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第4回:排除措置命令、そして再生

決戦の朝は、一通の通知音から始まった。

 あけぼの商店街の入り口に陣取った古根川のスマートフォンが、激しく、かつ断続的に震える。画面には、彼が仕掛けたハッシュタグ『#魔王軍の不当廉売を許すな』が、トレンドの一位を独占し、数百万件のインプレッションを叩き出している様が表示されていた。


「……古根川さん、見て! 全国からレシートの画像が届いてる! デモン・マートが各地でやってるエグい値引きの証拠、みんながアップしてくれてるよ!」


 サキが、興奮で赤くなった顔をスマートフォンの画面に押し付けるようにして叫ぶ。

 古根川が昨夜、SNSに放流したのは単なる感情論ではない。デモン・マートの『1円弁当』がいかにして算出され、それがどのように地域の物流網を破壊しているのかを、素人にも分かる図解とともに示した「告発状」だった。

 消費者は「安さ」を愛するが、「不正な支配」によって自分の街が砂漠化することを望んでいるわけではない。


「……市民によるクラウド型調査オープンソース・インベスティゲーションだ。彼らが握り潰そうとした数枚の申告書は、今や数千万人の『監視の目』に変わった。さあ、仕上げに行きましょうか」


 古根川は、源さんが焼いた「適正価格二百円」のクロワッサンを最後の一口まで味わい、トレンチコートの襟を立てた。


 同時刻、マオウ・ホールディングス本社の最上階。

 CEOのマオウは、全面ガラス張りのオフィスで、眼下に広がる街を見下ろしていた。


「……フン、下らん小細工を。ネットの騒ぎなど、三日もすれば忘れ去られる。阿久津、公取委の長官に電話を繋げ。今すぐこの雑音を消させろ」


 阿久津が震える手で受話器を握る。しかし、返ってきたのは冷たい電子音だけだった。


「……ど、どういうことだ。なぜ繋がらない?」

「お探しの長官なら、今頃は辞表を書いているか、検察の事情聴取を受けているはずですよ」


 秘書を振り切り、応接室の扉が力強く蹴り開けられた。

 入ってきたのは、古根川――そして、その背後に控える五十名を超える「青いスーツ」の集団だった。


「……公正取引委員会、審査官の佐藤です。独占禁止法第百条および同法第百二条に基づき、マオウ・ホールディングス本社の立ち入り検査レイドを実施します。全員、端末から手を離し、記録媒体の廃棄を中止してください」


 かつて古根川の申告を拒んだ佐藤の目は、今やかつての鋭さを取り戻していた。

 マオウは、優雅にデスクに腰掛けたまま、不敵な笑みを崩さない。


「……佐藤君と言ったか。君たちの給料がどこから出ているか分かっているのかね? 御門先生に一本電話が入れば、君のキャリアは灰になるぞ」


「残念ながら、御門先生は先ほど、秘書の公職選挙法違反およびマオウ社からの違法な政治献金の疑いで身柄を確保されました」


 古根川が、タブレットのニュース画面を突きつける。そこには、フラッシュの嵐の中を連行される「ドンの姿」があった。


「政治家が法を曲げるなら、国民が法を執行するまでです。マオウさん。あなたは法律を『強者の武器』だと言ったが、それは間違いだ。法律は、あなたのような傲慢な巨人を、公平な大地に引き摺り下ろすための『引力』なんですよ」


 マオウの顔が、初めて屈辱で歪んだ。

 佐藤が厳しい口調で、手元の書面を読み上げる。


「マオウ・ホールディングスに対し、独占禁止法第十七条に基づき、以下の排除措置命令を下す。一、不当廉売および優越的地位の濫用の即時停止。二、過去三年間に遡る、不公正な取引の全容解明。三、再発防止策の公表。……さらに、第百三条に基づき、推定売上高の三パーセント――五百五十億円の課徴金納付命令を発出する」


「……ご、五百五十億!? 馬鹿な、そんな額を払えば今期の利益がすべて飛ぶぞ!」

 阿久津が悲鳴を上げた。


「払えないなら、資産を差し押さえるだけです。……阿久津さん、ビジネスは弱肉強食なんでしょう? ルールを破って食い荒らした分、今度はあなたが『法』に食われる番だ」


 古根川は、マオウの目の前に歩み寄った。


「たかが法律に、何ができる!」

 マオウが、絞り出すように吠える。


「法律は、盾ではありません。あなたのような闇に潜む悪意を、白日の下に晒し、焼き尽くす『光』そのものです。……さあ、チェックメイトだ、魔王様」


 数時間後。

 デモン・マートの全店舗に、一斉に『営業停止』の令状が貼られた。

 一円弁当のホログラムは消え、代わりに掲示されたのは、公正取引委員会による厳粛な告知文だった。


 あけぼの商店街。

 そこには、かつて去っていった店主たちが、照れくさそうに、しかし希望に満ちた顔で戻ってきていた。


「……古根川さん、本当にありがとう。またここで、商売ができるなんて」


 源さんが、古根川の手を固く握る。

 古根川は、背後のサキに目配せをした。


「感謝なら、サキさんに。彼女が作った『商店街事業協同組合』の規約案は、公取委も驚くほど完璧なものでした。これからは、個々の店が戦うのではなく、組合として共同で仕入れを行い、物流コストを下げる。……巨大資本に対抗する、新しい『公正な力』の誕生です」


 佐藤が、古根川の隣に歩み寄った。


「古根川さん。証拠は完璧でした。あなたが集めたあの膨大なレシートが、不当廉売の『動かぬ数値』として機能したんです。……おかげで、ようやく組織も目を覚ましました」


「私はただ、街の声を届けただけですよ。……佐藤、あとの処理は頼んだぞ。法律を『インクのシミ』にするなよ」


「ええ、分かっています、先輩」


 夕暮れ時。

 ベーカリー・サンには、香ばしいパンの匂いが満ちていた。

 サキが、焼き立てのフランスパンを籠に入れて持ってくる。


「古根川さん、食べてみて。新商品の『フェアトレード・バゲット』。……あ、お代は二百五十円ね!」


「……ふむ。適正価格だ」


 古根川は一口齧り、秋の風が吹き抜ける商店街を眺めた。


「……ああ、これが『公正な取引』の味ですね。……サキさん、少し塩味が足りない気もしますが」


「えっ、嘘!? ……あ、もう、リーガル・ウェポンとか言う割に、口が悪いんだから!」


 サキの笑い声が、シャッターの開いた商店街に響き渡る。

 古根川は、コートのポケットに法典を仕舞い、沈みゆく夕日に向かって歩き出した。

 彼の仕事は、まだ終わらない。

 この国のどこかに、まだ「ルールを無視した巨人」が潜んでいる限り。


 

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