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辺境ギルドの受付嬢ですが、冒険者の嘘は帳簿でぜんぶバレます  作者: 蒼月よる


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第1話 蒼苔の重さ

 朝の灰枝は静かだ。

 石畳の通りにはまだ人影が少なく、道具屋の軒先に吊るされた棘鱗の風鈴だけが、かすかな風に鳴っている。肉屋はまだ準備中で、鍛冶場の槌音も始まっていない。通りの東端から朝陽が差し込んで、装甲片の壁が鈍く光る。骨材の柱に沿って伸びる影が長い。

 この時間が好きだった。町が動き出す前の、数字だけが正確な時間帯。


 鍵を回すと、冒険者ギルド灰枝支部の木戸が軋んだ音を立てて開く。

 石造りの小さな建物。受付カウンターが一つ、その横に掲示板が一つ、奥に事務室と倉庫への扉。これが灰枝支部のすべてだ。デルガの大規模支部には二階建ての専用ラウンジがあって、銀牌以上の冒険者は別の入口から入れるらしい。月次報告の書式にそう書いてあった。こっちには階段すらない。私と帳簿と秤があるだけ。

 別に不満はない。むしろ、全体が見渡せる方がいい。大きな支部の歯車の一つになるより、小さな支部の全部を一人で回す方が性に合っている。少なくとも、自分の帳簿の数字には最後まで責任を持てる。


 カウンターを布で拭く。木目に沿って、端から端まで。それからランプに火を入れ、棚から昨日の帳簿を出す。

 数字を確認するのが朝の最初の仕事だ。昨日の買取総額、在庫の増減、依頼の消化件数。一つずつ指で追って、前日の記憶と照合する。蒼苔の在庫がやや少ない。先週末に冒険者パーティがまとめ買いしていったせいだ。棘鱗の端材は余り気味。これは鍛冶場のマルコに声をかけておいた方がいいかもしれない。

 数字に嘘はない。嘘があるとすれば、それは数字を書いた人間の側にある。帳簿そのものは、いつだって正直だ。


 異常なし。帳簿を閉じて、新しいページを開く。

 今日の日付を書き込む。インク壺の蓋を締め、ペンを定位置に置く。これで準備は終わり。

 あとは、最初の客が来るまで静かに待つだけ——のはずだったのだが。


「よお、ナタリア。朝早くに悪いな」


 扉が開いたのは、まだ陽が通りの半分にも届かない時刻だった。

 大柄な男が片手に麻袋を提げて入ってくる。ヨル。灰枝では名の知れた猟師で、鉄牌の冒険者でもある。大斧を担いで樹海に入り、魔獣の討伐から薬草の採取まで一人でこなす。腕は確かだが、書類仕事は苦手だ。報告書の記入漏れ回数は、灰枝支部の歴代記録を更新し続けている。


「早起きですね、ヨルさん。珍しい」

「昨日のうちに片付けたかったんだが、干すのに手間取った」


 ヨルさんが麻袋をカウンターに置く。どさり、と重い音がした。

 中身は見なくてもわかる。匂いでわかった。乾いた土と、ほのかな青い草の香り。蒼苔だ。樹海の縁に自生する苔で、乾燥させると薬の原料になる。冒険者にとっては採取依頼の定番素材で、ギルドでも常に買い取っている。先週末に在庫が減ったばかりだから、ありがたい持ち込みだ。


「蒼苔の乾燥品ですね。数量と重量の申告をお願いします」

「ああ。六束、全部で——たしか、乾燥後で百二十グレンくらいだと思う」


 たしか。くらい。

 ヨルさんの申告はいつもこうだ。この人は樹海の中で魔獣の足跡を一本の枝の折れ方から追跡できるのに、数字となると途端にあいまいになる。


「百二十グレンですね。確認します」


 私は麻袋を開けて、中身を取り出した。蒼苔の束が六つ、麻紐で丁寧に縛られている。丁寧、というのは素材の扱いについてであって、書類の扱いではない。この人は苔の縛り方には几帳面なのに、数字にはびっくりするほど無頓着だ。

 束を一つ取り出して、指先で軽くほぐす。乾燥の具合を見る。表面はしっかり乾いているが、茎の根元にわずかな湿り気が残っている。鼻を近づけると、乾いた苔の匂いの奥に、かすかな水の気配がした。

 別の束も確認する。どれも同じだ。表面は乾燥しているが、芯に水分が残っている。


 ——湿っている。それも、乾燥の手間を惜しんだという程度の話ではない。この湿り方は、元々の生育環境に水気が多い個体の特徴だ。


 秤に載せた。針が揺れて、止まる。

 百四十二グレン。


「ヨルさん」

「ん?」

「申告は百二十グレンでしたが、秤は百四十二グレンを指しています」


 ヨルさんが眉を上げた。


「……乾燥が甘かったかもしれないな。昨日の風が弱かったから」


 もっともらしい説明だ。確かに風が弱ければ乾燥に時間がかかる。水分が残れば、その分だけ重くなる。ただ——二十二グレンの差は、水分だけでは説明がつかない。乾燥不十分の蒼苔は、手で触ればすぐにわかるほど柔らかくなる。これはそうではない。しっかり乾いている。乾いているのに、重い。

 つまり、元の個体が大きいのだ。


 私はもう一度、苔の束を手に取った。

 茎の根元を見る。

 通常の蒼苔は灰色がかった青だ。樹海の縁、陽の当たる岩場に生えるものは特にそうで、陽光にさらされて色が薄くなる。乾燥すればさらに褪せる。だが、この束の苔は青が深い。濃い。根元に近い部分は、ほとんど紺色に見えた。

 陽が当たらない場所で育った苔。水気の多い環境。太い茎。


「ヨルさん。これ、縁の岩場のものじゃないですよね」


 ヨルさんが黙った。カウンターの上の苔の束と、私の顔を交互に見る。


「色が濃すぎます。茎の根元が太くて、紺色に近い。陽が当たりにくくて水気の多い場所——樹海の縁ではなく、もっと奥。たとえば中層手前の沢筋あたりで採ったものではないですか」


 沈黙が少し長かった。ヨルさんが腕を組み、それから頭を掻いた。大きな手が、短く刈った髪をがりがりと引っ掻く。


「……バレるもんだな」

「帳簿に嘘は書けないので」


 私は笑った。責めるつもりはない。ヨルさんは嘘をつこうとしたわけではないだろう。そもそも、この人に嘘をつく器用さがあったら、報告書の記入漏れもここまで多くない。


「何があったんですか」

「昨日、いつもの縁を歩いてたら根蛇が出やがった。春先は気が立ってるからな、あいつら。追っ払ったはいいが、走ってるうちに道を外れてた。気づいたら沢筋まで入り込んでたんだ」

「それで、ついでに採った」

「蒼苔がびっしり生えてたからな。もったいないだろ」


 ヨルさんは悪びれない顔でそう言った。もったいないから採った。この人らしい。理屈は単純で、正直だ。ただ、報告書にはそう書いていない。


「沢筋は銅牌の活動範囲を越えますが、ヨルさんは鉄牌ですから、規約上は問題ありません。根蛇との遭遇で想定外のルートに入ったこと自体も、状況としては理解できます」

「なんだ、問題ないのか」

「ただし、申告の産地は正確にお願いしますね。帳簿の産地情報は、他の冒険者が採取ルートを判断するときの参考になります。縁だと思って行った先に根蛇の巣があったら困るでしょう」


 ヨルさんが少し考えて、頷いた。


「そういうもんか。悪かったな」

「悪いことはないですよ。むしろ——」


 私は苔の束をもう一度、秤の横に並べた。


「——沢筋の蒼苔は品質が良いので、査定が上がります」


 帳簿を開く。

 産地の欄に「樹海中層手前・沢筋」と記入する。重量は秤の実測値、百四十二グレン。品質は——もう一度、苔の粒を指先で潰す。粒が大きく、色が濃く、潰したときの弾力がしっかりしている。薬の原料としてはかなり上等な部類だ。


「品質上で査定します。束あたり銅貨四で、六束で銅貨二十四になります。縁の通常品だと束あたり銅貨三ですから、正直に申告した方が高くなりました」


 ヨルさんが目を丸くした。


「……嘘つかないほうが得なのか」

「だいたいそうなります」


 銅貨を数えて並べる。ヨルさんが大きな手で銅貨をまとめて掴み、ぞんざいに懐に入れた。

 帳簿に署名をもらう。ヨルさんの署名は、字というより記号に近い。毎回微妙に形が違うが、本人であることは間違いない。この署名を読めるのは、たぶん灰枝で私だけだ。


「ナタリア」

「はい」

「今度から、ちゃんと申告する」

「ありがとうございます。報告書の記入漏れも、ついでにお願いしていいですか」

「……そっちは善処する」


 善処。ヨルさんの辞書では、たぶん「忘れなければやる」くらいの意味だ。

 背中を向けて出て行くヨルさんを見送りながら、小さく笑った。


 その後も客は途切れなかった。

 銅牌の若い冒険者が採取依頼の報告書を持ってくる。記入漏れが二箇所。依頼番号と提出日。「ここと、ここ」と指で示すと、「すみません」と頭を掻いて書き直してくれた。別の冒険者が魔獣の牙を三本、売りに来る。牙の断面を確認し、鑑定して重量を量り、帳簿に記入する。樹海の縁で倒した個体。鑑定結果は標準品。特に問題なし。

 昼前に依頼の張り紙を三件追加し、掲示板に貼る。蒼苔の採取依頼、棘鱗獣の討伐依頼、それから——村からの護衛依頼が一件。商人が辺境の集落まで荷を運ぶのに、護衛の冒険者がほしいという。銅牌以上、二名。報酬は銅貨四十。

 午後は先週の取引記録をまとめて月次報告の下書きを作る。数字を拾い、表に書き写し、合計を確認する。単純な作業だが、正確さが求められる。一つの数字を間違えれば、本部の記録と齟齬が出る。齟齬が出れば、問い合わせが来る。問い合わせが来れば、追加の書類仕事が増える。結局、最初から正確にやるのが一番早い。


 合間に、肉屋のおかみさんが差し入れを持ってきてくれた。装甲猪の燻製を挟んだパンと、温かい茶。


「一人で大変だねえ、いつも」

「ありがとうございます。助かります」


 一人で支部を回していると、昼食を買いに出る暇もない日がある。この差し入れがなかったら、今日は昼抜きだった。帳簿には書けないが、こういう人の親切で灰枝は回っている。


 夕方になった。

 最後の客——棘鱗の端材を持ち込んだ革工房の職人——の取引を終え、帳簿を閉じる。


 今日の買取件数、八件。売上報告書の受理、五件。依頼完了の処理、三件。新規依頼の掲示、三件。在庫の増減は許容範囲内。蒼苔の在庫はヨルさんの持ち込みで回復した。数字に齟齬なし。


 帳簿を棚に戻し、カウンターを布で拭く。朝と同じように、端から端まで。秤を布で覆い、ランプの芯を整えて火を消す。

 窓の外では、通りの向こうに夕陽が落ちかけている。鍛冶場の槌音はもう止んでいた。棘鱗の風鈴が、朝と同じようにかすかに鳴っている。


 今日も辻褄は合った。

 帳簿の数字はすべて正しく、嘘は一つもない。少なくとも、私の帳簿には。


 鍵を閉めて、石畳の通りを歩く。

 明日もたぶん、誰かが何かを持ち込んでくる。素材か、依頼か、報告書か。そしてそのどこかに、小さな嘘か、ちょっとした誤魔化しか、もしくは本人も気づいていない間違いが紛れ込んでいる。

 べつに怒りはしない。人は正確に生きられない。数字はそのために存在する。私の仕事は、その数字を正しく書くこと。ただそれだけだ。


 灰枝の夜は静かだ。朝と同じくらい。その間に挟まった一日分の数字が、帳簿の中で静かに眠っている。

 明日は誰が来るだろう。

 少し楽しみにしている自分に気づいて、小さく笑った。


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