コンビニに押し入った男⑤
コンビニに籠城してから三時間弱。店内の人間の雰囲気は、当初とは完全に別物となっていた。
目の前で店長が死んだ事で、ようやく本格的に危機感を持ったらしい。店長の身体は完全に硬直し、床に広がった血も乾いて固まっている。
残っている客の内、一人はそんな店長の姿を見て塞ぎ込んでいた。先ほどの高校生の少女で、両手で頭を抱えて地面を見つめている。残りの客は不穏な動きを見せていた。
気付かれていないとでも思っているのか。こそこそと何かを話し合い、こちらを窺っている。
必死に無い知恵を絞っている様子もそれはそれで笑えるが、俺は先手を打つ事にした。
塞ぎ込んでいる少女に近づき、その場にしゃがみ込んだ。少女はひっと短い悲鳴を上げ、頭を抱える手に力を入れる。目に見て取れるほど、少女の身体は震えていた。
「ちょっと! 何なのよ!」
金髪の女が叫んだ。その目は怯え、これから起こる事を少しは予期しているようだ。
それでいい。せいぜい恐怖しろ。
お前等を最高に苦しめる為なら俺は何だってする。
金髪の女の見ているその横で俺は一度笑みを浮かべ、一息に少女の首にナイフを突き刺した。
「恨みはないが、すまんな」
白々しい台詞を吐くと、手首を返し、一気に首の皮を真横に裂く。
首筋から綺麗に赤い線が走り、そこから壊れたポンプのように血が噴き出した。飛び出た血が棚や商 品を赤く染め、少女は力無く横に倒れる。
しばらく血を撒き散らしていた少女だったが、やがて血も尽きたのか、真っ青になって固まった。
その姿を見ても、壊れた俺の頭は何も感じなくなっている。
迷いも躊躇いも、感情さえ無くなったようだ。
この子も、本来殺す予定に無い相手だ。ただ、先に殺した方が都合が良いから殺した。
残りの奴らの恐怖を煽る為に。
殺す事が手段に成り下がっている事に気付いた。
俺はろくな死に方はしないだろう。
それでいい。そうあるべきだ。
残るは二人。男と女が一人ずつ。
二人共、目を見開いて声を失っていた。
「これで、関係無い人間は全ていなくなったな」
不意に呟いた俺の言葉に、男が過剰な反応を見せた。
「ど、どういう意味だ!?」
恐怖に支配された目で俺を見上げて、噛み合わない歯を鳴らしている。金髪の女も同様だった。俺は諭すように二人に語りかける。
「俺の目的は、始めからお前ら二人だ。いつもこの時間にここを利用する事は分かっていたからな」
二人は呆然とした顔をして、話を呑みこめずにいる。予想通りの反応だった。
この二人は俺の事など覚えてすらいないのだ。
「峰啓太という名前を覚えているか?」
二人は顔を見合わせ、初めて聞いたような反応を見せる。
「知らない! 知らないわよ! そんな名前!」
「なら質問を変えよう。中学時代の事を覚えているか?」
「そんな昔の事覚えてるわけないでしょ!」
ヒステリックに叫ぶ女を無視して、俺は男の方を見た。
「お前も同じか?」
そう問いかけると、男は恐る恐る頷いた。
昔と言うなら確かに昔だろう。十五年前の話だからな。
「峰啓太は中学生だった頃お前らが苛めていた生徒の、そして、俺の名前だ。俺は今でもよく覚えているよ。目を閉じればいつでも思い出せるんだ。お前らのそれは、一般的なものと比べてもかなり度を超えていたからな」
ぴくり、と二人が反応した。名前は覚えていなくても、自分達がした事ぐらいは覚えているらしい。
皮膚が爛れるほどの火傷も、縫った傷跡も、未だに俺の身体に残ってる。加減を知らない馬鹿な子供だったこいつらのせいで、俺の中学三年間はまさに地獄だった。
主犯格のこいつらは、俺の事を虫や玩具程度にしか見ていなかった。男と女の悪いところを抽出したような残酷さで、こいつらは次々と新しいいじめを思いついては、周りの人間を使って俺に実行した。
毎日だ。
泣こうが喚こうが、ただ笑い声だけが返ってくる。
普通の人間がいけない事だと認識しているのに対し、こいつらは知られたらいけない事だと認識していた。手段や隠蔽ばかり上達し、自分を押さえる事を覚えようともしない。
そんな奴でも、高校、大学と進むに連れ、自分の行動を慎むようになり、過去の事などすっかり忘れた顔でのうのうと社会に溶け込んでいく。
その事が俺にはどうしても許せなかった。
そして俺は、ただ憎悪によってのみ生かされる存在になった。
本来なら全員殺してやりたいところだが、それは現実的じゃない。だから主犯格のこいつらにだけは必ず復讐すると誓った。
気付けば、こいつらを殺す事だけを待ちわびる毎日だ。
「あの頃、お前らに三年間毎日標的にされ、その度に頭の中で何度も何度もお前らを殺したよ。ようやくそれが実現出来る。この瞬間の為だけに、俺はこの十五年を生きてきた」
「……そんなの。そんな昔の事、今更言われたって」
そう言いかけた男の真横をふっとナイフが横切った。俺が無感情に振るったナイフの切っ先に血が付着する。
ぼとり、と音を立てて床に落ちた物を見て、男が悲鳴を上げた。
「ひっ!? み、耳がああああ!?」
男は動転してその左耳を拾い上げ、涙目で顔の左側に当てている。
一切の感情を排した目で、俺は男が慌てる様を見ていた。その隣では、金髪の女が引きつった顔で固まっている。
「恨みには長く続くものもある。お前らには昔の事でも、俺には昨日の事なんだよ」
逃げようとする女の足にナイフを深く突き刺した。甲高い悲鳴の後で、女は床に倒れてばたばたともがいた。
店内に声にならない声が響き、二人はがたがたと震え上がっている。
突き刺さったナイフを抉りながら引き抜き、俺は話を続けた。
「高校二年の夏、町でたまたまお前らを見かけたよ。その時に一度、殺そうと思った事がある。そうしなかったのは、後悔しながら死んでいってもらう為だ。お前らが社会に出て、家族を持ち、心の底から死にたくないと思うようになるまで、俺はずっと待っていた」
俺の話はもはや二人には聞こえていなかった。二人は涙を流して、床に頭をつけて何度も許しを乞うている。懺悔を口にし、謝り続けていた。
その姿を見て、俺の中のどす黒い感情が膨れ上がっていく。大きくなりすぎた恨みは、もはや何を巻き込んででも殺したいと思うところまで来ていた。
今やっている事はこいつらが昔やっていた事と全く同じだ。
それが分かっていても、止める気にならなかった。
「後悔しているか?」
そう問うと、二人は口を揃えて「許して下さい」と懇願した。
その答えを聞くと同時に、俺は女の右腕をナイフで抉った。次いで、男の右腕にも同様にナイフを突き刺し、力尽くで引き抜く。
二人は大の大人とは思えない姿で泣き叫び、床の上を転がった。血が飛び散り、床にペンキをぶちまけたような赤い跡がつく。
俺は笑って、そんな二人を見下した。
「痛いか? 怖いか? あの頃の俺も同じ気持ちだったよ。それがようやく伝わったみたいだな。嬉しいよ。だから後悔して、後悔して、後悔して、そして死んでくれ」
歯を噛み締め、またナイフを突き刺した。すぐに殺してしまわぬように何度も脚を刺した。その度に、汚らしい悲鳴が耳に響く。
「止めて! 止めてくれ! お願いします! 謝ります!」
まだ助かるとでも思っているのか、ずれた命乞いには辟易してきた。
「止めて? お願いします? 俺だって何度もそう言ったはずだ!」
叫んでから気付いた。
自分の頬が濡れている事に。
怒りに任せてナイフを振るいながら、俺はずっと泣いていた。
「……俺は! ……ただ……普通に生きたかっただけだ」
二人が最後に聞く言葉を発すると、俺は静かにナイフを振り下した。
――――事の顛末は以上の通りである。
この日、男はコンビニ内にいた人間を殺した。深夜のコンビニでシャッターを閉め切り、閉鎖された状況を作った上での犯行だった。
第一発見者が現れたのは全てが終わった後で、店内にはおびただしい血痕と、死体が転がっているだけの状態だった。
監視カメラは破壊されていたが、警察は状況から見て、店内にいた人間は残らず殺されたものと推測した。
犯人以外には知る由もない事だが、それは事実である。
この事件は翌日すぐにワイドショーを騒がせ、惨殺事件として連日報道された。死体の切り口から、 犯人が左利きである事が示唆される。
被害者は店長の田島圭吾(四十五歳)、当時そのコンビニを利用していた山崎麻衣(十七歳)、菅原恵(二十九歳)、菅原正木(三十歳)の四人である。
犯人の行方を含め、事件を起こす動機など、テレビの中で何度も議論が繰り返され、大々的に取り扱われた。
しかし、半月も過ぎる頃には世間のほとぼりも冷め、報道も芸能ニュースに移り変わっていった。
人々の記憶は日増しに薄れていき、やがてこの事件も過去にあった凶悪犯罪の一つへと風化していった。
五年前に起きたこの事件は、今では過去の出来事とされている。