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闇正社員

掲載日:2026/07/19




 その企業は、誰もが知っていた。

 かつては財閥と呼ばれた、日本でも指折りの一族グループ企業。

 テレビをつければ必ず名前が出るし、就活生なら一度は憧れる。


 だが、俺が通う大学は三流でないにしろ、二流だ。

 記念受験ならぬ、記念リクルートで受けた。


 ところが、奇跡が起きた。

 面接を一次、二次、最終と通り、今日は内定通知が届いた。


 あまりにもあっさりしていて、逆に実感がなかった。

 最終面接なんて、俺一人に対し、いかにも重鎮な紳士が七人並び、何を喋ったかすら覚えていない。


 覚えているのは、支給された焼肉弁当の箱に『叙◯苑』と書かれていて、ビビったことだ。


 メールの本文は定型文。



『このたびは、慎重な選考の結果……。』



 今一度、そこまで読んで、俺はノートPCの画面を一度閉じた。

 大きく息を吐き、右手で瞼を揉む。


 もう一度開く。

 やはり同じ内容だった。



「……嘘だろ」



 思わず声が漏れた。




 ******



 大学で英雄になった。

 両親は泣いて喜んだ。


 それでも、俺は卒業まで不安だった。

 何度も確認の電話を入れた。



「本当に間違いありませんよね?」



 そのたびに、答えは同じだった。



「はい、入社式当日、お待ちしております」



 間違っていなかった。


 四月一日、本社ビルでの入社式。

 それが済むと、他の新入社員たちは山梨で二週間の新入社員研修合宿へ向かった。


 だが、俺だけ北海道行きのチケットを貰った。


 入社式で渡された配属通知の紙には、新橋の『特別人材管理部』と書かれていた。

 名前からして、どんな部署なのか想像もつかないまま不安だけが残ったが、俺は羽田空港へ向かった。


 千歳空港に着くと、四十代くらいの男が一人、出迎えていた。

 そして当然のように、用意されたタクシーへ案内された。



「よろしくお願いします」



 さっぱり分からない。


 しかし、俺は何も問い返せなかった。

 男がひどく疲れているのを、出会った瞬間に一目で分かったからだ。

 タクシーが走り出して三分も経たないうちに、男は気絶するように眠ってしまった。


 北海道は、初めてなのにちっとも楽しくない。

 不安だけを抱えたまま一時間半後、到着したのは札幌の工場だった。


 言われるがまま、作業着に着替えていると、恰幅のいい五十代くらいの男が現れた。



「君が新人? 特別人材管理部の」

「はい! 山田です! よろしくお願いします!」



 まだボタンは留めていないが、頭を深々と下げる。

 ようやく、この意味不明な現状を説明してくれそうな人が来て、少し安心する。


 なにせ、この部屋は更衣室ではない。


 整えられた観葉植物。

 ゴルフバッグとパター練習用のマット。

 いかにも高級そうな机と椅子。

 革張りのソファが並ぶ応接セット。

 ブラインドが閉められた大きな窓。


 どう見ても、お偉いさんの部屋だった。



「じゃあ、今日は吉田ね。これ、君の名刺」

「……えっ!?」



 顔を上げると、黒縁の眼鏡と名刺束が差し出されていた。



「まあ、黙って神妙な顔をして、俺に合わせていれば良いから」



 混乱は深まるばかりだった。

 眼鏡は、かけろということだろう。


 だが、名刺が意味不明だ。

 俺のだと言って渡されたのに、そこに書かれている名前は俺のものではなかった。


 ついでに言えば、ここが乳製品を作る工場だと、今になって知った。



「あの……。この工場の課長になってますけど?」

「ああ、今日は課長なんだよ。俺は工場長だ」



 しかも、入社一日目にして課長への昇格だった。



「時間です! 会見が始まります!」

「さあ、行くぞ」

「えっ!? ……ええっ!?」



 だが、状況は待ってくれなかった。

 部屋を出ていく男の背を追い、俺は眼鏡をかけた。




 ******




『吉田さんは、若くして課長になられていますが、今回の食品偽装をどうお思いですか?』



 札幌の高級ホテルの最上階。

 100インチのテレビの中では、ニュースが流れていた。



『……誠に申し訳ございません』



 幾多のカメラのフラッシュが瞬き、黒縁の眼鏡をかけた俺が深々と頭を下げている。



「わっはっはっ! 初めてにしては上手いじゃないか!」



 それを摘みに、工場長だった男はビールを飲む。


 缶ビールではない。

 ジョッキでだ。

 電話一本で、ルームサービスがすぐにやってくる。


 俺も、お言葉に甘えて飲んでいた。


 今まで高級すぎて飲むことすらできなかった、高級ウイスキー。

 それをやけ酒に、ぐいっと呷る。



「あの……。そろそろ教えてくれません?」



 少しも酔えない。

 俺の部屋どころか、実家より広くて豪華な部屋が、窮屈で仕方がない。



「うちの企業が日本有数だったのは知ってるよな?」

「はい」

「それ、表向きなんだよ」



 グラスの氷が、かすかに音を立てた。



「……表向き?」



 引っかかる言葉だった。



「名前が出ていないだけで、実は傘下だって企業は多い」


「アジアでは確実に一位、世界でも十本の指に入る」



 話が縁遠すぎて、ピンとこない。



「……で、上の連中はいわゆる『一族』だ」



 男はジョッキをテーブルへ置いた。



「今日、俺たちが演じた工場長と課長。あれの本物がそうだ」



 だが、これは分かった。

 就職活動中、コネとしか思えない内定を得たやつがいる。



「ああいう人らは、名誉を重んじるから頭を下げない。

 いや、下げたくない」



 これも分かった。

 そのコネで内定を得たやつは、プライドが高かった。

 自分の非を認めず、逆ギレすることがあった。


 どこにでもいるタイプだ。

 大抵、そういうやつは、実力がないのに大きく見せようとする。



「……それで、俺たちの出番ってわけですか」



 思わず視線が落ちた。

 返事は、すぐには返ってこなかった。



「本物は一回外に出す」


「落ち着いたら、別の箱に入れて終わりだ」



 男は、ルームサービスのメニューを吟味する。



「連中が欲しいのは名誉だけで、箱なんて何でもいいんだよ」


「……というか、籍だけ置いてるやつも多い」



 ますます納得がいかない。



「そんなんでいいんですかね」

「さあな?」



 窓の外を見ると、札幌の夜景が変わらず光っていた。


 ベランダに出てみようと思ったが、止めた。

 ただ、それだけのことだった。


 男がテーブルの上の受話器を取る。



「それより、せっかく北海道に来たんだ。お前も、ジンギスカン食べない?」

「あ、食べます。実は楽しみにしてました」

「そうかそうか!」



 俺は、札幌の夜を楽しむことにした。




 ******




「ところで……。」



 ジンギスカンは初めて食べたが、実に美味い。


 この特殊な鉄板も素晴らしい。

 ジンギスカンの脂を吸った野菜たちが、これまた美味い。


 だが、どうしても思ってしまう。

 こんな豪華な部屋で、煙をもくもくとあげても大丈夫なのだろうか。



「ん? お前も、シメに味噌ラーメン、食べる?」



 受話器を持ち上げかけた男が、問いかけてくる。



「お願いします。

 ……じゃなくて、謝るのが仕事ってのは分かりましたけど、替え玉がバレたりしないんですか?」



 箸が一瞬だけ止まり、すぐにまた動き出す。


 味噌ラーメンより白飯の方が、良かっただろうか。

 いや、せっかく札幌に来たのだから、味噌ラーメンだ。



「味噌ラーメン、二つ。バター、乗せて」



 男は注文を終え、改めて問いかけてくる。



「じゃあ、聞くけど……。

 お前、有名人以外の謝罪会見で覚えているやついる?」



 俺は、箸をくわえたまま動きを止めた。



「……いません」

「まあ、そんなもんだ。

 親ですら、眼鏡一つの簡単な変装で、よく似た人がいるで終わる」



 男は苦笑いを浮かべると、生ビールを呷った。



「ただ、今回の一件は大きい。

 もっと大きいニュースが出ない限り、しばらくは全国ニュースで持ちきりになる」



 そして、ジョッキを下ろし、鼻の下に泡を付けた男の目が鋭くなる。



「一か月は、日本から離れたほうがいい」



 一拍の間。

 喉の渇きを感じ、俺はグラスに口を付ける。



「俺、フロリダに行こうと思うんだけど、お前も一緒に行く?」



 二カッ、と男は笑った。



「あっ……。それで、パスポートを持ってこいって」



 ここに至り、業務中はパスポートの携帯義務がある理由が判明した。


 しかし、謎はまだまだ尽きない。

 一番大きな謎は、なぜ俺が『特別人材管理部』の一員に選ばれたかだ。


 俺は、演劇の経験など持っていない。

 俺の家は、三代続く定食屋というのを除けば、ごく普通の一般家庭だ。



「よし、フロリダに一か月の出張だ」

「えっ!? 出張扱い?」

「当然だ。これも仕事なんだからな」

「……本場のネズミの世界。いつか行ってみたかったんです」

「そうかそうか!」



 だが、超高待遇の前には、どうでも良くなった。

 たとえ、この仕事がどんなに大きな日本の闇を抱えていようとも。




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