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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第5話 三点の印

 村からの報告書が三枚、カウンターに並んでいる。


 一枚目は西の農村・ハルカ村から。棘甲獣らしき個体を畑の外縁で目撃した、という内容だった。被害なし。距離はかなり離れていたが、農夫が朝の作業中に見かけたとある。二枚目は北寄りのオルド村から。根蛇の巣が、例年より道沿いに近い場所に確認されたという。荷馬車の通行に注意が必要かもしれない、という添え書き付き。三枚目はアシェ村——灰枝から見て南東——から。夜中に家畜が騒いだ。原因は特定できていないが、翌朝に柵の外に獣の足跡が見つかった。足跡の大きさから、小型の魔獣だろうという見立てだった。


 どれも、単体で見れば大した話ではない。


 棘甲獣が樹海の縁に出ることはある。根蛇は春に活動域を広げる。夜に家畜が騒ぐことは辺境ではよくある話で、魔獣以外の可能性も十分ある。三件のうちどれか一件だけが届いていたとすれば、私は確認の上で「様子見」と判断し、銅牌向けの軽い巡回依頼を一枚貼り出して終わりにしていただろう。


 問題は、三枚が同じ時期に来たことだった。


 私はカウンターの下から地図を取り出した。


 灰枝支部の壁に貼ってある公式地図とは別に、私が自分で作った手書きの地図がある。本部から送られてきた標準地図を下敷きに、持ち込み素材の産地情報や冒険者の活動報告を何年もかけて書き加えた、実用版の地図だ。樹海の縁の範囲、よく使われる採取ルート、魔獣の目撃情報——帳簿の数字を地形の上に貼り付けると、数字だけでは見えなかったものが浮かび上がることがある。


 ハルカ村に印をつける。オルド村に印をつける。アシェ村に印をつける。


 三点が地図の上に並んだ。


 私はペンを置いて、地図を少し離して見た。


 ……。


 一直線だ。


 ハルカ、オルド、アシェ——それぞれ灰枝を取り囲むように点在しているが、三つの印を結んでみると、ほぼ完全に一本の線になる。樹海の縁を、北東から南西にかけて斜めに走る線だ。


 魔獣が移動している。


 その可能性が、頭の中で急に重くなった。


 私は立ち上がり、倉庫の棚へ向かった。帳簿の棚の奥に、過去の年度ごとの記録が冊子にまとめてある。背表紙に年度を書いた、地味な帳面の列。三年前の記録を取り出した。


 カウンターに戻り、ページをめくる。


 春の目撃報告のあたりを確認する。三年前の三月。四月。ページを繰る手が自然と早くなった。


 あった。


 三年前の四月初旬。村からの目撃報告が三件、集中している時期がある。メモを拾い上げると、その時の担当処理は「銅牌向け巡回依頼を追加」とある。普通の対応だ。ただ——その後のページを確認すると、二週間後に鉄牌パーティからの活動報告が出てくる。内容は「中層での大型個体痕跡の確認」。さらにその一週間後、樹海の縁での魔獣遭遇件数が急増している。銅牌の冒険者二名が負傷した記録があった。棘甲獣との遭遇。縁への採取に出た人たちが、想定外の相手に出くわしたのだ。


 私はその記録を、しばらく見ていた。


 三年前は気づかなかった。目撃報告が複数来ていることには気づいても、それを地図に落として考えるところまではやっていなかった。巡回依頼を出して、様子を見て——結果として、二人が怪我をした。


 帳簿の中の数字が、静かに見返してくる。


 今度は違う。今度は気づいた。


 私は掲示板の前に立った。今現在、棘甲獣の目撃依頼と根蛇の巡回依頼が一枚ずつ、銅牌向けの難易度で貼り出されている。依頼ランクは銅牌推奨の定番設定だ。縁での巡回なら、経験が浅い冒険者でも十分にこなせる範囲として処理されている。


 私はそれぞれの依頼票を外した。


 書き換える。銅牌推奨から、鉄牌推奨へ。備考欄に一文を加える。「目撃情報の分布から、広域移動の可能性あり。単独行動注意。パーティ推奨」。


 それから別紙に注意書きを書いて、掲示板の目立つ場所に貼り付けた。


 「現在、周辺三村より同時期の魔獣目撃報告あり。地点の分布から、縁への移動が進んでいる可能性を排除できません。銅牌の冒険者はこの期間の縁への単独依頼を控えることを推奨します。状況確認のため、鉄牌以上のパーティによる巡回依頼を別途受け付けます」


 書いている間に、扉が開いた。


「ナタリアさん、そこの依頼——」


 入ってきたのは、若い男だった。銅牌の登録証を首からぶら下げている。先月くらいから灰枝に姿を見せるようになった顔で、名前はエモン。採取依頼を精力的にこなしている。同じく銅牌のテオが午前中に縁の採取依頼を受けて出ていったばかりだ。最近の銅牌は元気がいい。


「はい、取り下げました」


「え、なんで? 棘甲獣の目撃依頼、俺が取ろうとしてたのに」


「ランクを変更したので、改めて掲示します」


 私は書き直した依頼票をエモンに見せた。鉄牌推奨の表示と、注意書きの内容。エモンが眉を寄せた。


「……縁の話でしょう? 縁に出た棘甲獣なら銅牌でも普通にやれますよ。前もやったし」


「今回は少し状況が違います」


「どう違うんですか。縁の棘甲獣は縁の棘甲獣でしょう」


 私は地図を持ってきた。三点の印と、それを結ぶ線を指先でなぞる。


「三つの村から、同じ時期に目撃報告が来ています。ハルカ村の棘甲獣、オルド村の根蛇、アシェ村の足跡。これを地図に落とすと一直線になる。これは個別の事案ではなく、樹海の中から外に向かって何かが動いている可能性を示しています」


「何かって……」


「三年前の記録では、同じようなパターンの後、中層で大型個体の縄張り争いが起きていました。大型が争えば、その周囲にいた中小型が外に押し出される。押し出された先は縁です」


 エモンが少しの間、黙った。


「……でも、まだそうとは決まってないですよね」


「決まっていません。可能性の話です」


「可能性ならいつもあるじゃないですか。それで全部鉄牌にしてたら、銅牌はなんにもできなくなる」


 もっともな言い分だった。私はそれが「もっとも」だということも、だからといって引くつもりがないことも、両方わかっていた。


「可能性に根拠がある場合と、漠然とした可能性は違います。今回は、地点の分布と過去の記録が重なっている。根拠のある可能性です」


「受付嬢さんの判断で、依頼ランクを変えられるんですか」


「はい。支部の安全管理の範囲内で、依頼の推奨ランクは変更できます」


「……強引じゃないですか」


「強引かもしれません」


 私は答えた。否定しても仕方ない。


「でも、万が一この読みが正しかった場合、銅牌の方を縁に送ることになります。万が一のときに何かあってからでは、遅い」


 エモンがしばらく黙った。それから、小さく舌打ちして、外に出た。扉が閉まる音。


 私は地図を戻した。


 強引、という言葉は正確だと思う。根拠はあるが、確証はない。三年前と同じパターンかどうかも、今の時点ではわからない。でも、わかってから動くのでは遅すぎる。わからないから動かない、というのは判断ではない。わからないなりに、今持っている情報から出せる最善の判断をするのが仕事だ。


 その日の午後、ヨルさんが顔を出した。


 素材の持ち込みではなく、掲示板の前でじっと注意書きを読んでいた。


「ヨルさん、最近の樹海の様子はどうですか」


「なんか書いてあるから気になって」


「ちょっと聞いていいですか」


 ヨルさんをカウンターに呼んで、地図を広げた。三点の印と、経緯を説明する。ヨルさんは腕を組んで、じっと地図を見ていた。


「……先週、縁を歩いてて妙だなと思ったことがあった」


「どんな」


「いつもいる小型の魔獣が、少ない。春になると出てくるやつらが、例年より数が少ない気がした。まあ気のせいかと思ってたが」


 私はその言葉をメモした。


「数が少ない、というのは、中心が移動している可能性があります。縁から中層寄りに引っ張られているか、あるいは別の方向に逃げているか」


「……あんたの読みは」


「縁に向かって押し出されてきている、と思っています。今は移動の途中で、縁に到達し始めているのがこの三件の目撃報告かもしれない」


「ならまだ序盤か」


「そうです。だから今、動く」


 ヨルさんが少し考えて、頷いた。


「わかった。俺も少し注意して見てみる」


「ありがとうございます。何か変化があれば教えてください」


「報告書、書かないといけないか」


「書いてもらえると助かります。ただ、口頭でも構いません」


「じゃあ口頭で」


 それで十分だった。ヨルさんの樹海での観察眼は、報告書一枚以上の価値がある。


 それから数日が過ぎた。


 掲示板の注意書きに文句を言ってきた冒険者は、エモン以外にもう二人いた。一人は銀牌に近い鉄牌の中堅で、「過去にも似たようなことがあったが、結局何もなかった」と言った。私は「三年前の記録と、その際の負傷事案を確認しています」と答えた。相手は渋々納得した。もう一人は銅牌の女性で、「大げさじゃないですか」と言った。私は「大げさかもしれません。でも、ここ数日はなるべくパーティで動いてください」と頼んだ。


 大げさかもしれない、というのは本当にそう思っていた。外れることも十分ある。でも、外れたとしてもそれは「危険を過剰に見積もった」だけで、誰かが傷つくわけではない。当たって何もしていなかった場合に比べれば、大げさの方がずっとましだ。


 六日目の朝、鉄牌の三人パーティが報告書を持ってきた。


「巡回の報告です。中層の入口付近、昨日確認してきました」


 報告書を受け取りながら、私は内容を確認した。


 大型個体の足跡あり。木の幹に爪傷。地面に引きずった痕跡。それから——巣の跡が崩れていた。複数の大型が争った際に出る痕跡と一致する、とパーティリーダーは書いていた。


「縄張り争いの痕跡を確認しました」


 リーダーが静かに言った。


「中層の奥の方でやり合ってるみたいです。足跡の方向が何本もあって、交差してる。かなり最近の痕跡」


「ありがとうございます。詳しく聞かせてもらえますか」


 話を聞きながら、私はメモを取った。足跡のサイズ、爪傷の高さ、争いの痕跡の分布。全部、帳簿に記録する。状況は予測に沿っていた。大型の争いが縁に向かう動きを引き起こしている。


「注意書き、延長します。しばらく鉄牌推奨を維持します」


「それが正解だと思いますよ。縁に近いところで棘甲獣の新しい足跡も見た。縁に出てきてますね、もう」


 確認した。予測は当たっていた。


 報告書を記録し、巡回の依頼料を払い、パーティが出て行った後。


 私は地図の三点の印を、もう一度見た。それから、昨日帳簿に書いたヨルさんの「小型が少ない」というメモを確認した。それから、三年前の負傷記録のページを開いた。


 ——間に合った。


 そう思う気持ちと、三年前は間に合わなかったことが同時にある。今回は気づいたから良かった。次は、もっと早く気づけるかもしれない。あるいは、気づかない何かを見落としているかもしれない。それは今後の帳簿が教えてくれる。


 支部の扉が開いた。


「あの……」


 エモンだった。


 少し入ったところで立ち止まって、私の方を見ている。口元が少し固い。


「あの鉄牌パーティが、中層で痕跡を確認したって聞きました」


「はい」


「受付嬢さんの読みが、当たってたんですね」


「足跡の確認という点では、そうです」


 エモンがわずかに黙った。それから言った。


「……先日は、文句を言いました」


「お気持ちはわかります」


「依頼が取れなくて、腹が立ってたのは本当です。でも——」


「でも?」


「受付嬢さんが変更しなかったら、俺あのまま縁に行ってたと思います。たぶん、普通に行けたとも思いますが。でも、行ってたと思います」


 私は答えなかった。返す言葉を探したが、ちょうどいいものが見つからなかった。


「ありがとうございます、とだけ言いたかったです」


 エモンが軽く頭を下げて、出ていった。


 扉が閉まった後、私はしばらくカウンターに肘をついていた。


 ありがとう、という言葉は、今日初めて聞いた。正直、気恥ずかしさがある。感謝されるほどのことはしていない。帳簿の記録を確認して、地図に印をつけて、過去の記録と照合しただけだ。特別な能力でも、勘でもない。


 ただ、三年前の帳簿があったから、参照できた。


 三年前に記録を書いてくれた人が、誰であれ、正確に書き残してくれていたから、今日使える情報になった。今日私が書いていることも、三年後には誰かが参照するかもしれない。帳簿は一人で完結しない。時間をかけて積み上がる、集合的な記録だ。


 私は帳簿を開いた。


 今日の記録を書く。鉄牌パーティの報告内容、中層痕跡の詳細、縁への個体移動の確認。依頼推奨ランクを維持する判断とその根拠。それから一番下の行に、小さく付け加えた。


 「三年前の同種事案と照合。記録の継続が状況判断に有効。今後も月次でパターン確認を行う」


 インクが乾く。


 窓の外を、夕風が通りを抜けていった。


 今日も帳簿の辻褄は合った。それから、少し余分なものが増えた——三年前の怪我人二名の記録と、今日の「行かなかった冒険者」の話と、未来の誰かへ宛てた一文と。帳簿には全部は書けない。でも、書けることは全部書く。


 数字を並べれば、樹海の息遣いが聞こえる。


 そう思うのは少し大げさかもしれないが、今日だけは、そう思っていいような気がした。


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