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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第11話 帳簿は読まれなければ

 テオが最後に受付カウンターに来たのは、十日前だった。


 採取依頼の出発前確認。手続きは簡単なものだった。依頼票に記名して、予定地と予定日数を口頭で告げる。銅牌の冒険者には義務ではない手続きだが、テオは毎回きちんとやっていた。几帳面な性格なのか、それとも習慣なのか。三ヶ月前に登録してから、一度も欠かしたことがない。


「樹海の縁、採取依頼です。蒼苔と薬草類。三日で戻ります」


 そう言って、テオは出ていった。


 三日が過ぎた。五日が過ぎた。十日が経った。


 三日目の夕方、私は確認のために出発前確認の台帳を引き出した。記録がある。テオ、銅牌、採取依頼、三日予定。遅れることはある。天候が崩れれば、樹海の中での移動は思うように進まない。素材の採取量が予定を超えたなら、もう一泊するのは不合理ではない。銅牌の冒険者が縁で採取依頼を行う場合、そう大きな危険はない。そう思って、台帳を棚に戻した。


 五日目の朝、もう一度確認した。まだ帰っていない。灰枝の規模では、他の冒険者から情報が上がることもある。ヨルさんや他の熟練冒険者が樹海に出入りする際、見かけた人物について話してくれることがある。五日目には、そういう情報もなかった。少し長い、とは思った。ただ、規定の期日はまだ来ていない。待った。


 七日目。帰っていない。外の天候は落ち着いていた。遅れる理由として考えられる要因が、一つずつ消えていく。


 そして十日目の今朝、私はテオの帳簿を棚から引き出した。


 ギルド規定では、申告した帰還予定日から三日を超えて音信不通の冒険者には、支部が不在届を発行し、状況に応じて捜索依頼を起票する義務がある。三日以内なら「遅れ」で済む。三日を超えると「不在」になる。線引きは明確だ。私は三日目から数えて七日間、規定の期日を超えていた。それでも手続きを起票するには十分な根拠があった。


 不在届の用紙は、棚の決まった場所にある。使う機会が少ないことを、今まではありがたいと思っていた。今朝は、それが少し違う重さに感じた。用紙を机の上に置いて、テオの帳簿と並べる。


 帳簿を開く前に、一度深呼吸をした。


 数字を確認するのが朝の最初の仕事だ。いつもそうだ。今日も、それは変わらない。


 テオが登録したのは三ヶ月と少し前。最初の記録は蒼苔の採取、五十グレン。産地は樹海の縁、採取場所の欄には「縁・東側の岩場」とある。初回の帳簿記入は私がほとんど手伝った。書き方に不慣れで、鉛筆で仮書きしたあとをインクでなぞっていた。文字が少し揺れている。


 ページをめくる。


 二度目の記録。三週間後。蒼苔と柔苔の混合採取。産地の欄には「縁・東側」とある。重量は先回とほぼ同じ。前回より柔苔の比率が少し高い。柔苔は縁でも採れるが、日当たりの良い場所より、ほんの少し木陰に入った場所の方が密生する。


 三度目。一ヶ月後。蒼苔と白実草の採取。「縁・東側、一部中寄り」。


 私は手を止めた。


 一部中寄り。


 当時、私はこの文字を見て何を思っただろう。何も思わなかった、と思う。銅牌の採取依頼として、この程度の移動は珍しくない。縁の東側を軸に、少し探索範囲を広げた、それだけだ。問題ない範囲だ。帳簿にはそう書いてある。


 ページをめくり続ける。


 四度目。「縁・東寄り」。五度目。「縁・東側から中程」。六度目。「縁・中寄り」。七度目。「縁から少し奥、沢筋の入り口付近」。


 一件一件を並べると、わかる。


 移動している。


 一回の移動量は小さい。「少し奥」「中寄り」「入り口付近」。どれも、単体で見れば問題のある記録ではない。銅牌が立ち入れる区域の中でも、縁に近い側から奥寄りに変わっているだけだ。超過ではない。申告通りの範囲だ。


 ただ、積み重ねると違う。


 三ヶ月で、テオの採取地点は縁の入り口から、縁と中層の境界付近まで移動していた。一歩ずつ。毎回、少しずつ。


 売却記録も確認する。


 最初の三件は蒼苔と柔苔が中心で、どちらも縁で普通に採れる素材だ。ところが中頃から、記録に沢筋の草が混ざってくる。小沢蘭、水苔。どちらも低地の湿った場所、沢の縁に生えるものだ。縁の端の方でも採れないわけではないが、量が出るのは奥に入ってからだ。それから日陰草。これは日当たりの悪い密林の中に自生する。縁の端に日陰がないとは言わないが——テオの日陰草の持ち込み量は、直近三件で倍近く増えていた。


 私は帳簿をめくる手を止めた。


 全部、ここに書いてある。売却素材の産地は、実際には申告していない場合もある。素材の種類と状態から、ある程度は読める。読もうとすれば、読めた。


 でも、私は読んでいなかった。


 一件一件を処理するたびに、手続きを確認して、素材を計量して、金額を計算して、帳簿に書いた。それだけだった。横に並べることを、しなかった。


 外の通りで荷馬車が通る音がした。朝の灰枝は静かだが、動いている。通りを渡る足音が一つ、二つ。世界はいつも通りに動いている。


 私は不在届の用紙を手に取った。


 名前の欄に、テオの名前を書く。登録番号。銅牌。最終確認日。最後の申告内容。「樹海の縁、採取依頼、三日予定、未帰還」。帰還期日超過日数、十日。捜索推奨区域——ここで、私は少し手が止まる。


 申告地点は縁だ。ただ、テオの実際の採取地点の推移を見るなら、今回の「樹海の縁」が字義通りの「縁の入り口付近」ではないことは、ほぼ確実だ。最後の三件の売却記録を参照するなら、彼が向かっていたのは縁と中層の間、銅牌の許容区域ぎりぎりか、あるいはわずかに越えたあたりだ。


 私は「捜索推奨区域」の欄に書いた。「申告地点(縁)に加え、縁から中層手前の移行帯を含む区域。直近の採取記録との照合による推定」。それから、備考欄に一行添える。「捜索難易度・鉄牌推奨。緊急準備金からの報酬充当を申請」。


 書き終えて、ペンを置く。


 掲示板に貼り出す前に、もう一度確認した。数字に誤りはない。推定の根拠も書いた。手続きは正確だ。


 ただ、正確な手続きが今日必要になったのは、なぜか。


 それを考えると、少し違うものが胸の中に落ちてくる。


 掲示板に不在届を貼り出したのは、午前の受付が始まってすぐのことだった。


 冒険者が何人か、立ち止まって見ていった。特に何も言わない人もいれば、顔をしかめる人もいる。こういう紙は、あまり見たくないものだ。読まなくていいなら、読みたくない。


「テオか」


 昼前に顔を出したのは、ヨルさんだった。定期の報告書を提出しに来たところで、掲示板の紙を見て足を止めた。


「はい。十日、音信不通です」


「樹海の縁の採取だろ」


「申告上は、そうです」


 私は短く答えた。ヨルさんがゆっくりと振り向く。


「申告上は、ってことは——」


「採取記録の推移から、実際には縁と中層の移行帯まで入っていた可能性があります。捜索区域に含めています」


 ヨルさんが黙って掲示板を見る。しばらくして、報告書をカウンターに置いた。


「行く」


「報酬は緊急準備金からです。鉄牌相当——」


「いい。そういう話じゃなく」


 それだけだった。ヨルさんは報告書の記入を済ませると、来た時と同じ大股で外に出ていった。昼過ぎには装備を整えて発つのだろう、と思った。あの人は早い。


 翌朝、テオは戻ってきた。正確には、ヨルさんが担いで戻ってきた。


 縁と中層の間の移行帯、私が推定した区域のさらに少し奥。沢沿いの急な崖で足を滑らせ、下の窪地に落ちていた。脚の骨が折れていた。自力では這い上がれない深さで、水と食べ物を切らし始めていたところを見つけてもらった、ということだった。


 あと一日遅ければ、どうなっていたかわからない。


 ヨルさんは「まあ生きてたよ」とだけ言って、テオを治癒師の建物の前に降ろした。治癒師が飛び出てきて、テオの脚を見て、すぐに中に運び込んだ。その一連の動きが、ひどく早かった。早くしなければならないくらい、状態が良くなかった、ということだ。


 テオは意識があった。ヨルさんに背負われながら、どこか恥ずかしそうな顔をしていた。目が合ったとき、私に向かって小さく頭を下げた。謝っているのか、礼を言っているのか、どちらとも取れる仕草だった。


 それを見て、私は胸が少し緩んだ。生きていた。それだけで、今日のところは十分だ。怒りも、安堵も、今はまだ整理がついていない。ただ、生きて戻ってきた。それだけが、今この場所で確認できることだった。


 ヨルさんが帰りがけにカウンターに寄った。


「いたよ。おまえの読み通りの場所に」


「ありがとうございました」


 ヨルさんは何も言わずに頷いて、出ていった。


 夕方、受付を締めた後、私は事務室に残った。テオの帳簿を、もう一度開く。


 特に目的があったわけではない。ただ、開いた。


 最初の記録から、指でページをめくる。初回。二回目。三回目。縁から、少しずつ奥へ。採取地点の欄の文字が、三ヶ月をかけて静かに動いている。売却記録の素材の種類が、ゆっくりと変わっていく。沢筋の草が増える。日陰草が増える。


 線は、ここにあった。ずっと、ここにあった。


 私は指を動かすのを止めた。


 気づけた、と思う。できた、と思う。もっと早い段階で、一件一件ではなく全体を並べて見ていれば——三ヶ月分の記録を横に並べれば、採取地点が少しずつ動いていることは読めた。素材の種類の変化も、読めた。その時点でテオを呼んで、話ができた。「最近、少し奥に入っていませんか。銅牌の区域の端になります。確認です」。それだけでよかった。


 でも、しなかった。


 一件一件、丁寧に処理していた。帳簿に正確に書いた。問題のある記録はなかったから、問題なしと判断した。それだけだった。次の案件に移った。別の人の書類を処理した。棚卸しをして、月次報告書を書いた。忙しいというほどではなかったが、手は常に動いていた。


 もっと早く気づけたはずだ。


 その言葉が、静かに落ちてきた。責めているわけではない。ただ、事実だ。帳簿は正直だった。情報は全部ここにあった。私が読まなかっただけだ。


 灰枝支部の冒険者台帳は、私が管理している。台帳に記録するだけでなく、記録を読む責任も、私にある。一件ずつ処理することと、全体を見ることは、別の作業だ。私は前者だけをしていた。


 テオが悪意を持っていたとは思わない。おそらく、少し踏み込んだ先に良い素材があって、そのまた少し奥にもっと良い素材があった。一回ずつの判断は、たいして大きなものではなかったはずだ。いつの間にか、積み重なった。境界は気づかないうちに越えていた。それは若い冒険者には珍しくないことだ。


 だからこそ、外から見ている人間が、全体を見なければならない。一件一件は問題ない。でも積み上げると見える何かがある。その「積み上げると見える何か」を読むのが、帳簿を持っている人間の仕事だ。テオ自身は、全体の推移を紙の上に並べていない。自分の記憶の中で、少しずつ歩いてきた。私は三ヶ月分を手元に持っていた。


 それでも、読まなかった。


 テオは今夜、治癒師の部屋で眠っているだろう。脚の回復には数週間かかると聞いた。若いから、ちゃんと治る、とも聞いた。それは良かった。本当に、良かった。


 帳簿の最後のページに、今日の日付で記録を書いた。「不在届発行、捜索依頼起票。ヨル(鉄牌)による発見・搬送。怪我あり、命に別状なし。捜索完了、依頼クローズ」。


 ペンを置いて、インクが乾くのを待つ。


 窓の外は暗い。通りの石畳が月明かりに光っている。棘鱗の風鈴が、かすかな夜風に鳴る。いつもと同じ灰枝の夜だ。


 私は帳簿の最初のページに戻って、テオの三ヶ月分の記録をもう一度、最初から指でなぞった。縁から始まって、少しずつ、少しずつ奥へ。指を動かすたびに、移動の軌跡がはっきりと見える。


 今は見える。


 見えなかったとき、ここに何があったか。同じ記録だ。同じ数字だ。ただ、読まれていなかっただけだ。


 明日、テオが少し落ち着いたら、会いに行く。回復の様子を確認する必要があるし、今後の採取ルートについても話しておく必要がある。責めるためではなく、確認のために。次に出発するときは、申告地点と実際の採取地点を正直に書いてもらう。それだけでいい。


 ただ、今夜はまだ、話しに行かない。


 私は帳簿をゆっくりと閉じた。表紙の木目が、ランプの光の中で鈍く光る。三ヶ月分の記録が、厚みになって手の中にある。


 帳簿は正直だ。書いてあることに嘘はない。


 ただ、帳簿は読まれなければ、ただの紙だ。


 数字は、読む人間があって初めて意味を持つ。私はそれを知っていたつもりだった。今夜、少しだけ違う形で、同じことを知った。


 ランプを吹き消す前に、もう一度帳簿の背表紙を見た。テオの名前と登録番号が、丁寧に書いてある。明日からまた、記録が積み重なっていくはずだ。今度は、全体を並べて読む。


 ランプを消した。



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