#1
宙はずるい。
嫌なことがあれば逃げることができて、逃げたあとも大人から心配される。
幼い頃はしょっちゅう聞いた言葉。もう誰に言われたのかも覚えてない。
彼らの言う通り、俺は狡い。弱くて、守られる存在。
それがたまらなく嫌で、自分を殺した。
「俺なんか……って、言わないでください」
凍った水面のような瞳で、宙は透夜を見返した。
「透夜……」
感情のない声音が胸に突き刺さり、息を飲む。
「ごめん。自己肯定感低い、って前も言われたのにな」
それどころか、今日初めて会った三澄さんにも言われた。自分を下げるのが癖というか、常になっている。
なにせ、事実だと思っているから。自分は価値のない人間だと思っているから、足場を切り崩すことに抵抗がない。
「俺は宙さんに救われました。誰とも関わりたくないと思ってた俺が、初めてもっと知りたいと思えた人……それが貴方なんです」
「……前から思ってたけど、お前は俺を崇め過ぎだぞ。俺はむしろ性格ねじ曲がった奴なんだから」
「性格ねじ曲がった人が、わざわざクローバー型の石なんて用意しませんよ」
透夜は胸ポケットから、四年前に渡した石を取り出した。
「四つの葉全てに意味があるんですよね。富と栄光、健康、……愛」
「言うなって、恥ずいから」
「あははっ。……でも、宙さんが周りを思いやる人だってことは皆分かってると思います」
クローバーの琥珀を手のひらに包み、透夜は瞼を伏せた。
「本当は皆、宙さんと仲良くなりたいんですよ。ただ下手に触れたら壊れてしまいそうな人だから、迂闊に近付けないだけです」
俺は別ですけど、と彼は笑った。
「俺は加減が分からないんです。欲しいと思ったらなりふり構わず動いてしまう。きっと今も」
テーブルに置いてる手が触れた。
「貴方を愛し過ぎて、壊してしまいそう」
「……あ……っ」
何で、こんなことを真っ直ぐ言えるんだろう。
叔父さんも言ってたけど、バカ正直過ぎる。
「冷めるだろっ。早く食べなって」
「はーい」
わざと話を逸らしたものの、透夜は気を悪くすることなく、美味しそうにご飯を平らげた。
くそ……っ。
この人たらしを何とかしないと、心が持たない。
逸る鼓動を抑え、空になった皿を片付けた。
◇
雨と同じぐらい、優しい人が苦手だ。
優しい人の気持ちに応えることができない。今まで何回も、何十回も裏切ってきた。
また明日、という言葉が怖かった。学校も習い事も、かかりつけの病院ですら。雨が降って、休みの連絡を入れる度、自分の中の何かが音を立てて壊れた。
「は……っ……あ……!」
最初は皆優しい。それを変えてしまうのは自分自身。
同期も、先輩も、上司も、時間が経てば経つほど俺の至らなさに頭を抱える。
俺が休んだ日の仕事を自分で片付けられるならいいけど、現実はそうじゃない。必ず誰かに皺寄せがいく。そして俺のせいで残業をして、取引先から怒鳴られて。
嫌われるのは当たり前なんだ。弱い俺が一番悪い。
書類がデスクに山積みになってる。返せてないメールがたまっている。伝えられてない予定を当日聞かされて、外を走るのはザラだった。
終電を逃しても埋め合わせることができないんだから、体調云々の前に俺が仕事をできないだけだ。とうとう、晴れの日でも出勤途中に吐き気を覚え、駅のトイレに駆け込むことが増えた。
何でこんなにも駄目な人間なんだろう。
お守りとして持っていた石を握り締め、唇を噛み締める日々が続いた。
“彼”には絶対、こんな姿は見せられない。弱音なんて吐かず、独りで生きなきゃ。
胸を押さえ、鏡に映った自分を睨んだ。周りに迷惑ばかりかけて、すぐに塞ぎ込む弱い男を。
何百回謝ったって許されない。それでも謝らないといられない。
ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい……。
「……宙さん!」
「……あ」
真っ暗な視界に一本の光が伸び、開いていく。
呼吸をして、“現実”に戻っていく。
瞼を擦ると、遠い天井の下に心配そうな透夜の顔が映った。
「ん……どした……?」
今は深夜。薄暗い部屋のベッドで体を起こす。すると透夜は息をつき、安堵の声を上げた。
「宙さん、すごく魘されてたんですよ。たまたまトイレで部屋の前を通ったんですけど、最初は起きてるのかと思いました」
そうか。寝言を言ってしまっていたみたいだ。汗も相当かいていたらしく、額も首元もびっしょりだ。
「勝手に部屋に入ってすみませんでした」
「んーん。むしろ起こしてくれてありがと」
脚を下ろし、ゆっくり立ち上がる。
「ちょっと汗すごいから、シャワー浴びる」
「……はい」
まただ。俺は現実を恐れてる。
浴室から出ると、ダイニングの方に明かりがついていた。そっと覗いてみると、透夜がぼうっとしながら雑誌を読んでいた。
「透夜、寝ないのか?」
「あ。すみません、何か目が冴えちゃって」
彼は困ったように笑い、頬を掻いた。俺のせいで眠れなくなったに違いない。申し訳なくて、俯き加減に相槌を打つ。
「透夜、明日休みだよな。何か予定ある?」
「いえ、特に。どうしたんですか?」
棚の引き出しからキーを取り、指で回して見せる。俺ができるのはこれぐらいしかなかった。
「深夜のドライブとか、どう」




