#3
「な……何言ってんの」
「何って、宙さんが言わせてるんじゃないですか。俺が本気だってこと分かってるのに」
言葉を失った。
彼は気付いていたんだ。彼の好意を、俺がどう思っているか。
そして、俺の態度が全て演技だということも。
「人とあまり深く関わりたがらないのも、そのせいなんでしょう? でもすみません、俺はこうと決めたら頭より体が先に動くんです。宙さんが俺と会うことを不安に思ってるなら、尚さらぐいぐい関わるつもりです」
多分、彼は俺の想像よりずっと意志が固い。本気だろう。
でも、だからこそ申し訳なくなる。
「……ごめん。俺は最低な奴だよ。嫌われたくないし、頼りになるって思われたいから、君の前ではかなり無理してる。騙してるのと一緒だ」
「じゃあ今度は演技じゃなくて、本音をぶつけてください。何言われても傷つかない自信あるので」
顔が熱くて仕方ないし、できれば今すぐ走って逃げたい。
本音……。
それこそ、口が裂けても言えない。額を押さえて俯くと、彼は頷き、泣きそうな顔で笑った。
「時間をください。貴方を守る覚悟はできてるけど、貴方を幸せにするっていう確信も一緒に渡したいから。景さんを安心させられる大人になるんで、それまで待っててもらえませんか?」
う……。
恥ずかしいやら嬉しいやら、もうどうしたらいいのか分からない。
一応大人だっていうのに、歳下の熱烈過ぎる告白にフリーズしてしまった。
駄目だ。
引っ張られそう。
俺の中にかろうじて残ってる優しさを、彼に全部あげてしまいたい。
「……絶対その前に他の子を好きになると思うよ?」
「いいえ。宙さんじゃなきゃ絶対嫌です」
雨は降ってないのに足の力が抜けて、フラフラしてきた。
段々、お互い意地になって言い合ってる。でも人が増えてきたし、通行の邪魔になっていたので、両手を上げて降参のポーズをとった。
「気持ちは分かったけど、この話はもうやめ。ほら、帰るよ」
踵を返して別の路線へ行こうとすると、透夜は最後にもう一言、声を張り上げた。
「宙さん。大好きです」
それはどんな雑踏の中でも、荒れた心の中に優しく響いた。
「…………っ」
振り返りかけたけど、心を鬼にして立ち去った。視線を感じたけど、なるべく歩くことに集中して電車に飛び乗る。
「はぁ……っ」
疲れた。情けないことにまだドキドキしてるし。
ドアの付近に立つと、自分の顔がガラスに映ってしまった。その顔は、二十二年も生きていながら初めて見る表情だった。
誰だよ、こいつ……。
嫌な汗がだらだら流れる。
知らなかった。好きな相手からの告白って、ここまで別人の顔にさせるのか。
─────
ドタキャンした回数は覚えていない。物心着いた時にはサボり魔と呼ばれていた。病気のことを知った先生が俺に優しく接する度、教室で野次が飛んだ。
学校という組織において、「特別扱い」ほど嫌われるものはない。体も心も弱い俺は、クラスメイト達にとって絶好の暇つぶしだった。
俺を庇ってくれる友達もいた。その子と過ごすのは本当に楽しかったけど、いつからかその子まで非難されて、嫌がらせをされるようになった。
一緒にいる人まで不幸にしてしまうなら、最初から独りでいれば良かった。中学生に上がる前に、ひとつ学んだ。
雨の日は全身の関節がぎしぎしと痛み、目眩がおき、吐き気に襲われる。
雨だから、大切な友達の誕生日会に行かなかった。
雨だから、大事なテストの日に学校を休んだ。
雨……だから、何なのか。
惨めというだけならまだ耐えられた。けど怒りと悲しみが綯い交ぜになり、罪悪感がやわな心を押し潰す。
『戸波の奴、文化祭当日に休むとかないよな。あいつ実行委員なのに』
『まーまー、期待を裏切らないってことで逆に分かりやすいじゃん』
『うん、キャラ徹底してるよな。尊敬するわ』
雨音を掻き消すように、ひどいノイズが頭の中に反響する。
『また学校を休んだのか? 甘えるのもいい加減にしろ』
ある日、暗い部屋に閉じ込められた。
出してほしいと伝えたけど、父はそれきり現れなかった。
何時間か経ってから扉を開けてくれたのは母だった。
暗い場所が怖い。曇り空が怖い。窓を叩く水音が怖い。
家族や友人、教師から見放されて。それでも何とか大学は卒業できた。雨の日の前日は大学にこっそり泊まって、何がなんでも単位を落とさないようにしたし。
……こんな面倒くさい人間を選ぶ必要がどこにあるのか。
春、四月の頭は桜が散り始めていた。
キャンパス前には入学式を終えた新入生や保護者が集まり、賑わっている。
雨だったら来れなかったから、晴れて本当に良かった。自分はもちろん、ここにいる全員の為にも。
少しそわそわしながら門の前で待っていると、こちらに気付いた一人の青年が小走りでやって来た。
「宙さん! 来てくれたんですね!」
「うん」
息を切らしてやってきたのは、晴れて大学生となった透夜だった。チャコールグレーのスーツを着こなし、ヘアセットしている彼は別人に見える。思わず感慨深くなって、前に屈んで笑った。
「……似合ってるじゃん」
「そうですか? へへ、やった」
軽く一回りして、素直に喜んでいる彼に相好を崩す。
無事に休みを取れて良かった。宙から久しぶりに連絡が来たと思ったら、明後日入学式なのだと言われ、つい晴れ姿を見に来てしまったのだ。
医療系に進みたいと思ってるのは意外だったけど……。
大学の碑石を見ながら不思議に思っていると、シンプルなパンツスーツの女性がやってきた。
「透夜、そちらの方は?」
「前に話した宙さん」
「あぁ! 透夜と一緒に、母のプレゼントを選んでくださった……!」
「えっ。ええと、戸波宙と申します。初めまして」
慌てて挨拶すると、彼は透夜の母親だった。透夜は俺のことを色々と話してるらしく、彼らの家では周知の存在になっていた。普通に恥ずかしい。
「その節は本当にありがとうございました。これからも透夜を宜しくお願いします。それではまた……」
「いえいえ、こちらこそ。……あれ、一緒に行かないの?」
「一緒に入学した奴とこれから打ち上げ行かないといけないんです。本当は宙さんと一緒にいたいんですけど」
透夜の母を見送り、宙は首を横に振った。
「それでいいんだ。頼むから貴重な青春を俺で潰さないでくれ。じゃ」
「あっ! 待って、せめて宙さんの写真撮らせてください!」
「お前の入学式なのに何で俺を撮るんだよっ!」
カメラのレンズを向ける彼から逃げるように、顔を手で隠す。以前に比べるとだいぶフランクに……いや、素が出て雑な対応をするようになった。
でも俺がドライなんじゃなくて、彼が俺に懐き過ぎなんだ。それは絶対間違いない。
目の前の横断歩道を渡ろうとすると、「宙さん!」と名前を呼ばれた。
仕方なしに足を止めて振り返ると、透夜は嬉しそうに笑った。
「本当に嬉しいです。正直もう、宙さんからは会いにきてくれないと思ったから」
……っ。
彼の言うとおりだ。本当は顔を合わすことも酷く悩んだ。
挨拶ぐらいの短い時間なら許されないかと思って……要は自制心に負けた結果だ。
でも、彼はそれが嬉しくてたまらないと微笑む。
葉桜が風に揺れ、宙に舞う。自分の入学式なんかよりよっぽど春の息吹を感じている。
やっぱり春は、出会いと別れの季節なんだな、って……目の前の彼を見ると、改めて実感する。
いつかと同じ、優しい笑顔。
誰にも向けられたことのない感情が、俺の中に透き通っていく。
「……」
降参だ。コートのポケットの中に手を入れて、布製の小袋を取り出す。歩道へ引き返し、彼に袋を手渡した。
「あげる。俺が厳選したアンバー」
「アンバー。……琥珀ですか」
「ん。弱ってる時は力をくれる。災いも跳ね除けてくれる」
「…………」
謎の沈黙が流れる。
あれ、嬉しくないのか。まあ、石をいつも持ち歩くのって地味に気ィ遣うもんな。ポケットに入れたこと忘れてズボン洗濯しちゃうし。
「あ~、要らなかったらごめん。いいよ」
「いいえ。要ります」
咳払いして手を差し出したが、存外力強い声が返ってきた。でも今度は打って変わって、弱々しいトーンにならる。
「宙さん、俺のプロポーズ覚えてますよね?」
「う、うん」
「その答えは、今は大丈夫です。でも叶うなら、俺のことをどう思ってるかだけ、聞かせてもらえませんか」
相変わらずどストレートだなぁ……。
ため息をつきたくなったけど、諦めて周りを見回した。
幸い人はいない。いるのは、道路で突っ立っている自分達だけ。
「別に、前と変わんないよ。……好き」
思ったより大きかった声も、あっという間に風に攫われる。ポケットに手を突っ込んで、透夜の綺麗な瞳を見据えた。
「でも、俺にとって今のお前は子どもなんだ。大人になるまでは駄目。絶対駄目」
これから新生活が始まって、忙しい毎日になるのだ。そんな大事な時に自分が割り込むわけにはいかない。
本当は会いたいけど、拳を強く握り、彼の眼を見た。
「分かりました。……じゃあ大人になったら必ず迎えに行きます。それまで恋人をつくらないで待ってるって約束してください」
「それは……強制?」
思わずつっこむと、彼は悪びれずに視線を逸らした。何なんだ。
彼は案外頑固。そして、純粋だ。もういい加減わかってきてる。
「宙さん、俺は」
「あ~、はいはい。わかったからもう戻りな。無理せず勉強頑張れよ」
「……はい。ありがとうございます」
視界の端で、ちりちりと光の粒が弾け。ゆっくり顔を上げて、美しい真空色に息をついた。
時間の経過を教えてくれる存在は近くに溢れている。宙に舞う桜吹雪と、流れる雲。大切なひと。
世界は変わっていく。どんなに辛くても、取りこぼさないよう受け止めるしかない。
ずっと一人で生きるとしても……。
そう思った時、そんなことにはならない、と言った彼の言葉を思い出して笑ってしまった。
未来のことは分からない。でも叶うなら、“その時”が来るまで壊れずにいたい。
烏兔匆匆。
季節は流れ、四年の歳月が流れた。
春うらら、と言うには余裕がない。何故なら今は人生のどん底、絶体絶命に窮地に立たされているのだから。
戸波宙、二十六歳。
もうひとつプロフィールをつけるとすれば、現在無職。
今朝まで一応肩書きは会社員だったのだが、時の流れとは本当に怖い。クビからの手続きがスピーディ過ぎて、もはや感動してしまった。
「とは言え全然驚きませんけどね。むしろ四年も俺みたいな穀潰しをおいてくれたことに心から感謝してます。あっそれはそうとお菓子買ったのに荷物片付けるのに夢中で渡すの忘れちゃったんですよね。なので叔父さんどうぞ。すごーく甘いカヌレです」
「尋常じゃなく早口だな。動揺を隠しきれてないぞ」
ここは丘の上にある、閑静な住宅地。駅の方へ下ると個人店が立ち並ぶストリートがある。
年齢関係なくファンが多いアンティーク店や洋菓子店、そして天然石をメインに扱う、このアクセサリーショップのような店が開かれている。
ワインレッドの椅子に深く凭れるのは、オーナーの中年男性。髭をたくわえているが質のいいシャツとズボンを履いてる為、最低限の清潔感は保たれている。
彼は菓子箱を横に寄せると、ため息混じりに眼前に立つ自分を見上げた。
「四年ぶりに顔を出したと思いきや。どうせなら良い報告をしに来てほしいんだけどな、宙」
「あはは。……はぁ。すみません……」
「まぁ良いけど。クビじゃないんだろ?」
彼は煙草をくわえ、面倒そうに火をつけた。
不機嫌に見えるが、もちろん自分のせいだ。気まずさに押し潰されながら、短く頷く。
「雨の日はやっぱり、病欠してしまって……。これ以上は給料泥棒するにはいけないと思って、退職願いを出しました」
薄手のコートを脱ぎ、瞼を伏せる。
大学時代アルバイトをしていたこのショップは、叔父が経営している三店舗のうちの一つだ。本店はここではなく、ショッピングモールが点在するメインスポットの駅にある。
そして宙は今、家族にも打ち明けてない秘密を叔父に伝えに来た。
「新卒で広告系の会社に四年。それだけ聞くと普通ですけど、有給全部消化するし、俺の仕事は誰かが代わりにカバーして、残業する。でも給与は払わないといけないんだから、俺は荷物どころか会社の負債そのものです」
「だな。まぁ分かってたことだろ。むしろ俺は三ヶ月も続かないと思ってたし、偉いじゃないか」
叔父の紫信は足を組み、こちらを指差した。
「叔父さん、ここ禁煙じゃ……?」
「良いだろ、もう店閉めてるんだから」
彼もまた相変わらずだ。苦笑し、腕を組んで店内に目をやる。
四年前からあまり変わってない。調度品は新しいが、大まかな配置や通路はそのままだ。儲けはないが潰れもしない経営で成り立ってるんだろう。
佇んだまま、暗い窓の外を見る。ただでさえ薄暗い店内に暗雲が立ち込めてきそうだ。




