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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第3話 白い目の少年

 新規登録の届出書は、一枚一枚が重い。

 重さは紙のことではない。書類の重さのことだ。名前と出身地と年齢と、申告された特技。それだけの情報で、見知らぬ人間の輪郭を掴まなければならない。嘘は書いていないか、矛盾はないか、申告した特技と実態がかけ離れていないか。ギルドの登録は入口に過ぎないが、入口を間違えると後が大変なことになる。

 私の仕事は、正確に書くことと、正確に読むことだ。


 その日は登録希望者が三人あった。

 事前に届出書を送ってきた者はいない。どの人間も、朝から直接ドアを叩いてきた。灰枝では珍しくない。郵便でやり取りするほどの距離にある集落がそう多くないのと、単純に、文字が不得手な者が多い。届出書を書いてもらうにしても、カウンターで向き合いながらの方が早い場合がある。


 最初に来たのは、四十過ぎに見える男だった。

 日焼けした顔に農作業で鍛えた太い腕。手の節が大きく、指の腹が厚い。この手を見れば、何年も土を掘ってきたことは誰でもわかる。首のうしろに日焼けの境界線があって、ずっと屋外で帽子をかぶって働いてきた証拠だった。

 緊張しているのか、カウンターの前に立つと何度か唾を飲んだ。


「冒険者の……登録をしたくて。今から、できますか」

「もちろんです。届出書をご記入いただきます」


 届出書を出すと、男は受け取り方が慎重だった。書類を落とさないよう、両手できちんと受け取る。几帳面な人だ。

 特技の欄で少し手が止まった。


「土地の読み方……農道の補修、それから……家畜の扱いは、書いてもいいですか」

「はい、ご自身の得意なことを正直に書いてください」

「戦闘経験は……ない。ほとんど。魔獣が集落に出たとき、皆で追い払ったことは数度ありますが」

「それも書いておいてください。銅牌10での登録になります。最初は採取依頼や護衛補助から始めることになりますが、土地読みと農業系の知識は辺境では需要があります」


 男は少し顔をほぐした。

 記入を待つ間、私は手元の帳簿を確認した。今月の登録者数。先月との比較。まだ季節の変わり目は二ヶ月先だが、毎年この時期になると農村からの転業希望者が増える。土地が痩せている、収穫が振るわない、家族に子が多くて食い扶持が足りない。理由は様々だが、冒険者登録という選択肢を選ぶ人間は後を絶たない。

 この男が何年後もギルドに籍を置いているかどうか、私には予測できない。ただ、書類を両手で受け取った人は、たいてい真剣だ。


 登録証——銅牌10——を渡すと、男は一度ぎゅっと手を握ってから、深く頭を下げた。

「ありがとうございます。頑張ります」

「お気をつけて」


 二人目は若い男だった。

 二十歳前後で、見た目は小ざっぱりしている。帳簿や荷箱を扱い慣れた動作。商家の奉公人か、行商の随行経験者だろうと最初に見当をつけた。

 届出書を確認すると、特技の欄に「算術、荷物管理、道案内(街道沿い)」とあった。出身は街道沿いの中規模集落。戦闘経験は「なし」。

 目が合うと、若者は少しだけ視線を逸らした。


「いくつか確認してもいいですか。道案内の経験——これは街道を走る荷馬車に同行した経験でしょうか」

「はい。三年ほど商隊に。主に南の街道を」

「荷物管理というのは在庫の計算も含みますか」

「一通りは。帳付けも。ただ、上の人に確認を取りながらでしたので……完全に独力かどうかと言われると」


 正直な答えだった。できることとできないことの線引きがきちんとある。こういう申告は帳簿に記録しやすい。

 銅牌10を渡しながら、護衛系の依頼よりも物品管理や帳付けが絡む依頼の方が向いているかもしれないと、心の中でだけ思った。


「登録証です。依頼を受ける際は、依頼種別を確認してからにしてください。採取依頼は一人でも受けられますが、討伐依頼は初心者向けのものを選ぶよう、ガイドに書いてあります」

「はい。ありがとうございます」


 若者が出て行く。ドアが閉まった。

 私は帳簿に二件目の記録を書き入れた。インクが乾くのを待ちながら、次の来訪者を待つ。


 三人目が入ってきたのは、昼前のことだった。

 ドアが開いた瞬間——思わず、視線が止まった。


 入ってきたのは二人組だった。

 一方は二十代半ばの男で、日焼けした肌、短めの暗い髪。軽装の革鎧に複数の武器を携行しており、身のこなしが安定している。遺跡屋か、外を歩き続ける仕事をしている人間の体だ。目が細く、笑うと人懐っこそうな顔になる。この手の人間は何人も見た。外を知っている冒険者だ。

 もう一方が——少年だった。

 歳は十代の半ばか、あるいはもう少し上か。細身で、背はまだそれほどない。革鎧は着ているが、体に馴染んでいない。新しい。カウンターに近づいてくるその歩き方には、荒野を歩いてきた緊張感が残っていた。

 でも。

 その目が——少し、違った。


 虹彩の色が薄い。白に近い灰色。曇ったような、あるいは曇りの奥に何かが透けて見えるような——光の宿り方が、普通と違う気がした。

 気のせいかもしれない。ランプの角度のせいかもしれない。

 ただ、帳簿の数字を読み続ける目というのは、他人の目をよく見る。この少年の目は、私が今まで見てきた目の中に、あまり記憶がなかった。


「登録をお願いしたいんだが」

 年長の男が口を開いた。「俺はすでに登録済みで、こっちが新規だ」

「わかりました。届出書をご記入いただきます」


 書類を二枚出しかけて、一枚引っ込めた。年長の男が「ありがとう」と言って、少年の方を促す。


 少年が届出書を受け取った。受け取り方が、最初の農夫の男とは少し違った。書類を見る前に、一瞬——カウンターの上の、何もない空間を見た。いや、見た、というより、確かめた、という感じだった。それから届出書に視線を落として、文字を読み始める。


「名前の書き方を教えてもらえますか」

 少年が顔を上げた。声は低くはなく、かといって高くもない。迷いのある声だった。

「お名前を漢字で書いてください。ルビを振っていただけると助かります」

「……ユーリ、っていいます。字は」


 年長の男が横から「ここに書いてある字でいい」と言って、届出書の一角を指で示した。あらかじめ少年の名前を書き留めたメモを持っていたようだ。手慣れている。こういう場に何度も同行したことがある人間の動きだ。

 少年——ユーリという名の——が届出書に字を写し始める。


 私は年長の男の方に顔を向けた。

「保護者の方でいらっしゃいますか」

「保護者っていうか……まあ、連れてきた人間だな。カイっていう。鉄牌の登録者だ」


 カイ、という名前を確認票の端に書き留めた。後で照合できるように。


 ユーリが届出書を記入し終えて、カウンターに置いた。

 私は書類を引き取って、確認を始めた。


 名前、年齢——十五か十六、正確な記載があった——出身地。


 ……出身地の欄を読んだとき、私の指が少し止まった。


 「極東集落・遥辺はるべ


 遥辺。

 私は帳簿の端に視線を流した。頭の中の記録を引き出す。灰枝支部の登録者台帳は、就任してからの全件を私が整理している。前任者の記録も、着任時に精査した。さらにその前の記録も、古い棚に残っているものはすべて確認した。

 遥辺からの登録者は、一件もない。


 辺境の集落はいくつもある。その多くが小さく、ギルドとの関わりが薄い。ただ、まったくゼロというのは——珍しい。遥辺という地名は、記録の端に一度だけ現れたことがある。物資の流通記録の、末端に近いところだった。

 存在はしている集落だ。ただ、そこから冒険者が来たことは、少なくともこの支部では一度もなかった。


 特技の欄を読んだ。

 「索敵能力(魔素感知)、採取経験(薬草・素材)、魔獣の習性に関する知識」


 魔素感知。


 私は目を上げた。少年——ユーリ——が、静かにカウンターの前に立っていた。


「確認させてください。索敵能力として魔素感知と書いていますが、具体的にはどのような」

「……えっと」

 少年が少し迷ってから言った。「魔素の……粒が見えます。濃さと、流れが。それで、魔獣がどこにいるか、大体わかります」

「魔素感知ですか。珍しいですね」


 珍しい、というのは控えめな言い方だった。辺境でも、都市でも、魔素を感知できる人間は多くない。感知に長けた者は魔法使いとしての素養が高く、魔法の扱いに優れることが多い。


「魔法の素養は?」

「……ゼロです」

 少年がためらいなく、端的に言った。「魔法は、使えません」


 私はペンを持ったまま、もう一度確認した。

「魔法なしで魔素感知……」


 カイという男が、横で肩をすくめた。

「変わってるだろ。でも本物だよ。百歩先の魔獣を感知する」


 私はペンを動かしながら、ユーリの顔を見た。少年は視線を逸らさなかった。私の目を見ているようで、あるいはカウンターの上の何かを見ているようでもあった。


 そのとき、少年の視線が手元のペンに落ちた。そのまま、インク壺を見た。それから、カウンターの端に置いてある素材の見本——鑑定士に依頼する前の、蒼苔の乾燥品が小瓶に入っている——に、一瞬だけ目が向いた。

 素早い確認だった。ほとんど意識的でなく、ただ——見えるから見た、という感じの動作だった。


「……それ、かなり品質がいいですね」

 ユーリが言った。

「蒼苔ですか?」

「はい。……あの、瓶の中の。なんか、粒が均等で、密度が高い」

「ご名答です。今月の入荷品の中では最上等に近い品です。どこで判断しましたか」

「……粒の」

 少年が言いかけて、言い直した。「なんとなく、質が高そうに見えて。色の深さと……あと、光の通り方が、普通の蒼苔と違います」


 光の通り方。

 私は蒼苔の小瓶をちらりと見た。今は窓から外光が差し込んでいる。確かに光は当たっているが、それで品質を判断できるとは——通常の人間には難しい。鑑定士が長年の経験で培う感覚だ。少年は一瞥しただけで、それを言い当てた。


 私は帳簿を開いた。ユーリの記録を書き始める。


 名前。出身地。年齢。特技。戦闘経験——「採取時の魔獣との接触あり、直接戦闘経験なし」という申告だった。

 ランクは銅牌10。


 そして、備考欄。

 ここには、公式の申告事項ではない情報を記録する。私個人の観察と、後の参照のための注記だ。


 ペンを持ったまま、少し考えた。

 遥辺からの初登録者。魔法なしの魔素感知。素材の品質を一瞥で見抜く目。戦闘経験はほぼない。でも、この少年には何かある。帳簿の言葉で言うなら——数字が、まだ出ていない。


 私は備考欄に書いた。

 「要経過観察——探知能力・極めて高い」


 それだけにした。それ以上書くべき根拠を、今の私は持っていない。


「銅牌10での登録です」

 登録証を出した。金属のプレートがカウンターの上に乗る。ユーリがそれを見て、両手で取った。

「ありがとうございます」

「依頼を受ける際はランクに注意してください。最初は採取依頼から始めることを推奨します。魔獣討伐は、まず低級のものを一人でこなせるようになってから」

「わかりました」


 ユーリが登録証をしっかり握った。カイの方を見る。カイが「行くぞ」と顎で出口を示した。

 二人が連れ立って、扉の方へ歩く。


 私はそのとき、カイの背中を見た。

 遺跡屋、と最初に思った。外を歩く人間だとも。ただ——この男は、単に灰枝に立ち寄った冒険者ではない。登録の手続きを知っている。書類の場所を知っている。少年の名前をメモで持ってきていた。ユーリに対して指示を出すでも急かすでもなく、ただ横にいた。遠い集落の少年を、ここまで連れてきた人間。

 あの少年が外の世界に出てきたのは、この男が連れ出したからだ。


 カイが扉を押し開けた。外の光が差し込んで、二人の影が石畳の通りに伸びる。ユーリが登録証を握ったまま、一度だけ外を見た。その横顔が、窓からの光に薄く照らされて——目の色が、また少し違う色に見えた気がした。

 扉が閉まった。


 カウンターに一人残って、帳簿を見た。

 今日の登録者数、三件。最後の欄に書いた名前——ユーリ——に、インクが乾きかけている。


 遥辺から来た少年。

 魔法は使えない。魔素が見える。品質の差を一瞬で読み取る。戦闘経験はほぼない。でも、外を歩いてきた目をしていた。

 備考欄を一度だけ、指でなぞった。「要経過観察——探知能力・極めて高い」


 彼がこれからどんな依頼を選んで、どんな記録を積んでいくのか、私には見えない。帳簿は今この瞬間までしか書けない。

 ただ、カウンターの向こうを、何千人も見てきた感覚が言っている。

 ——あの少年は、また戻ってくる。次に戻ってきたとき、帳簿の数字は変わっているだろう。どう変わるかは、まだわからない。


 窓の外で、棘鱗の風鈴がかすかに鳴った。

 通りはいつもと同じように静かで、遠くに石畳の足音が消えていった。

 事務室はいつもと同じ、小さな空間だった。


 それなのに——帳簿を閉じながら、どこかが、少しだけ違う気がした。


 普段と違う風が、一度だけ吹き込んで出て行った。そんな感じ。

 カウンターを布で拭いて、インク壺の蓋を閉める。窓の外には昼前の光が差し込んでいて、灰枝の通りは変わりなく動いている。


 今日の午後も、帳簿仕事が待っている。

 ただ、今日に限ってはもう少しだけ、あの白っぽい目のことを考えていた。

 あの少年はどこへ行くのだろう。灰枝の外に出て、どんな景色を見るのだろう。

 帳簿には書けないそれを、私は心の中だけに仕舞った。


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