に興味もなさそうに成瀬が聞くと、浅岸は間を置かずに答えた。
「とろろ汁」
「へえ。変な物好きだね」
「うるせー。美味いんだ」
「ああ、それはそうと。浅岸、一つ聞いていい?」
「何を? いいかどうかの前に内容を言ってくれるかな」
「いや、ちょっと聞きたい事があってさ」
「だから、内容を先に言ってくれるかな」
「浅岸、犯人に向かって画鋲打ち付けてたけどさ。たぶんだけど、あれ、やるの初めてじゃないよね?」
成瀬が尋ねると、沙希が助手席から身を乗り出して後部座席に顔を向けた。目を細めて、じっと成瀬を睨む。
「なんで?」
「普通、あの場面であの発想は出てこない。人に向けて試した事がないとね」
「……試したって言うか。中学生の頃クラスにさ、私に嫌がらせばっかりしてくる男の子がいて、かっとなって一度。さすがに画鋲じゃなくて、その時はシャーペンのフタだったけど。額狙って……ま、えらい事になったよね」
「へえ。それはそれは」
成瀬がふとバックミラーを見ると、沼津と目があった。共通の感情を抱いたらしく、お互いに小さく一度頷いた。
「その後どうしたの?」
「菓子折り買って、家まで謝りに行って、その後公園で話す事になって、告白されて、ふった」
「ごめん。今途中から意味分かんない流れだったんだけど」
「や、私もその時は当たりどころが悪かったのかと本気で心配したけどさ。話聞いたら初めから好きだったらしくて、ああ、フタは関係ないのか良かったって。で、気持ちの裏返しで嫌がらせしてしまったけど許して欲しい。俺も今回の事を許すからとかなんとか、ごちゃごちゃ訳の分からない事を言い出したから、こいつはくそだと思って、ふった」
「それも今回と同じ台詞で?」
「なにそれ?」
「ありがとう。私は嫌いだけどね。ってやつ」
「あ、そうそう。それ」
「なるほど……容赦ないね」
「容赦ないな」
成瀬の言葉に沼津が被せた。浅岸はいぶかしげな顔をする。
「や、普通でしょ。たぶん」
その後は話が変わり、あたりさわりのない会話が続いた。
相変わらず、浅岸が車内を賑やかしている。
「それにしても良い天気だね」
そう呟いて、成瀬は再び窓の外に視線を移す。ちょうど高校の横を通り過ぎるところで、校庭の桜が優麗に咲き誇っているのが見えた。
桜の季節とはよく言ったもので、一斉に咲く桜を目にすると、感慨深い気持ちになる。それは景色としてなのか、それとも桜から昔を想起してなのか。
その光景に、たまには花見も悪くないかもなと、そんな事を思った。
通り過ぎたその景色を見えなくなるまで目で追ってから、成瀬は後部座席にもたれて目を閉じる。
目蓋の裏にはまだ、鮮やかな景色が焼き付いていた。