闇正社員
その企業は、誰もが知っていた。
かつては財閥と呼ばれた、日本でも指折りの一族グループ企業。
テレビをつければ必ず名前が出るし、就活生なら一度は憧れる。
だが、俺が通う大学は三流でないにしろ、二流だ。
記念受験ならぬ、記念リクルートで受けた。
ところが、奇跡が起きた。
面接を一次、二次、最終と通り、今日は内定通知が届いた。
あまりにもあっさりしていて、逆に実感がなかった。
最終面接なんて、俺一人に対し、いかにも重鎮な紳士が七人並び、何を喋ったかすら覚えていない。
覚えているのは、支給された焼肉弁当の箱に『叙◯苑』と書かれていて、ビビったことだ。
メールの本文は定型文。
『このたびは、慎重な選考の結果……。』
今一度、そこまで読んで、俺はノートPCの画面を一度閉じた。
大きく息を吐き、右手で瞼を揉む。
もう一度開く。
やはり同じ内容だった。
「……嘘だろ」
思わず声が漏れた。
******
大学で英雄になった。
両親は泣いて喜んだ。
それでも、俺は卒業まで不安だった。
何度も確認の電話を入れた。
「本当に間違いありませんよね?」
そのたびに、答えは同じだった。
「はい、入社式当日、お待ちしております」
間違っていなかった。
四月一日、本社ビルでの入社式。
それが済むと、他の新入社員たちは山梨で二週間の新入社員研修合宿へ向かった。
だが、俺だけ北海道行きのチケットを貰った。
入社式で渡された配属通知の紙には、新橋の『特別人材管理部』と書かれていた。
名前からして、どんな部署なのか想像もつかないまま不安だけが残ったが、俺は羽田空港へ向かった。
千歳空港に着くと、四十代くらいの男が一人、出迎えていた。
そして当然のように、用意されたタクシーへ案内された。
「よろしくお願いします」
さっぱり分からない。
しかし、俺は何も問い返せなかった。
男がひどく疲れているのを、出会った瞬間に一目で分かったからだ。
タクシーが走り出して三分も経たないうちに、男は気絶するように眠ってしまった。
北海道は、初めてなのにちっとも楽しくない。
不安だけを抱えたまま一時間半後、到着したのは札幌の工場だった。
言われるがまま、作業着に着替えていると、恰幅のいい五十代くらいの男が現れた。
「君が新人? 特別人材管理部の」
「はい! 山田です! よろしくお願いします!」
まだボタンは留めていないが、頭を深々と下げる。
ようやく、この意味不明な現状を説明してくれそうな人が来て、少し安心する。
なにせ、この部屋は更衣室ではない。
整えられた観葉植物。
ゴルフバッグとパター練習用のマット。
いかにも高級そうな机と椅子。
革張りのソファが並ぶ応接セット。
ブラインドが閉められた大きな窓。
どう見ても、お偉いさんの部屋だった。
「じゃあ、今日は吉田ね。これ、君の名刺」
「……えっ!?」
顔を上げると、黒縁の眼鏡と名刺束が差し出されていた。
「まあ、黙って神妙な顔をして、俺に合わせていれば良いから」
混乱は深まるばかりだった。
眼鏡は、かけろということだろう。
だが、名刺が意味不明だ。
俺のだと言って渡されたのに、そこに書かれている名前は俺のものではなかった。
ついでに言えば、ここが乳製品を作る工場だと、今になって知った。
「あの……。この工場の課長になってますけど?」
「ああ、今日は課長なんだよ。俺は工場長だ」
しかも、入社一日目にして課長への昇格だった。
「時間です! 会見が始まります!」
「さあ、行くぞ」
「えっ!? ……ええっ!?」
だが、状況は待ってくれなかった。
部屋を出ていく男の背を追い、俺は眼鏡をかけた。
******
『吉田さんは、若くして課長になられていますが、今回の食品偽装をどうお思いですか?』
札幌の高級ホテルの最上階。
100インチのテレビの中では、ニュースが流れていた。
『……誠に申し訳ございません』
幾多のカメラのフラッシュが瞬き、黒縁の眼鏡をかけた俺が深々と頭を下げている。
「わっはっはっ! 初めてにしては上手いじゃないか!」
それを摘みに、工場長だった男はビールを飲む。
缶ビールではない。
ジョッキでだ。
電話一本で、ルームサービスがすぐにやってくる。
俺も、お言葉に甘えて飲んでいた。
今まで高級すぎて飲むことすらできなかった、高級ウイスキー。
それをやけ酒に、ぐいっと呷る。
「あの……。そろそろ教えてくれません?」
少しも酔えない。
俺の部屋どころか、実家より広くて豪華な部屋が、窮屈で仕方がない。
「うちの企業が日本有数だったのは知ってるよな?」
「はい」
「それ、表向きなんだよ」
グラスの氷が、かすかに音を立てた。
「……表向き?」
引っかかる言葉だった。
「名前が出ていないだけで、実は傘下だって企業は多い」
「アジアでは確実に一位、世界でも十本の指に入る」
話が縁遠すぎて、ピンとこない。
「……で、上の連中はいわゆる『一族』だ」
男はジョッキをテーブルへ置いた。
「今日、俺たちが演じた工場長と課長。あれの本物がそうだ」
だが、これは分かった。
就職活動中、コネとしか思えない内定を得たやつがいる。
「ああいう人らは、名誉を重んじるから頭を下げない。
いや、下げたくない」
これも分かった。
そのコネで内定を得たやつは、プライドが高かった。
自分の非を認めず、逆ギレすることがあった。
どこにでもいるタイプだ。
大抵、そういうやつは、実力がないのに大きく見せようとする。
「……それで、俺たちの出番ってわけですか」
思わず視線が落ちた。
返事は、すぐには返ってこなかった。
「本物は一回外に出す」
「落ち着いたら、別の箱に入れて終わりだ」
男は、ルームサービスのメニューを吟味する。
「連中が欲しいのは名誉だけで、箱なんて何でもいいんだよ」
「……というか、籍だけ置いてるやつも多い」
ますます納得がいかない。
「そんなんでいいんですかね」
「さあな?」
窓の外を見ると、札幌の夜景が変わらず光っていた。
ベランダに出てみようと思ったが、止めた。
ただ、それだけのことだった。
男がテーブルの上の受話器を取る。
「それより、せっかく北海道に来たんだ。お前も、ジンギスカン食べない?」
「あ、食べます。実は楽しみにしてました」
「そうかそうか!」
俺は、札幌の夜を楽しむことにした。
******
「ところで……。」
ジンギスカンは初めて食べたが、実に美味い。
この特殊な鉄板も素晴らしい。
ジンギスカンの脂を吸った野菜たちが、これまた美味い。
だが、どうしても思ってしまう。
こんな豪華な部屋で、煙をもくもくとあげても大丈夫なのだろうか。
「ん? お前も、シメに味噌ラーメン、食べる?」
受話器を持ち上げかけた男が、問いかけてくる。
「お願いします。
……じゃなくて、謝るのが仕事ってのは分かりましたけど、替え玉がバレたりしないんですか?」
箸が一瞬だけ止まり、すぐにまた動き出す。
味噌ラーメンより白飯の方が、良かっただろうか。
いや、せっかく札幌に来たのだから、味噌ラーメンだ。
「味噌ラーメン、二つ。バター、乗せて」
男は注文を終え、改めて問いかけてくる。
「じゃあ、聞くけど……。
お前、有名人以外の謝罪会見で覚えているやついる?」
俺は、箸をくわえたまま動きを止めた。
「……いません」
「まあ、そんなもんだ。
親ですら、眼鏡一つの簡単な変装で、よく似た人がいるで終わる」
男は苦笑いを浮かべると、生ビールを呷った。
「ただ、今回の一件は大きい。
もっと大きいニュースが出ない限り、しばらくは全国ニュースで持ちきりになる」
そして、ジョッキを下ろし、鼻の下に泡を付けた男の目が鋭くなる。
「一か月は、日本から離れたほうがいい」
一拍の間。
喉の渇きを感じ、俺はグラスに口を付ける。
「俺、フロリダに行こうと思うんだけど、お前も一緒に行く?」
二カッ、と男は笑った。
「あっ……。それで、パスポートを持ってこいって」
ここに至り、業務中はパスポートの携帯義務がある理由が判明した。
しかし、謎はまだまだ尽きない。
一番大きな謎は、なぜ俺が『特別人材管理部』の一員に選ばれたかだ。
俺は、演劇の経験など持っていない。
俺の家は、三代続く定食屋というのを除けば、ごく普通の一般家庭だ。
「よし、フロリダに一か月の出張だ」
「えっ!? 出張扱い?」
「当然だ。これも仕事なんだからな」
「……本場のネズミの世界。いつか行ってみたかったんです」
「そうかそうか!」
だが、超高待遇の前には、どうでも良くなった。
たとえ、この仕事がどんなに大きな日本の闇を抱えていようとも。




