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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第2話 鱗の産地

 その日、素材の持ち込みは午前中だけで四件あった。


 灰枝の春は短い。樹海の雪解けが進むにつれて採取できる素材が増え、魔獣の活動域が広がる。冒険者たちは日の長いうちに動こうとするから、支部への持ち込みは自然と午前に集中する。私は開店前に買取帳簿と秤を用意し、鑑定用の布と小刀を手元に置いて、最初の客を待った。


 蒼苔、牙材、鱗粉、そして——棘鱗。

 四件目の持ち込みが来たとき、私は思わず少し前のめりになった。


「鉄牌パーティ、〈岩刃がんじん〉です。棘鱗の持ち込みと、依頼完了の報告をお願いしたい」


 カウンターの前に立ったのは、三十代と思しき男だった。顔に古い傷跡がある。目つきは鋭いが声は落ち着いていて、冒険者の中でも経験を積んだ種類の人間だとわかる。後ろに二人、いずれも武装した同行者がいた。

 男が麻布の包みをカウンターに乗せる。ずっしりとした重さが、音でわかった。


「内容を確認させてください」


 私は包みを開いた。


 棘鱗とげうろこ——ちゃんとした名前は棘甲獣きょくこうじゅうというが、灰枝では通称で呼ばれる——は、樹海に生息する大型の魔獣だ。背中から尾にかけて硬質の鱗が並んでいて、その鱗は武具や防具の素材として高値で取引される。ただし、個体の生息域によって品質に大きな差が出る。樹海の縁に近い個体は光と乾燥にさらされて鱗が薄くなりやすく、奥地の中層以深に棲む個体は厚みがあり、光沢が強い。


 布の中に、鱗が十二枚あった。

 私は一枚を手に取った。


 ……。


 重い。想像より、ずっと重い。


「採取場所を確認させてください」


「樹海の縁です。東側の、低木帯が切れる手前あたり」


 私は答えず、もう少し鱗を見た。

 表面の光沢が強い。縁付近の棘甲獣は陽光を多く受けるため、鱗の表面が乾いてやや白みがかる傾向がある。これは違う。濃い青灰色で、光を当てると微妙な緑がかった輝きが出る。奥地の個体に見られる特徴だ。

 指の腹で触れると、縁はわずかに引っかかる感触がある。削れていない。縁の個体は低木や岩肌に体をこすりつけることが多く、鱗の縁に細かい傷がつきやすい。これは鱗の縁が整っている。生活環境に岩肌の摩擦が少ない、ということだ。


 次に、鱗を裏返した。

 裏面の色が白い。新鮮だ。剥離してから時間が経っていない。乾燥が始まったばかりの断面は、外側から内側にかけて淡い青から白へとグラデーションが出る。縁の個体は鱗自体が薄いため、断面は一様に淡い。これは断面の厚みがある。厚みがあって、かつ外側の青が濃く、内側の白との差がはっきりしている。


「……」


 もう一枚、別の鱗を手に取る。今度は鱗の根元付近を確認した。

 根元——鱗が体に付着していた側——に、土が残っている。赤みがかった、粘土質の土。


 樹海の縁の土は砂混じりで薄い茶色だ。岩盤の露出が多い地域では灰色がかる。赤土は——中層の、沢沿いの低地に多い。水分を含んで締まった土で、樹海の奥へ向かうにつれて増える。


「少々お待ちください」


 私は鱗を丁寧に布の上に戻し、乾燥した血のついた部分を小刀の背で軽く掻いた。剥がれた血の粉末を指先で取る。乾いた血は産地の植物の匂いを吸っている。鼻を近づける。


 草の匂い。湿った草。日当たりの悪い場所に育つ低草の種類だ。縁の乾燥した草地の匂いではない。


 全部、合わない。


「〈岩刃〉さんのパーティは鉄牌ですね」

「そうです。登録は二年になります」

「鉄牌の活動範囲は樹海の縁から中層入口まで、という確認でよろしいですか」

「はい」


 男の顔が、わずかに固くなった。気づいている。私が何かを見つけたことに。


「鱗を確認したところ、産地について確認したいことがあります」

「縁だと申告しました」

「はい、伺いました」


 私はカウンターに肘をついて、静かに言った。


「ただ、この鱗の特徴が、縁の個体とは少し違います。光沢の色味、断面の厚みと色のグラデーション、それから根元に残っている土が赤みがかった粘土質です。樹海の縁に赤土が出るのは、東側のごく限られた地点だけで、棘甲獣の生息が確認されている場所とは重ならない。鱗の縁の傷もほとんどない。縁の個体が低木帯で体をこすった痕跡が見られないのも、気になります」


 男は答えなかった。

 後ろに立つ二人が、互いに顔を見合わせるのが見えた。


「申告の『樹海の縁』というのが、中層に近い側の縁——つまり実質的には中層の入口付近を指すとすれば、これらの特徴はつじつまが合います。鉄牌の範囲内です」


 私は少し間を置いた。


「ただ、帳簿上の産地情報が実際と違うと、困ることが起きます」


「……どういうことだ」


 男がようやく口を開いた。声は低く、剣呑ではない。聞いている。


「この鱗の買取価格を決めるためだけの話ではありません。産地情報は、この帳簿を参照した別の冒険者が次に動くときの情報になります。棘甲獣が縁に出た、という記録があれば、銅牌の採取者が縁に入る判断材料になる。でも実際は中層寄りで、銅牌には手に余る個体が縁に近づいていたとしたら——」


 男が目を細めた。


「……なるほど」


「今年の春は雪解けが早いです。棘甲獣の移動域が変わる可能性がある。帳簿の産地情報が正確であれば、縁に近づく冒険者に正しい危険度を伝えられる。そうでなければ、誰かが想定より手強い相手に遭遇するかもしれない」


 少し沈黙があった。

 後ろの二人のうち、若い方が小声で何か言った。男が手で制した。それから、ため息をついた。


「……中層の入口から三百歩入ったあたりだ。沢を越えた先の斜面に出た。縁の申告にしたのは——正直、面倒だと思ったからだ。産地の詳細を問われると思って」


「問います」

「……わかってる」


 男は苦く笑った。


「訂正してください。申告書の産地の欄を」

「書き直しでいいか」

「訂正印を押した上で書き直してください。元の記載が残る形で」


 男は頷き、申告書を受け取った。産地の欄に訂正印を押し、横に「中層入口より三百歩・沢越え斜面」と書き加える。読みやすい、慣れた字だった。


「ありがとうございます。それでは鑑定します」


 私は改めて鱗を手に取り、一枚ずつ確認した。十二枚、どれも質が均一だ。同一個体から丁寧に剥離している。剥離の技術も悪くない。断面に余計な傷がなく、鱗の完全性が保たれている。

 厚み。色。光沢。縁の整い方。


 品質は上だ。はっきりと。中層の個体は縁より体が大きく、鱗も厚い。同じ部位の鱗でも、素材としての強度が違う。武具に仕上げたときの耐久性に直接影響する。


「鱗十二枚、品質を上で査定します。枚あたり銅貨十五で、合計銅貨百八十になります」


「……上か」


 男が少し意外そうな顔をした。


「縁の申告だと、どう査定が変わった?」

「品質並で、枚あたり銅貨十。合計銀貨一枚と銅貨二十でした」

「……正直に申告した方が高いのか」


「だいたい、そういうことになります」


 男は首を振った。呆れたような、それでいて妙に晴れ晴れとした顔で。


「灰枝の受付嬢ってのは、噂に聞いてたが」

「噂ですか」

「素材を見ただけで産地がわかる、って話だ」


 私は帳簿に数字を記入しながら、少し笑った。

 噂というより、経験の積み重ねだ。ここ数年で持ち込まれた素材の記録が、帳簿の中に全部ある。産地ごとの特徴、季節ごとの品質の変化、個体差の範囲。帳簿は記録であり、私の参照先でもある。


「見ているとわかります。ただそれだけです」

「見ているだけで?」

「触って、匂いを嗅いで、重さを量ります。あとは帳簿の記録と比べる」


 男はうなずいた。

 銅貨百八十を受け取り、依頼完了の書類にも署名をする。〈岩刃〉のパーティ名、対象依頼の番号、完了日時、採取物の内訳。項目は多いが男は慣れていて、書き漏れがなかった。


「もう一つ、聞いていいか」


 書類を返しながら、男が言った。


「あんたが産地を訂正させたのは、買取価格を正確にするためだけじゃないだろう」

「言った通りです。帳簿の記録が正確でないと、次の人が判断を誤る」

「それが本気だとわかるのが、なんというか……」


 男は少し考えて、言葉を選んだ。


「真っ当だと思う」


 私は答えなかった。答える必要がなかった。

 帳簿の産地情報は、生きた情報だ。書かれた数字が誰かの判断の根拠になり、その判断が誰かの命に関わる。大げさに聞こえるかもしれないが、辺境の冒険者仕事でそれは現実だ。棘甲獣の生息域が一歩違えば、想定した相手と実際の相手が違う。準備が足りない状態で遭遇すれば、最悪の結果になる。

 私の帳簿が正確であることは、私の仕事の精度を示すためだけではない。


「また来てください。産地の申告は詳しく書いてもらえると助かります」

「覚えておく。精確に書く」

「ありがとうございます」


 〈岩刃〉のパーティが支部を出て行くのを見送りながら、私は帳簿を確認した。


 棘鱗十二枚、産地・中層入口より三百歩、品質上、買取銅貨百八十。

 訂正印あり。


 訂正印のついた行を一度だけ指でなぞった。訂正された記録は消えない。訂正前の記載も残る。修正の経緯も、帳簿の中の事実だ。


 ——ヨルさんもそうだったが、産地を曖昧にする冒険者は多い。悪意があるわけではない。縁と中層の境目はあいまいで、本人にとっては「だいたいあのあたり」という感覚なのだと思う。ただ、その「だいたい」が帳簿に乗ってしまうと、積み重なって情報が歪む。私がここで見ているのは灰枝の一支部のことだけだが、全体の帳簿は繋がっている。本部の記録と、各支部の買取履歴と、産地ごとの素材流通量と。一箇所の「だいたい」は、どこかの集計に小さな誤差として滑り込む。


 誤差が命取りになることは、ある。


 昼を過ぎると持ち込みは落ち着いた。午後は書類仕事の時間だ。

 午前の取引を帳簿に転記し、今週の素材在庫の集計をまとめる。蒼苔は先週のヨルさんの持ち込みで在庫が戻ったが、今週また薬師組合からの引き合いが来ていた。蒼苔の需要が増えている。春先の怪我や病気が増える時期と、採取依頼のサイクルがうまく噛み合えばいい。


 棘鱗の在庫欄を更新しながら、今日の〈岩刃〉の件を考えた。

 中層入口から三百歩、沢越えの斜面。それほど深い場所ではないが、縁よりは確実に危険が増す。鉄牌のパーティなら問題ない範囲だ。ただ——今年の春の雪解けが早い。棘甲獣の移動域が縁に向けて広がっている可能性がある。


 帳簿の産地欄を過去一か月分、さかのぼって確認した。

 棘甲獣の素材持ち込みは今月に入って五件。先月は二件だった。採取場所は——縁が三件、中層入口付近が二件。今日の〈岩刃〉の件を加えると、中層入口付近が三件になる。比率が変わっている。


 私は別の紙に簡単なメモを書いた。

 棘甲獣、今月の産地分布。縁寄りの件数が増加傾向か、要観察。銅牌以下の冒険者が縁への採取依頼を受ける際、今年は注意喚起を追記する。


 掲示板を確認しに行き、棘鱗獣の討伐依頼の張り紙の下欄に小さく書き添えた。今春は移動域変化の可能性あり。単独行動注意。


 これも帳簿仕事の一部だ。数字を集計するだけでなく、集計した数字から見えてくることを次の判断に繋げる。気づいたことを書き留め、必要な場所に情報を置く。


 夕方になった。

 最後の客は依頼の確認に来た若い冒険者で、銅牌登録から間もない様子だった。採取依頼の内容について質問があったらしく、素材の見分け方を聞いてくる。


「蒼苔って、どれが品質いいやつですか」


「色が濃い方が良いです。根元が太くて、潰したときに弾力があるもの。ただ、産地による差が大きいので、採取した場所をしっかり申告してもらえると、次の参考になります」


「産地って、そんなに大事なんですか」


「素材の品質と産地は関係しています。どこで採れたものがどんな品質だったか、帳簿に記録されていると、次に採取に行く冒険者が計画を立てやすくなります」


 若い冒険者は素直に頷いた。


「じゃあ、ちゃんと書きます」


「ありがとうございます。場所がわからなくなったら、地図を見ながら確認しますので、遠慮なく聞いてください」


 その言葉に若い冒険者は少し安心した顔をして、依頼書を受け取って帰っていった。


 帳簿を閉じたのは、陽が窓の端に差し掛かった頃だった。


 今日の買取は棘鱗十二枚を含む計六件。依頼受理が四件、完了報告が三件。訂正が一件。


 訂正が一件。

 この一件のおかげで、帳簿の中の棘甲獣の産地記録が、少しだけ正確になった。少しだけ、次の判断が正しくなる。


 カウンターを拭きながら、〈岩刃〉のパーティリーダーの言葉を思い出した。真っ当だと思う、と言っていた。

 特別なことをしているつもりはない。帳簿は記録のためにある。記録が正確でなければ、記録している意味がない。ただそれだけのことだ。

 でも、その「ただそれだけ」が案外難しいのだと、毎日のように実感している。


 数字は嘘をつかない。

 嘘があるとすれば、それは数字を書いた人間の側にある——そう思っていたけれど、今日少し修正した。


 嘘、とは限らない。面倒、ということがある。曖昧、ということがある。本人も気づいていない間違い、ということがある。それらを全部ひっくるめて、帳簿の数字は静かに吸収している。

 私の仕事は、その吸収されたものを一つずつ取り出して、正しい場所に戻すことだ。


 ランプを消して、鍵を閉める。

 石畳の通りに出ると、夕陽が西の山の端に落ちかけていた。棘鱗の風鈴が、夕風に揺れて鳴っている。ヨルさんが今日も樹海のどこかにいるだろうか。今度来たときは、産地を正確に書いてくれるといい。


 明日は春の棘甲獣の移動域について、もう少し調べてみよう。

 過去の帳簿を引っ張り出して、春先の産地分布の変化を確認する。もし規則性があれば、掲示に反映できる。何もなければ、それはそれで一つの記録になる。


 帳簿というのは、書かれることだけでなく、書かれなかったことの痕跡でもある。

 今日もその厚みが、少しだけ増した。


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