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解放された客ともう一人の男

「眩しっ! やばい! 日光が涙出るくらいありがたい!」

 コンビニの外に出るなり、沙希がそう叫んだ。成瀬も同じ事を思う。次いで佐倉がコンビニから出てきて同じように目を細めた。その肌は茶色く、一瞬で日焼けしたのかと思ったが、よく考えたら元からそんな色だった。

 数時間ぶりに浴びる太陽の光は新鮮で、やたらと清々しく感じる。そう言えばまだ正午だったなと今更ながらに思い出す。

 身体をほぐそうと成瀬はコンビニに隣接する駐車スペースに出て肩を回した。

 十台は車が止まれるようになっている駐車スペースだったが、警察の影響もあり、今は数えるほどしか車が止まっていない。駐車場を出た先には桜の木が植えられた並木道があり、そこに幾人かの野次馬が集まっていた。

 成瀬はざっと駐車場を見渡して、黒いセダンを探す。警察が来た事で車の配置が変わっていたが、道路側の駐車スペースにそれを見つけた。同時に、そのセダンに寄りかかるようにして煙草を吸っている沼津浩二の姿が確認出来た。

 相変わらず無駄な肉の無い引き締まった身体をしている。身長は高く、少し長めの髪は黒い。更に黒いスーツに黒のネクタイと、いつも喪服のような格好をしている事が特徴的だった。顔立ちはシャープで整っているのに、鋭い目付きと排他的な雰囲気には人を寄せ付けないものがある。

 中国マフィアの殺し屋のようだ。というのが成瀬の第一印象であったが、もちろん本人に言った事はない。そうですよ、などと言われたらそれが最後の景色になりかねないからだ。

「沼津さん、久しぶりー」

 沙希がはしゃいで言うと、すぐさま沼津が否定した。

「そんなに時間経ってないだろうが」

「や、こっちは精神と時の部屋にいたからさ」

 沙希は背後のコンビニを指し、それから真っすぐに腕と背筋を伸ばした。

「沙希さん、誰っすかその人」

 遠慮がちに佐倉が尋ねた。その佐倉を見て、一瞬沼津がぎょっと目を大きくした。茶色い肌にピンクの髪、白い唇の女子高生を見ればこの反応も無理からぬ事だ。

 沼津にしては珍しく分かり易い驚き方だったのが、成瀬には少しおかしかった。

 そんな二人の反応を余所に沙希が話を進めていく。

「ほら、さっき言ってた成瀬の他に銀行で会ったもう一人の。沼津浩二さん」

 思い出したのか思い出していないのか、佐倉はどちらとも取れる頷き方をして、それから自分の名前を名乗った。

「佐倉っす」

「それ、校則とか引っかからないか?」

 沼津の質問を聞いて、佐倉は咄嗟に沙希の顔を見た。沙希も無言で頷き返す。

「みんな校則大好きっすね」

「まあ、その恰好見れば取りあえず聞いちゃうよね。興味の有無に関わらず、つなぎとしてさ」

 成瀬は思わずそう口に出していた。沙希に睨まれ、一言余計だったなと口を閉じる。

 ちょうどその時、東郷が遅れてコンビニから出てきた。

「ちょっとごめん」

 そう言い残して、成瀬は逃げるように東郷に近寄った。

「久しぶりに太陽の下に出た気分はどうですか?」

 ハンカチで眼鏡を拭きながら、東郷は冗談っぽく言う。成瀬は「まあまあですね」と簡単に返し、東郷が眼鏡をかけ直すのを待った。

 その所作から、東郷が左利きである事を確認する。

「あっちで話しましょうか」

 そう言って、成瀬は人だかりの途切れている駐車場の端を指差す。内容の想像が付いているのか、東郷は黙って頷いた。

 その場所に移動する時に、遠巻きに沙希達がこちらを窺っているのが見えた。話が聞こえる距離ではないが、一応声を落とす事する。

「さて、確認しておきますけど、東郷は偽名ですよね?」

「ええ」

 意外なほどあっさりと、東郷はそれを認めた。そう言われるのを待っていたように落ち着き払っている。

「いつから私を疑っていたのですか?」

「あなたが最初に話しかけてきた時からです。使われた言葉に違和感を感じました」

「と、言いますと?」

「あなたは最初、自分が人質の側になるとは思っていなかった、と言いましたね。普通なら人質で済むところを、わざわざ側という言葉を使った。これは反対側の立場を経験した人間が使う言葉なのではないか。と、そんな事が頭を過ったわけです。まあ、ここまでなら単なる違和感で済んだんですが」

 そこまで言って、成瀬は顔の前で指を一本立てる。

「一つ、決定打があります。あなたは五年前の事件を籠城事件と呼びましたが、世間ではあれは惨殺事件で通ってるんですよ。なんせ、当時の第一発見者や警察が到着した時には、既に惨劇の跡だけが残っている状態でしたからね。閉鎖された空間で起きた虐殺。そうでなければ残虐な強盗事件。それが世間一般のイメージです。僕自身、あれは惨殺事件だと記憶していましたか」

「つまり?」

「あの事件をわざわざ籠城事件と呼ぶ人はいないんですよ。あれを籠城事件と呼ぶ人がいたとしたら、それはあの時犯人が長く滞在していた事を知っている人物。つまり、犯人だけです」

 被害者全員が殺されている事が前提ですが、という言葉はしまっておいて、成瀬はそう断言する。それでも、東郷の顔に動揺は見られなかった。

 その反応に少し戸惑を感じつつ、成瀬は続ける。

「東郷というのは、ゴウトウをもじった名前ですか? 安易過ぎて、最初は逆に気付きませんでしたよ」

 東郷は頷き、少し間を置いた後で力の無い笑みを浮かべた。

「なんとなくだけど、お前は気付くと思ってたよ」

 不意に東郷の口調が変わり、成瀬は虚を突かれた。いや、変わったと言うより戻ったと言う方が正しいか。今の東郷の喋り方が、成瀬にはひどく自然に感じられた。

「一つ疑問。と言うより興味ですが、五年前も同じ籠城事件だったなら、何故あなたはその場にいた全員を殺したんですか?」

「状況が同じでも目的が違う。今日の犯人は金を得て逃げる為、あの時の俺は人を殺す為にコンビニを閉鎖した」

「初めから、全員を殺すつもりで?」

 東郷は首を横に振り、それから眉間にしわを寄せて苦悶の表情を浮かべる。

「……殺す予定だったのは二人だ。初めに関係無い一人を殺した事で、俺のたがが外れた。今考えると、冷静だと思い込んでいたのは、ただ考える事を放棄しただけだったんだな。気が触れるってのはああいう状態を言うんだろうな。全てが終わった後でようやく気付いたよ。自分が何をしたのかに」

 東郷は遠い目でコンビニを眺める。まるで、その視線の先に五年前のコンビニが映っているかのように。

「無事に済むとも、逃げれるとも思っていなかったが、何の因果か俺は逃げ切れてしまった。その日からは後悔の連続さ。無関係な人間の命は重かった。俺がやったのは、一番軽蔑していたはずの人間より、さらに軽蔑するような行為だったんだ」

 ふっと、東郷はまた力無く笑う。

「今日同じような事件に巻き込まれた時、何かの運命だと思ったよ。俺はここで捕まるか死ぬかするんだろうとな」

 疲れ切った顔でそう言うと、最後にこう付け加えた。

「別に許されようとも楽になりたいとも思っていない。自分勝手に死に方も選べず、俺はただ裁かれるのを待ってた」

 それきり、東郷は口を閉じた。これ以上話す事は無いという事らしい。話を聞き終えた成瀬は小さくため息をついた。

「そうですか。お話ありがとうございました」

 素っ気なくそれだけ言うと、成瀬は東郷に背を向けて去ろうとした。その背中を、東郷が呼びとめる。

「殺した理由は聞かないのか?」

 成瀬は振り返り、無関心な目で東郷を見た。それから、心底どうでもいい様子で言う。

「残念ながら、僕はあなたの懺悔にも後悔にも興味ありませんし、あなたが今更何を言ったところで事実は変わらない。ただ、勘違いを一つ正してあげましょうか?」

 成瀬の言葉に東郷がぴくりと反応する。これから自分が話す内容と東郷の期待する内容が真逆である事を、成瀬は自覚していた。

「あなたは許されようとも楽になろうとも思っていなと言った。なら、今の話は墓まで持っていけばいい。それを言ったって事は、この後に及んでまだ自分が可愛いって事ですよ。毎日後悔しています。苛まれています。ですか? 今更何を言ったところで都合の良い言い訳でしかない」

「……分かってるさ。そんな事は」

「なら何故殺した理由まで話そうとしたんです? 罪の告白で少しは気分が楽になりましたか? 動機も話して少しでも同情でもされたかった。本質はそこですよ。本当に罪を負う気があるのなら、猟奇殺人者だと思われたまま誰からも蔑まれて死ぬべきだ。あなたは救いを求めてます。自分は後悔しているから、償う気もあるから、だから真っ当だと。卑怯ですね。あれだけの事をしておいて何の冗談です?」

 思ったままを口に出し、成瀬は「違いますか?」と念を押す。

 一瞬で東郷の瞳に動揺が広がった。その口は小刻みに震え、発すべき言葉を探しているようだった。しかし、結局上手くいかずに空気だけが漏れた。

「五年考えた保身の言葉にしてはいささか陳腐でしたが、それでも幾ばくかは楽になれていたんでしょうね。自分を異常者だと思ったまま生活出来るのは本物だけだ。根本が小心者のあなたには耐えきれなかった。だから後悔という楽なスタンスを取ったんです。断言しますが、あなた、殺してる最中にそんな事考えてませんでしたよね?」

 成瀬は冷たく言い放つ。

「ち……ちが……う」

 よほど認めたく無いのか、東郷は突として身体を支える力を失い、左右にふらつき始めた。片手で頭を押さえると、足元も定まらない様子で、ぼんやりと地面の一点を見つめる。

 その様子全てを、成瀬は冷ややかに見下した。

「僕は聖者じゃないので、人が人を殺すに足る理由はあると思っていますよ。それが許されるかどうかは別にしてね。けど、無関係な人を巻き込んだ時点であなたには何の正当性も無い。死に方も選べず? 随分と上手い言い訳だ。自殺も出頭もしていないのがあなたの現状でしょう。同情を引くポーズをして、悲劇ぶってれば許されるとでも? 変わりませんよ。未来永劫、あなたはただの人殺しだ」

 そこまで言って、成瀬は東郷の顔が固まっている事に気がついた。感情が止まったように目の焦点が合っておらず、口を弛緩させている。

 これ以上は会話にならないと成瀬は悟り、小さく肩をすくめた。

「まあ、僕にとってはどうでもいい話ですけどね。自ら命を絶つのも、警察に出頭するのも、このまま逃げるのも御自由に。僕はただ確かめたかっただけですから」

 今度こそ東郷に背を向けて、成瀬は沙希や沼津がいる場所に戻る事にした。

 時計を見て、少し時間を取りすぎたかと反省する。

 遠目にアイスを頬張る沙希と佐倉の姿を確認した時、背後で何かが倒れる音が聞こえた。

 成瀬は振り返ろうともせずにその場を後にする。

 男の名前が峰啓太だと言う事を成瀬は知らない。

 知ろうとも思わなかった。


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