夜行列車とアンドロイド
許されたかった。夜行列車に飛び乗った。
国際空港の三番フォームを出発した夜行列車は北の大地に向かって銀のレールの上を音もなく進み続ける。窓枠2センチメートル外側の真っ暗にはぽつりぽつりと滑走路の誘導等が深海のプランクトンのようだ。
私が日本に帰ってきたのは、もはや2年ぶりになろうか。自身の研究に打ち込んだ末に祖国のことなど全く忘れてしまった。
私には娘がいた。私の母方の遺伝子が悪さをしたのだろうか、生まれながらにして難病を患っていた。小さいときから病院に通い詰めで、綺麗な景色の一つも見せてやることができなかった。
次第に私は家に帰らなくなった。研究が忙しいとの理由をつけては研究所にこもりきり、人類を宇宙に接続するための計画を進めた。娘のことは妻に任せっきりにして、私は積み上がった書類の前で苦いコーヒーを喉元に流し込む生活を続けた。妻は不平の一つも言わず、ただ寂しそうな、諦めたような表情をして頷くだけだった。
研究は大いに進んだ。次第に私は国外の学会に呼ばれるようになり、国際的なプロジェクトの一員として宇宙エレベータの第二柱の建設に携わるようになった。タジキスタンの何もない平原とニューヨークを往復しながら、人類を前に進めるための研究や打ち合わせに明け暮れた。
忙しくしている時は、腹の中から胃液が込み上げてくることもなかった。
妻とは夕方に連絡を取り合うのが常になっていた。時差を考慮したときに夕方と朝で都合がよかったのだ。妻からは娘の近況や、祖母からもらった金柑が香り高かったこと、もうすぐ彼岸花の季節が来ることなどを聞いた。いつも「偶には顔を見せてやってほしい」と添えられていた。
わかった、と私は嘘をついた。
そして昨日に連絡があった。娘の施術の日程が決まったらしいことを妻から告げられた。判を押すために帰ってきて欲しいと。
意外なことに驚きはなかった。半年前から意識が戻っていないことは聞かされていた。マグカップの取っ手を持つ手が少し震えていたが、頭の中では「やはり」という諦めに似た声が響いていた。
そしてデスクに戻り、友人であり同僚の研究者に話を打ち明け、日本行きの便に飛び乗ったのだ。
娘は臓器提供をするらしい。救われるべき命が救われるのは大変結構なことであったが、どこか非常に苦しかった。
病院は新東京の第六街区にある。空港からは急行で20分ほどで到着する。私はステーションに降り立ってから、キオスクでコーヒーを買い、改札前で躊躇した。
せめてもう少し病院が遠ければ、と思った。
足が震えていた。どんなに大きなプロジェクトでも微動だにしない私の心臓が揺れていた。
帰ってこなかった私を見て、娘はどんな顔をするだろうか。もう起き上がらないことを知りながら、そんなことを考えた。
そうして私は改札をくぐり抜けるのが億劫になった。
大人気なく改札の前をうろうろとしたあと、人気のない特急車ホームに潜り込み、夜行列車に飛び乗ったのだ。
時間が必要だ。
少しだけ、考えるための時間が。
上野で降りて引き換えそう。そんなことを考えながら私は三等席の硬い椅子に座って窓の外にちらつく雪をぼんやり眺めていた。
「色々あるよね」
優しげな、高めの声がした。
振り返ると一人のアンドロイドの少女が私を覗き込んでいた。
「あなたはどこまで行くの?」
私は押し黙り、首を横にふる。
答える気力も失せていた。
「ここに座っていい?」
彼女が対面を指差しながらそう問いかけ、首を縦に振る。
話し相手が欲しいわけでもなかったが、最近のアンドロイドの会話能力にほのかな興味が湧いた。
姿は18くらいだろうか、娘よりも大人びて見えた。型式はここからじゃよく見えないが、振る舞いが人間らしいので新しい方だろう。ミルクティー色のツインテールを赤いリボンで縛っていた。きっと持ち主に大切にされているのだろう。
「雪、綺麗だね」
彼女が窓に反射する自身に目を合わせながら言った。
「……どうだかな」
「悩み事、あるの?」
「大したことじゃないさ」
見上げれば真っ黒な空。宇宙開発を続ける人類はやがて多惑星種族になるだろう。
私が生きている時間は、ちっぽけな一万年と一万年の隙間でしかない。
命も人生も進化の前では、大した意味をなさない。
私はぬるまってきたコーヒーカップを軽く握る。
後悔。それすら意味を為さないのだろうか。
アンドロイドの少女は、ぼんやりとして暗い空を眺めている。
「そうだね」
「……君はどこまで行くんだ」
「青森まで。おばあちゃんに会いに行くの」
「家族は大事にしたほうがいい」
「私、もういらないって」
少女がぽつりと呟いた。
「同棲するんだって。だから、おばあちゃんの面倒を見てくれって」
彼女は流れ去る街灯のオレンジを伏せた目で追いかけた。
「そんなことはないだろう。いらないなんて」
根拠は薄弱だったが、胸に棘が刺さったようになって、思わず反拍してしまう。
「捨てられなかっただけ、まだマシかもね」
少女はふふっと小さく笑う。
捨てる、つまり一方的に関係を解除されたアンドロイドの存在は社会問題として久しい。見つけ次第当局によって回収されるが、抵抗に会うことも珍しくないそうだ。
持ち主は責任を持って回収センターに連れてくることが義務付けられているが、長年連れ添った存在を「処分」できるほど甲斐性のある人間が多くないこともまた事実であった。
「実際にいるのか?」
「いるらしいよ。青森に、実際。でも追い返されたらどうしよう。私、居場所なくなっちゃう」
どこか他人事のように彼女は遠くを見つめる。
大丈夫さと励ませるほど無責任にはなれなかった。
「それで、あなたはどこまで?」
「上野」
「近いじゃん。気まぐれ?」
「そんなところだ」
「家族は、いる?」
頷いた。外套を少し羽織り直す。
「家族は大事にしたほうがいいよ」
自分のセリフをアンドロイドに取られた。
「機械にはわからないさ」
「……そうだね。そうかもね」
アンドロイドの少女はこちらをじっと見上げる。
「あなた、冷たいってよく言われない?」
「別に」
「どこから来たの? 空港でうろうろしてたじゃん」
「見てたのか」
「べっつにー」
少女はふざけたように机に項垂れる。
「機械が一人でいると怪しいじゃん。だからツレを探してただけ」
「通報してもいいんだぞ」
「やめてよ。まだ死ぬ準備できてないし」
「青森には行くのか?」
「どうしよっかね。正直あった事ないし、メンテ費用とか払えそうな感じしないし。あるいはここで全部爆発しちゃったほうが面白いかもね」
ぼん、と少女は笑う。
無言で電話を取り出した。
「あ、まってまって。やんないから落ち着いて。そこまでやけじゃないし」
「俺には妻がいるから」
子供もいる、と言いかけてやめた。
「へぇー奥さんいるんだ。かわいい?」
「まあ」
「久しぶりの再会ってわけだ。感動的」
「……そうだな」
「何? 子供が生まれたとか? おめでたい?」
彼女は身を乗り出す。
胸がふいに苦しくなって私はそっぽを向いた。
「……そんなんじゃない」
隠したつもりだったが、苦々しさが顔に出ていたのだろうか。
少女は目を丸くして、少し気まずそうに顔を落とし、座席の上で膝を丸める。
「ごめんなさい」
「……………」
「私、支援アンドロイドのくせに、人の感情とかそういうの読み取るのが苦手で、だから捨てられて」
彼女は膝の中に顔を埋める。
「多分もっと上手くできて、私どうして生まれてきちゃったのかなーって」
生まれてきたというか、作られたというか。
流石に売るために作ったみたいな回答をするのは人の心に反する気がしたのでやめた。
「まあいいじゃないか。苦手なことの一つや二つくらい」
「……人間にはわからないよ」
「お前ムカつくな」
「あなたもね」
馬鹿らしくなって携帯をしまう。
別に私が秩序の維持に貢献してやる必要もない。
「そろそろ上野だ。じゃあ、元気で」
「………」
少女は窓の外を眺めている。
「一緒に来ない? 全部投げ出してさ」
首を横にふる。
「流石にダメだ。人間として」
「つまんないの」
被りを振って私は立ち上がる。
上野から乗り換えれば10分で着ける。
降りてから妻に電話しよう。
「爆発させようかな。全部」
「勝手にしろ」
あるいはそうあってくれれば、と心の奥底にちらついて首を振る。
アナウンスが駅への接近を告げた。
扉へ向かう。
「ついていっていい?」
彼女が立ち上がり、こちらを見つめていた。
「青森はいいのか?」
「もういいや」
「捕まるぞ」
「しらない」
てってっと後ろに寄ってくる。
「何かあっても庇わないが」
「いいよ。どこ行くの?」
「病院。娘に会いに行く」
駅に着いて扉が開く。
外気は冷え込んでいる。吐く息が白い。
面倒になると知りながら拒絶できなかったのはどうしてだろうか。
あるいは、と彼女の揺れるツインテールを横目で見やりながら。
結論を出すのが億劫になっているだけかもしれないなと思った。
ふと呟く。
「私を、酷い人間だと思うか?」
声が聞こえた。
「裁けるほど立派じゃないよ」
人の波をかき分け、私たちは通勤列車に乗り込んだ。




