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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第4話 職人の手

 午後の灰枝は眠たい。


 昼過ぎの陽が窓から斜めに差し込んで、カウンターの上に細長い四角を描いている。その中に舞うほこりが、ゆっくりと動いていた。依頼掲示板に貼り紙を一枚追加し、昨日の月次集計の照合を終え、今は来月の買取価格見直しの下書きを作っている。単調な作業だ。インクが乾く音が聞こえそうなくらい、静かだった。


 この時間帯に来る客は少ない。冒険者たちは朝か夕方に集中する。昼を過ぎると、たいてい一、二時間は誰も来ない。その静けさを私は嫌いではなかった。帳簿の計算が進む。頭の中で数字が整列する。誰にも邪魔されない事務の時間だ。


 だから扉が開いたとき、私は少しだけ顔を上げた。


 いつもの冒険者たちとは違う。最初の一歩からわかった。麻袋を引きずってくる重さがない。依頼書を握りしめた緊張もない。扉を押し開けて中を見回す目が、ここを初めて訪れた人のそれだ。


 女性だった。年のころは三十を少し過ぎたあたりか。簡素な薄茶の上着に、丈の長いエプロン。旅装ではなく、仕事着の人間が町を移動してきた、という雰囲気だった。抱えているのは麻布で丁寧に包んだ荷物で、その外側からでも形のわかる小さな壺が、いくつかある。


「いらっしゃいませ。灰枝ギルドの受付です」


 声をかけると、女性がカウンターに近づいてきた。足元は迷いなかった。物怖じしているわけではないらしい。ただ、慣れていないだけだ。


「少し伺いたいのですが」


 低めの、落ち着いた声だった。


「こちらで、薬草の加工品を買い取っていただけると聞いたのですが」


「はい。乾燥薬草、ハーブオイル、軟膏類など、素材・加工品問わず査定いたします。登録の有無に関わらず受け付けておりますので、まずはお品を見せていただけますか」


 女性が頷いて、抱えていた荷物をカウンターに置いた。


 麻布の結び目をほどく手つきが、丁寧だった。乱暴さがない。包みを傷めないように指先を使って、順序よく開いていく。慣れた動作だ、と思った。品物を扱うことに慣れた人間の、毎日の所作。


 現れたのは、乾燥薬草の束が七つと、小ぶりの陶器の壺が四つだった。


 私はまず薬草の束に手を伸ばした。


 鼻を近づける。乾いた草の匂い、その奥に通る青い筋。蒼苔ではない。スカレの葉だ。それも、乾燥が丁寧な部類だった。葉の色が均一で、くずれがなく、茎の切り口が変色していない。熱風で急いで乾かした素材は、葉の縁から茶色くなる。これはそうではなかった。時間をかけて、温度を管理しながら乾かしたものだとわかる。


 別の束を手に取る。棘草とげくさの根を刻んで乾かしたものだ。断面の色が赤みを帯びていて、正しく処理されている。刻む前に皮を剥いてある。面倒な工程だが、そうしないと有効成分が偏る。省かずにやってある。


「品質は良好です」


 素直に言った。


「すべてですか」


「はい。乾燥の均一さと保管状態、どちらも問題ありません」


 女性は小さく頷いた。それだけで、特に表情は変わらなかった。


 私は壺に手を伸ばした。


 蓋を開けていいか、目で確認する。女性が目で頷く。蓋を外すと、白みがかった淡い緑色の軟膏が現れた。匂いが、ふわっと上がってくる。


 ——あ。


 思わず少し前のめりになった。


 いい匂いだった。草の匂いだが、そこに混じるはずの動物性の油脂臭がない。普通の軟膏はラード系の油脂を使うから、どこかに獣脂の重さが残る。ギルドで扱っている標準品には、特にそれが出る。悪臭というほどではないが、慣れた鼻だとわかる。これにはそれがなかった。植物油ベースで仕上げてある。精製の手間がかかる方法だ。


 指先で表面を少し触れてみた。


 滑らかだった。粒が感じられない。均一な細かさに練り上げられている。


 私はもう少しだけ、指先の腹で質感を確かめた。薄く伸ばしてみると、すっと馴染んだ。重さがない。肌に残る感触がきれいだった。


「これ」


 口から出た。我ながら語彙がなかった。


「……すごくいいですね」


 女性の目が、わずかに動いた。驚いたというより、確認したような目だった。


「植物油をベースに使っていらっしゃいますか。精製に時間がかかる方法ですよね」


「はい」


「粒子がとても細かい。これだけ均一に練り上げるのは、なかなか難しいと思います」


 女性は短く「ありがとうございます」とだけ言った。それ以上でも以下でもない答えだった。


 私は残りの壺も確認した。三つとも、同じ品質だった。それぞれ中身が違う——一つは琥珀色の浸出油、一つは固形のハーブ膏、一つはまた別の軟膏だったが、どれも丁寧に、時間をかけて作られたものだとわかった。浸出油は澄んでいた。ガラス壺越しに光を当てると、濁りなく透き通っている。雑味が少ない証拠だ。ハーブ膏は蓋を取った瞬間に香りが立ち上がって、ミントに似た涼しさが鼻の奥を通った。原料の選定が良い。


 全部、合格だ。


 値段の希望を聞いた。


「お任せします」


 女性はそう言った。


 私は少しだけ間を置いた。お任せします、というのは二種類ある。市場価格を知っていて、任せると言う場合。それから、本当に知らないか、あるいは気にしていない場合。


 この人はどちらだろう。


 視線が、自然に女性の手に落ちた。


 カウンターの端に添えられた手。


 ——ああ。


 草の色だった。


 指先から爪の根元にかけて、黄みがかった緑の色が染み込んでいる。爪の際の部分は特に濃かった。表面に付いた汚れではない。皮膚の奥に入り込んだ色だ。何度も何度も、長い時間をかけて、草と油と溶剤を扱ってきた手の色。洗っても落ちない類の染み。職人の手に出る、仕事の痕跡だ。


 私はその手から、素早く視線を戻した。


 何かが、胸の奥で小さく動いた。


 名前をつけるのが少し難しい感覚だった。羨ましい、という言葉はちょっと違う気がした。かといって、ただ感心しているだけでもなかった。——薬草学を、私はかつて少し齧ったことがある。実家のある町に薬師の老師がいて、見習いの真似ごとを半年ほどやった。でも向いていなかった。勘が育たなかった。植物の性質を覚えることはできても、手が覚えてくれなかった。乾燥の加減、刻む厚さ、煮出す火加減——数字で管理しようとするたびに、師匠に「数字じゃわからんのだ」と言われた。数字でわからないことがわからなかった私には、向いていない道だったということだ。


 この女性の手には、私が育てられなかったものが染み込んでいた。


 いい手だな、と思った。


 言葉にならなかった。今日初めて会った人に、どう伝えればいいのかわからなかった。ただ、思った。いつかちゃんと伝えたい、とも。


 私は帳簿を取り出した。


「では、査定いたします」


 乾燥薬草から計算する。スカレの葉は標準品より品質が上なので、単価を引き上げた。棘草の根も同様だ。七束の合計を出して、声に出して告げる。


 次に壺の軟膏を計算しようとして、私はほんの少し悩んだ。


 ギルドで扱っている軟膏の標準買取価格は、壺一つあたり銅貨四だ。冒険者向けの傷薬として買い取り、倉庫に置いて必要な冒険者に売る。それが今のギルドの在庫品だ。


 ただ、今カウンターの上にある品物は、明らかにその標準品より上だった。植物油ベースの精製、均一な粒子、皮膚への馴染み。材料費と手間の両方が、標準品とは違う。同じ価格で買い取るのは、正直に言えばおかしい。


「軟膏類ですが」


「はい」


「こちらのギルドで扱っている同種の品より、品質が高いと判断します。精製の手間と材料、どちらも上等ですので、通常の買取価格より引き上げさせてください。一つあたり銅貨五で、四つで銅貨二十になります」


 女性が目を瞬かせた。


「……構いませんが、なぜそうしていただけるのですか」


「品質が高いからです」


 私は言った。


「品質には価格がつくべきです。同じものとして計上したら、帳簿の数字が正直じゃなくなりますから」


 女性は少しの間、カウンターの上の壺を見ていた。それから静かに、「ありがとうございます」と言った。今度のその言葉は、最初のものとは少し違う重さがあった。


 合計を出して、告げる。女性が頷く。銅貨を数えて差し出すと、女性は確かめるでもなくそのまま受け取った。


 台帳に記入しながら、私は一つだけ聞いた。


「お名前を伺えますか。今後も持ち込みをご希望でしたら、登録しておきます」


「フィオナです」


 短く、それだけを言った。苗字はなかった。


 私は帳簿の名前欄に「フィオナ」と書いた。その後ろに、住所や登録番号を書く欄があるが、空けておいた。今日のところは名前だけあれば足りる。


「フィオナさん、今日はありがとうございました」


「こちらこそ」


 女性——フィオナが荷物をまとめる。空になった麻布をたたんで、手提げ籠の中に入れる。動作が静かだった。無駄がなかった。


「また、品物をまとめましたら」


「はい、ぜひ持ってきてください」


 私はそう言って、少しだけ間を置いた。


「品質が良い素材は、ちゃんと値がつきますから」


 フィオナが一度だけ、こちらを見た。視線が合った瞬間、ほんの僅かに——口の端が、上がった気がした。笑った、と呼ぶには短すぎたかもしれない。でも、そうだったと思う。


 扉が開いて、閉まった。


 通りに出たフィオナの足音が、石畳の上を遠ざかっていく。


 私はしばらく、カウンターの上に視線を落としたまま座っていた。


 静かだった。さっきと同じ、午後の静けさに戻っている。陽の四角が少し動いて、カウンターの木目の色が変わっていた。


 私は自分の手を見た。


 インクの染みが、右の中指の腹にある。毎日書いているから取れない。帳簿のページをめくる指先には、紙の繊維が入り込んだような摩擦感がある。これが私の手だ。机仕事の手だ。数字を追って、書いて、確認する。草の色はどこにもない。


 フィオナの爪の際に染み込んでいた、あの黄みがかった緑。


 そちらに進んでいれば、と思うことは——たまに、ある。実家の町の薬師の師匠は、最後に「向いていない人間がいくら続けても、植物は嘘をつかないから」と言った。嘘をつかない、というのは植物の話だが、私への評価も同じことだったと思っている。あれはあれで正直な師匠だった。ただ、思ったところで仕方がない。あの道には向いていなかった。こちらにいる方が、私には性に合っている。帳簿の数字は正直で、確認できる。素材の品質は、経験を積めば読める。私がここに座っていることにも、それなりの意味がある。


 少なくとも、今日フィオナに正しい価格をつけられたのは、私がここにいたからだ。


 それでいい。


 私は帳簿を開いた。今日の取引の記録の続きを書く。


 個人卸。薬草加工品。品質A。


 名前の欄に、「フィオナ」と書いた。


 数字は全部、ここに収まっている。草の染みのことも、あの手の静かさのことも、書いた軟膏の滑らかさのことも——帳簿には書けない。でも、書けなくていいものもある。


 今日の取引を締める。合計を出す。数字に齟齬なし。


 インク壺の蓋を締めて、帳簿を閉じた。


 また来るだろう、と思った。


 フィオナは、品物を持ってまた来るだろう。その確信がどこから来るのかは、うまく説明できなかった。でも、そう思った。あの手には、まだたくさんのものが作れる。


 次に来たときも、正直に値をつけよう。


 それが私の仕事だから。


 午後の風が、少し動いたらしい。窓から差していた陽の四角がまた少し傾いて、カウンターの端が影に入った。そろそろ夕方が近づいている。もうじきヨルさんか、あるいは別の冒険者が、今日の依頼結果を持ち込んでくるだろう。


 私はペンを取り直して、来月の買取価格見直しの下書きに戻った。



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