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コンビニに押し入った男④

 予想もしていなかった事態が起きた。気弱そうな店長が不意に立ち上がったかと思うと、次の瞬間には叫び声と共に捨て身で突進してきた。

 突然の事に驚き、俺は咄嗟に右に飛んで身をかわす。

 俺の目と鼻の先をかすめ、勢い余った店長がレジカウンタにぶつかった。

 状況に頭が追い付かず、にわかに呼吸が慌ただしくなる。

 店長は痛みを堪えて即座に立ち上がり、目標を定めるように俺を見た。

「……うそだろ」

 数秒後の未来を予期して、数歩下がって店長と距離を取る。

 が、その行為も虚しく、店長は再び俺の体めがけて突進してきた。両手を前に突き出し、絶叫に近い叫び方で走ってくる。

 小学生の喧嘩かと思うような考え無しの突進だが、ナイフを持った人間に対してそれを行ってくる時点で常軌を逸している。

 俺は舌打ちして、もう一度身体をかわした。

 店長の身体が真横を通過する。直後、店長はその場で踏みとどまり、勢いを保ったまま方向転換をしてきた。

 何かに駆り立てられるように、再びナイフに向かって一直線に突っ込んでくる。

「こいつ……!」

 正気じゃない。

 脳裏に浮かんだその言葉は、店長の様子そのままだった。

 ナイフを持った相手を封じる為にナイフを押さえる。道理には適っていても、その方法が理屈から外れ過ぎている。前に突き出された店長の両手は、それでナイフを押さえようとしているとしか考えられない。

 死をも恐れぬ愚行に、俺の動きが一歩遅れた。

 その一瞬の躊躇が俺の逃げ場を奪った。

 眼前に迫る店長の手が真っすぐにナイフに向かい、数センチの距離にまで迫っていた。

 掴まれる。

 そう直感した俺は、反射的にナイフを前に突き出していた。

 ずぶりと刀身が相手の身体に沈み込む。

 分厚い肉の隙間に刃が埋まる奇妙な感触。

 想像していたよりも、人の身体はずっと柔らかい。

 咄嗟に出したナイフは店長の腹部を深々と抉っていた。

 店長は血走った目で俺を見ている。その口からはこぽこぽと黒みがかった血が漏れ出していた。支える力を失った身体が崩れ落ちる。

 後ろ向きに倒れた店長の重みで、刺さった刃が自然と抜けていった。滑らかに、ずるりと音を立ててナイフが肉から離れる。

 握っている感触はないのに、刺した感触だけが残っていた。

 俺は無機質に左手のナイフを見た。根元から赤黒い液体がべっとりとこびり付いている。

 仰向けに倒れた店長は苦痛に顔を歪め、全身を痙攣させながら手さぐりで刺された箇所を確認しようとしていた。

 その悲痛な姿があまりに生々しくて、逆に俺の現実感を薄れさせていた。

 頭の芯がぼんやりと霞む。

 床に伏した店長はなんとか息を吸おうと必死に口を動かしている。

 腹部に開いた穴からは血が滲み、流れ出た血液が徐々に床に広がっていく。赤く染まっていく床に反して、店長の顔は見る間に青ざめていった。

 荒い呼吸で必死に空気を取り込んでいる店長の姿は、陸に上げられて喘ぐ魚のようだ。やがてその動きも止まると、今度は完全に動かなくなった。

 自分で作った血の池で、目を開けたまま時間が止まっている。

 むせ返るような血の匂いを鼻が捉えた。

 麻痺していた五感が戻り始めたらしい。

「……予定が、狂った」

 某全とそう言い放ち、俺は額を押さえた。

 焦点の定まらない目で店長を見て、一度深く息を吸い込んだ。

 こいつを殺す予定はなかった。標的を殺す前の脅しにでも使えればいいと思っていただけだ。それでも、もう後には引けなかった。

 今この瞬間、俺ははっきりと一線を越えた。

 現実から目を逸らすように余計な感情が削がれていく。

 これは自衛に近いかもしれない。

 ゆっくり深く呼吸をし、それを何度も繰り返した。

 そうするうち、頭が静かに冷えていく。

 どの道、俺自身も助かる気はない。そう思うと気が楽になった。

 不思議なことに、店長を刺す前よりも落ち着いている。

 自分でも理解出来ない感覚だった。

 今の出来事を既に切り離して考え始めている。

 たった今人を殺したと言うのに、頭の中では整理が付きつつあるのだ。

 そのありえない反応で逆に気付いた。

 俺はとっくの昔に壊れていたのだと。

 服の裾でナイフを挟み、一気に引き抜いて刃に付いた血を拭う。

 元より俺の本質なのか。

 相手は違えど、昔から頭の中で何度も繰り返していた行為が現実になっただけだ。

 ただそれだけの事だった。

 血を拭い落としたナイフが鈍い光を放つ銀色に戻った。

 これで、まだ使える。

 元より殺す目的でここに来た。

 その為の予行演習だったと思えばいい。

「あ、あんた! 自分が何やったか分かってんの!」

 金髪の女が擦れた声でそう叫んだ。

 分からないとでも思っているのか?

 俺は女と目を合わせると、自分でも驚くほど滑らかに言葉を返していた。

「殺した。遅かれ早かれ、お前もこうなる」

 店内の空気がしんと静まり返る。

 時計の音すら聞こえなかった。

 また、血の臭いが鼻をつく。

 金髪の女の隣で、一緒にいる短髪の男が取り乱した声を上げた。

「お、お前! 異常だぞ!」

 その言葉を聞いて、心底おかしくなった。

 低い声で笑い、俺は言う。

「何だ。今頃気付いたのか?」

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