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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第6話 越境通行証

 越境通行証の発行は、年に何件もない。


 灰枝は辺境の交易拠点だが、あくまで内地と辺境の境界に近いところに位置している。冒険者たちの多くは樹海か近郊の依頼を回す。デルガやその先の都市に向かうなら、普通は灰枝を経由しない別のルートを取る。越境通行証が必要になるのは、辺境の難所を抜けるときか、ギルド支部間の正式な移動手続きを踏む必要があるときだ。後者の場合は、ランク昇格や転属扱いになることが多い。


 書類は事前に用意してあった。


 理由は——正直に言えば、勘だ。


 先週の活動記録を整理しているとき、ユーリとカイのパーティ欄に目が止まった。更新が止まっていた。灰枝に在籍している冒険者は、週に一度は何かしら依頼結果を提出するか、少なくとも活動報告が入る。ところがあの二人は、直近の記録がぷつりと途絶えていた。依頼を消化していないのではない——消化した形跡はあるが、その後の動きが見えない。


 それから、町に噂が入ってきた。聖騎士が一人、灰枝の宿に滞在していると。聖騎士とあの二人が関わったかどうかは、私の帳簿には書かれていない。ただ、数字の動きと噂が重なって——準備だけしておこうと思った。


 越境通行証の書式を机の引き出しに入れておいた。


 それだけのことだ。


 当日の朝は、いつもよりも少し早く支部の鍵を開けた。特に意識したわけではない。ただ、なんとなく、早めに机を整えておきたかった。


 二人が来たのは、朝の依頼掲示板を整理し終えてすぐのことだった。


「おはようさん、ナタリアちゃん」


 扉を開けて先に入ってきたのはカイだった。いつもの軽い声と、いつもの飄々《ひょうひょう》とした立ち姿。ただ、軽装の革鎧に革紐で何かを固定した荷物が背にある。旅の荷だ。出かける前の人間の荷物だ。


「いらっしゃいませ」


 カイの後ろから、ユーリが入ってきた。こちらも荷を背負っている。装備も、灰枝の短期依頼向けのものより、遠出向きに整えられていた。扉の外にもう一人、長い髪の少女が見えた——パーティのミラだ。通りの壁に背を預けて、静かに待っている。あの子の分の書類は昨日のうちに整えてある。


 二人の目が、カウンターの私に向いた。ユーリの目が——あの薄い灰色の目が——一度だけ、机の上の書類の束に落ちた。それから私の顔に戻ってきた。


「……越境通行証の手続きって、ここでできますか」


 端的な問いだった。


「はい」


 私は引き出しを開けた。


「準備してあります」


 カイが目を細めた。


「ナタリアちゃんは相変わらず仕事が早いな」


「数字が動いていなかったので」


 私は書類を二部、カウンターに置いた。「先週から活動記録が止まっていました。いろいろ、あったのでしょうね」


 それ以上は言わなかった。聞くことでもなかった。


 聖騎士の件は町に出回っている話で、私が特別な情報を持っているわけではない。帳簿から読み取れる範囲のことを言っただけだ。カイが小さく肩をすくめるのが見えた。ユーリは静かにカウンターの前に立ったまま、表情をあまり変えなかった。


「では、手続きに入ります」


 私は帳簿を開いた。


 まずユーリの記録から確認する。登録は銅牌10——あのとき私が書いた記録だ。そこから今日までの活動履歴を、声に出さずに読み上げた。


 根蛇討伐、五件。

 蒼苔採取、三件。

 装甲猪追跡補助、二件。

 偵察依頼、一件。

 ——そして最後に、棘冠蜥蜴とげかんとかげとの交戦記録。


 私は一度、ペンを止めた。


 棘冠蜥蜴は危険度Bに分類される。辺境の魔獣の中でも上位に入る強個体だ。体長は成体で三メートルを超え、その名のとおり頭部の骨冠が鋭く変形している。単独行動の傾向があり、遭遇した場合は逃走を推奨——銅牌向けの依頼ガイドには、そう書いてある。


 ユーリは銅牌だった。登録してから今日まで、せいぜい二ヶ月に満たない。


 帳簿の数字を改めて眺めた。根蛇は銅牌でも対処可能な魔獣だ。蒼苔の採取も採取難度は中程度。ただ、その間に差し込まれた装甲猪の追跡補助と偵察依頼——この二つは、どちらかと言えば索敵能力に依存する仕事だ。ユーリの特技を考えれば、依頼の選び方に一貫性がある。使える力を、きちんと使っている。


 そして、棘冠蜥蜴の交戦。


 記録には「討伐」ではなく「交戦・撃退」とある。細かい違いだが、報告書を書いた人間——おそらくカイだろう——が、事実を正確に記した証拠だった。討伐と撃退は帳簿上では別扱いになる。後者の方が買取報酬は低い。それでも正直に書いてあった。


 私は次にカイの記録欄を開いた。


 カイは鉄牌での登録だった。記録を遡る。遺跡調査補助、複数件。その後の報酬欄——遺物の提出記録が、ある。遺物の種類と品質については鑑定士に委ねているが、額だけ見ると相当な収入だ。短期間でこれほどの額が動く遺跡絡みの案件は、灰枝の周辺では珍しい。


 それから——聖騎士との接触記録は、もちろん帳簿には書かれていない。でも、今のカイの動きを見れば、灰枝の外に出る理由があることはわかった。怪我をしているという噂も聞いていた。外傷がある状態で、遠距離の移動を選ぶ。


「少し確認させてください」


 私はカイに向かって言った。


「怪我は、まだありますか」


 カイは一瞬、目を細めた。


「……ちょっとはな。動くには問題ない」


「わかりました」


 私は帳簿を一枚めくった。書式を取り出す。


「お二人の昇格推薦書を先に処理します。越境通行証はその後です」


「昇格?」


 ユーリが口を開いた。声に少し驚きが混じっていた。


「ユーリさんは銅牌8から鉄牌7への昇格を推薦します」


 私は淡々と言った。帳簿から読み取れる事実を述べているだけだ。「短期間での実績件数、依頼の種別、棘冠蜥蜴との交戦記録——銅牌の実績としては前例がありません。ランクが実態に合っていない状態です。適正化します」


 ユーリはしばらく、黙っていた。


「……俺は、ほとんどカイさんが」


「索敵はユーリさんがやっていたはずです」


 遮るように言ってしまった。少し乱暴だったかもしれない。でも、正確な事実なので撤回はしなかった。


「依頼記録を見れば、索敵能力に依存している依頼の比率が高い。それがなければ成立しない仕事が複数あります。あなたの能力がなければ、帳簿のこの数字は出ません」


 ユーリは答えなかった。口を閉じて、カウンターの上の書類を見ていた。


 私は次の欄に移った。


「カイさんは鉄牌から銀牌5への昇格推薦です」


 今度はカイが少し目を見開いた。


「銀牌?」


「魔獣との交戦、一件。加えて——別の、交戦記録があります」


 私は慎重に言葉を選んだ。


「聖騎士との件は、帳簿には書けません。ただ、状況として伝わってきている範囲では——負傷した状態で魔獣と戦い、さらに別の相手との対峙があった、ということですね」


 カイが何かを言いかけて、やめた。


「私が持っているのは噂の範囲の情報です。正式な記録としては残しません」


 私は書類に目を戻した。


「ただし、今回の活動内容——危険なBランク魔獣との接触、負傷状態での行動継続、それに加えて今回の状況全体——これだけの実績があれば、鉄牌のままでは不正確です。デルガ支部に引き継ぐ際に、実力と登録ランクが一致していないと、向こうの受付が困ります」


 カイが短く笑った。笑い方は軽かったが、目は笑っていなかった。


「……職人だな、ナタリアちゃんは」


「帳簿に書くことと、書かないことを分けているだけです」


 私は昇格推薦書の記入を進めた。二枚。ユーリの分とカイの分。所定の欄を埋める。実績の概要。推薦理由。担当受付の署名。


 インクが乾くのを待ちながら、越境通行証の書式に移った。


 通行証は一組で二枚になる。一枚は当人が携行するもの。もう一枚は、目的地の支部に提出する控えだ。三人分なので六枚になる。氏名。登録番号。ランク——今日処理した新ランクを記入する。目的地。通過予定経路。


 通過経路の欄を書くとき、少し手が止まった。


 デルガへのルートはいくつかある。最短ルートは辺境の難所を抜けるが、現在のカイの状態では勧めない。迂回路は遠回りだが、負担が少ない。どちらを選ぶかは当人の判断だが、書類には経路を記入する必要がある。


「デルガまでの経路は、ご自身で決めていますか」


「ああ。南回りで行く予定だ」


 南回り。迂回路だ。カイは自分の状態を理解していた。


 私はその経路を書き入れた。


 六枚の通行証が揃った。昇格推薦書三枚。それと、もう一枚——私は別の紙を取り出した。


 デルガ支部宛の引き継ぎ書類だ。


 これは必須の書類ではない。ただ、長距離移動をして別支部に登録変更する冒険者については、出発支部から所見を添えることができる。規定にはそう書いてある。ほとんどの受付嬢はやらない。手間だし、気の利いた文を書く必要があるし、そもそも規定に「できる」と書いてあるだけで義務ではない。


 私はやることにした。


 ペンを持って、少し考えた。


 書くべき事実は何か。デルガの受付が受け取って、役に立つ情報は何か。


 ユーリの探知能力のことは書くべきだ。あの能力は、依頼の組み合わせ方次第で大きく化ける。ただし、それを最大限活かすには、適切な依頼の組み立てが必要で——灰枝のような小さな支部では、正直なところ対応しきれない部分があった。デルガは大きい。依頼の種類も広い。受付の経験値も、おそらく私より高い人間がいる。


 私は書いた。


「探知能力は特筆に値する。魔素感知を応用した索敵の精度は既存の指標では測定が難しく、実務での観察による評価を推奨する。適切な指導があれば大きく伸びる人材と判断する」


 カイについては、遺跡知識の高さを書いた。遺物の扱いに慣れていること。負傷した状態でも判断が安定していること。これは帳簿から読み取れる情報と、噂として入ってきた情報を組み合わせた判断だが、書いた内容は事実の範囲に収めた。


 担当受付の名前と日付を書いて、折りたたんで封をした。


 全部で十枚になった。


 ユーリとカイとミラの分の昇格推薦書——各一枚。越境通行証——各二枚(携行用と控え)。デルガ支部宛引き継ぎ書類——一枚。ミラの分は昨日のうちに仕上げてあったが、残り二人の分と一緒に封をした。


 私は書類を整理して、順番に並べた。


「確認してください」


 二人がカウンターに近づいてきた。カイが書類を手に取って、ざっと目を通す。ユーリは昇格推薦書の自分の名前が書かれた欄を、少し長く見ていた。


 やがてカイが顔を上げた。


「全部、受け取っていいか」


「はい。越境通行証の控えはデルガ支部の受付に提出してください。引き継ぎ書類も一緒に渡していただけると助かります」


「了解」


 カイが書類を手際よくまとめた。荷物の中の安全な場所に仕舞う動作が慣れていた。


 ユーリはまだカウンターの前に立っていた。


「……ありがとうございます」


 静かな声だった。迷いのない声だった。


 私はカウンターの向こうから、その少年の顔を見た。


 目の色は変わっていなかった。薄い灰色。曇りの奥に何かが透けている、あの色。


 登録の日と同じ目だった。ただ——何かが、少し違う気もした。あのとき少年はまだ外の世界を知らなかった。今は、知ってしまったものがある。それが目の色を変えているわけではないだろうが、重なり方が違う、と感じた。帳簿の数字で言えば、前回より厚みが出た、ということかもしれない。


「お気をつけて」


 そう言いかけて、少し言葉を足した。


「デルガに行かれるんでしょう? 事情は聞いています。——気をつけてください」


 ユーリが目を細めた。驚いたのか、あるいは納得したのか——どちらとも取れる表情だった。


「……はい」


 カイが扉を押し開けた。外の光が差し込んで、朝の空気が入ってきた。


「またな、ナタリアちゃん」


「ええ」


 二人が出て行く。扉が閉まる。


 石畳の足音が、少しずつ遠ざかっていった。


 私はカウンターの前に、しばらく一人で立っていた。


 帳簿を閉じる前に、最後の記入をした。


 ユーリの欄を開く。今日の日付。手続きの種別——昇格推薦、越境通行証発行。新しいランク——鉄牌7。そして、備考欄の最後に一行追記した。


「異動——デルガ支部へ」


 カイの欄にも同じ記入をした。銀牌5。異動——デルガ支部へ。


 インクが乾くのを待った。


 事務室は静かだった。いつもの静けさだ。ただ、何か——その静けさの質が、少し違う気がした。うまく言葉にできない感覚だった。部屋が広くなったわけでも、音が変わったわけでもない。それなのに、少しだけ、空気の密度が薄くなったような。


 窓の外に目を向けた。


 石畳の通りが見える。灰枝の朝はいつもと変わりなかった。商人が荷車を引いて通り過ぎる。猫が塀の上で丸くなっている。


 あの少年は、どこまで行くのだろう。


 デルガは中都市だ。灰枝よりずっと大きい。人も多い。依頼の幅も違う。あの探知能力があれば、デルガでもっと大きな仕事ができるだろう。私の書いた引き継ぎ書類が、デルガの受付嬢の手に渡る。そこで誰かが、あの少年の能力を正しく読んでくれればいい。


 帳簿には書けないことを、少し考えた。


 遥辺という集落から来た。魔法は使えない。魔素が見える。品質の差を一瞬で読み取る目を持っている。戦闘経験はほぼない状態から、二ヶ月で棘冠蜥蜴と交戦した。


 数字だけ見れば、前例のない速度だ。それを支えた理由は、私の帳簿には書いていない。でも、ある程度は想像できる——あの目で見ていたからだ。魔素が見える、ということは、危険の濃さが見えるということだ。普通の冒険者には見えないものが見えていた。それが、短期間での成長を可能にしていた。


 どこまで行くのかは、わからない。


 帳簿は今この瞬間までしか書けない。この先のことは、私の書類の外にある。


 私は帳簿を閉じた。


 今日の欄に書かれた二つの名前——ユーリ、カイ——のインクが、すっかり乾いていた。ページをめくるたびに、記録は過去になる。今日の朝、二人がここに来て、書類を受け取って、扉を出て行った。その事実は帳簿に残る。


 すでに、歴史になりかけていた。


 次の依頼提出が来るまでの静けさの中で、私は帳簿を棚に戻した。今日の残りの仕事はまだある。月次の集計の照合。先週のヨルさんの素材提出の最終確認。それから、先日保留にしていた採取依頼の依頼票の整理。


 ペンを取り直した。


 窓の外で棘鱗の風鈴が鳴った。今度は少し長く、続いた。


 灰枝の朝は、いつもと同じように動き続けていた。カウンターの向こうは空っぽで、掲示板の依頼票がわずかに揺れていた。


 私は帳簿を新しいページに開いて、今日の日付を書き入れた。


 また新しい一日が、記録の中に積み重なっていく。


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