「愛があれば金など不要」と私を追放した婚約者と実の妹、お望み通りに致しました。 ~家宝の契約書にある誤字をあえて直さずに出ていけと言ったのは、そちらですから~
「――ベルティーユ・フォン・ベルシュタイン。お前のような『羊皮紙を弄ぶだけの暗い女』は、我が侯爵家には不要だ」
石造りの冷え冷えとした大書庫。高い天井まで届く本棚に囲まれたその場所で、次期侯爵、エドモン・ド・ヴァランシエンヌが冷酷な声を響かせた。壁に掛けられた燭台の炎がゆらめき、その隣に立つ私の妹、ステファニー・フォン・ベルシュタインの、悪趣味なほど金糸を編み込んだドレスを照らし出している。
「お姉様、今までご苦労様でした。これからは私とエドモン様で、この『血脈』を黄金の未来へ導きますわ」
私は銀の修正筆を静かに置いた。侯爵家に代々伝わる『守護の契約書』の修復は、ほぼ終わりに差し掛かっていた。
「ヴァランシエンヌの『名』に、興味深い書き間違いを見つけました。今なら一撫で修正できますわよ」
「ふん、無能な女の言い掛かりなど興味ない! ステファニーとの婚姻こそが、わがヴァランシエンヌの『名』を不滅にするのだ。余計な手を加えるな。今すぐこの城から出て行け!」
「そのままにしろ、と」
私は一切の反論をせず、最低限の荷物だけを持って、霧に包まれた侯爵城を後にした。
三ヶ月後。
私は、隣国の「鉱山王」と呼ばれる辺境伯、オーギュスト・ランベール閣下にその知識を買われ、領地にある石造りの大図書館を任されていた。
「ベルティーユ、君が整理してくれた古い地図の『一点』のおかげで、伝説の金鉱脈が見つかったよ。これは君への成功報酬だ」
「まあ、閣下。私はただ、消えかかっていたインクをなぞっただけですわ」
暖炉の火が温かく燃える応接間で、豊かな時間を過ごしていると、絶叫に近い報せが届いた。
エドモンとステファニーの結婚式。大聖堂で「愛の誓い」を立て、家宝である『守護の契約書』を掲げた瞬間。
城を飾るタペストリー、重厚なオーク材の机、二人が身に纏う豪華な衣装、さらには貴族の誇りである「紋章」までもが、次々と砂になって崩れ落ち、使用人たちが主を捨てて去っていったという。
理由は単純だ。
あの契約書。エドモンが署名したヴァランシエンヌ家の『名』の文字。一番下の『口』の角を、ほんの数ミリ突き出させて書いてしまった。
――たったそれだけで、古代の魔法言語において『名』は、『各(おのおの、離散する)』という呪いへと変貌したのだ。
『当主が偽りの愛を優先せし時、その名は死に、人は去り、家財は霧散せん』
「愛があれば、ボロ家での生活も楽しいのではありませんか? エドモン様、ステファニー」
ランベール閣下にエスコートされ、私は最高級のヴィンテージ・ワインを楽しむ。あちらでは今頃、エドモン様が『名』の一画を書き損じたせいで、二人が文字通り「真っ裸」で立ち尽くしているはずだけれど。
「契約(文字)は残酷です。そこには感情の入る隙間などありません。
余計な一画を消すための私の魔力も、慈悲も……もう、一滴も残っておりませんの」
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
たった一画、されど一画。 文字の恐ろしさを知る令嬢が、自分らしく幸せになるお話でした。
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