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動き出した客

「さて、やるか」

 そう言って成瀬が立ち上がろうとした時、東郷に肩を掴まれた。

「五年前にもこれと似たような事件がありました」

「あ、さっき成瀬が言ってたやつ? ニュースでうんぬんって」

 沙希が思い出したように言った。成瀬は頷いて簡単に答える。

「閉鎖されたコンビニっていう状況が同じだからあの時はそう言ったけど、ただ、実際あれはどちらかと言うと質が違うかな」

「ですが、五年前のコンビニ籠城事件では店内にいる人間は全て死にましたよ。今は下手に犯人を刺激しない方がいいのでは? 店長は運良く気絶するだけで済みましたが、次もそうだとは限りませんよ」

 床に寝ている店長に視線を投げて、東郷が至極まっとうな意見を言う。

 その言葉に成瀬はぴくりと反応して、それから小さく「……すごい偶然だな」と呟いた。

 錯乱して犯人に向かっていった小太りの店長は、ものの見事に成瀬の前で足をもつれさせて転倒した。今も完全にのびている。返って運が良かったのは言うまでもない。

 店長は白目をむいて口から涎を垂らしており、直視するのも忍びないので、成瀬はあまり見ないようにしていた。

 東郷の言葉を余所に、成瀬はすっと立ち上がる。こちらを警戒していた犯人が座り直すよう叫んだが、成瀬は気にせず犯人までの距離を確かめた。囁くような声で成瀬は言う。

「でも、昔と今とでは決定的に違う事があります」

「そういう事」

 沙希がすぐに二の句を継いだ。輪ゴムを四重にして左手にかけ、右手の上には画鋲が幾つか乗っていた。改めて見ると頼り無い武器だが、成瀬としては信用する他ない。

 沙希は犯人を睨んだまま、唇を吊り上げた。

「ここには私がいて、ついでに成瀬もいる」

 言い終えるや否や、一瞬で沙希の顔つきが変わった。射抜くような鋭い目で前方を見据え、流れるような動作で犯人に狙いを定める。

 それを見た犯人が嘲笑を籠めて言った。

「おいおい。何の冗談だよ。そりゃあ」

「……馬鹿なの?」

「はあ?」

「頭が足りてないのかって聞いてんの」

「お前!」

「悪いけどこれ、痛いじゃ済まないから」

 ぼそりと呟き、沙希は手元の弾を解き放った。

 瞬間、急加速した弾が正確な軌道で犯人の皮膚に突き刺さった。

「――――ぐあっ!?」

 犯人が呻き、左手を見た。ナイフを握る小指の第二関節に、青色の画鋲が刺さっている。

 そして次の瞬間には赤色の画鋲が指の付け根に突き刺さった。

 再び呻き声を上げ、それと同時に刺さった三発目、四発目の弾で犯人は右手のアイスピックを落とした。

 沙希は俊敏な動作で次弾の狙いを付けている。

 成瀬は思わず呟いた。

「ごめん。なめてた。思ったよりずっと速い」

「この距離ならね」

 沙希がそう補足する。

 とは言え、最初に沙希が言っていた通りで、この方法ではせいぜいが痛い程度の効果しか得られない。形振り構わず犯人が向かって来たら、まず対応出来ないやり方だ。

 成瀬は手近な棚にあったボールペンを手に取る。

「おい!」

 成瀬の呼びかけで、犯人が顔をこちらに向けた。

「投げるよ」

 そう宣言して、成瀬はぽんと、キャッチボールでもするようにボールペンを放り投げた。ボールペンは綺麗な放物線を描いて天井すれすれまで上がり、その動きに吊られて、犯人が天井を見上げる。

 その瞬間。成瀬は床を蹴り、全速力で犯人に向かっていた。

 四メートル程度の距離を詰めるのには一瞬あれば十分だった。

 犯人が気付いた時には、成瀬は既に懐の中。

 犯人は慌ててナイフを振り上げる。

 瞬間、犯人の鼻に赤い画鋲が突き刺さった。

「――――痛っでぇ!?」

 悶絶する間もなく、成瀬の体当たりで、犯人の身体が後方へ吹っ飛んだ。

 真後ろにあったレジに背中をぶつけ、犯人が奇妙な声を上げた。

「があああ!」

 暴れ狂い、犯人は闇雲にナイフを振り回す。気にせず近づく成瀬の肩をその切っ先が捉えた。

 犯人と成瀬の動きが止まる。

 成瀬の左肩からじわりと血が滲み、袖が赤く染まる。

 傷口から熱が広がり、鋭利な痛みが伝わってきた。

 成瀬は表情を変えずに、犯人のナイフを他人事のように眺める。

「は、はは! どうだ!」

 息巻く犯人を白けた目で見て、成瀬は右手で左肩に触れた。傷は思ったより深く、触れた手の平にべっとりと血がこびり付いた。

 生温い。

 赤い液体。

 成瀬は乾いた瞳でそれを見る。

 そして。

 薄く笑った。

 犯人の顔が歪む。

 成瀬は冷やかな口調で言った。

「それで?」

「……な、んだ。お前」

 右手でナイフを前に掲げ、犯人は後ずさりする。得体の知れないものを見るような反応だった。無防備に突き出された犯人の右手を、成瀬は一瞬で掴んで捻り上げた。

「ぐあっ!? 痛ってえ!」

 別に折れても構わない。そんな気持ちで力を入れると、犯人が激痛に顔を曇らせ、ナイフをこぼした。成瀬は左手で手首を捻ったまま、右手を相手の肩に当て、思い切り床に押し付ける。前のめりに床に叩きつけられ、犯人は嗚咽を漏らした。

 このまま力任せに骨を砕くつもりだったが、犯人にはもう抵抗の意思は残っていないようだった。それに気付いて、成瀬は力を緩める。

「ごめん、ロープか何か取って」

 成瀬が頼むと、沙希が頷いて商品のビニール紐を持ってきた。犯人の両腕と両脚を紐で縛り付けている間、犯人は大人しいままだった。

「抵抗の意思は無いみたいですね」

「ああ! ねえよ!」

 ふてくされたように犯人が言う。成瀬がふと横を見ると、沙希が肩の傷口を睨んでいた。

「それ、平気なの?」

「思ったよりは深いけど、縫うほどでもないと思う。まあ、心配するような傷じゃない」

「なら、いいけどさ」そう呟いてから、沙希は犯人を見下ろした。「で? 何でこんな事したわけ?」

「別に。ただ金が必要だっただけだ。俺だってまともに働けてればこんな事しねーよ。不況の煽りで突然派遣契約を打ち切られてな。職を探そうにも何処も雇ってくれやしねえ。こんな時代だしな。これじゃあコンビニ強盗もしたくなるってもんだろ」

「時代、時代うるっさい。あんた、何かのせいにしなきゃ喋れないの?」

「言いたくもなるぜ。二十近い会社で落とされればな。俺みたいなのは努力しても無駄なんだよ。その事がよく分かった。仕方ないからこうやってコンビニ強盗して、捕まって。世の中ろくなもんじゃねーよ」

「何それ? 甘えんな。全部自分のせいじゃんか。五体満足で動けるくせに、出来る事全部やる前に諦めてるからこんな事になるんだろ。だいたい、どんな状況であれ人の物を奪おうって発想が自分本位すぎんだよ。同情の余地全くないね」

 沙希の辛辣な言葉は、事実その通りだった。その証拠に、犯人は何も言い返せずに口をきつく閉じていた。やがて諦めたように脱力して沙希を見上げる。

「はっきり言う奴だな」

「性格なので」

「好きだけどな、そういう女」

「ありがとう。私は嫌いだけどね」

 犯人はひどく傷ついた顔をしてうつむいた。よく分からない男だと成瀬は思いつつ、その姿が少し哀れに見えてため息をついた。それから、携帯電話を取り出して沼津の番号を呼び出す。

「もしもし、沼津さん? こっちは終わりました。警察の方に入って来るように言ってくれますか?」

『なんだ。本当に中だけで解決したのか?』

「ええ。まあ、何とか」

『警察ならすぐに行くと思うぞ。たった今説得を諦めて強行策に踏み切ったところだ。タッチの差だったな』

 その沼津の言葉と殆ど同時に店のシャッターがこじ開けられた。

 何とも間の悪いと言うのか、良いと言うのか。全てが終わっている店内の様子を見て、勇み足で突入してきた警察は呆然としていた。

 その中に一人だけ格好の違う中年の男がいる。おそらく彼が指揮を取っていたのだろうと成瀬はあたりをつけた。男は台詞を忘れた舞台役者のような顔で、ただ口をあんぐりと開けている。

 状況が一段落した事を確認すると、成瀬は一度東郷の元に歩み寄った。

「後で、少し時間もらえますか?」

 小声で成瀬が聞くと、東郷は静かに頷いた。

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