揺れない本能、揺らぐ記憶
ロイドはリビングのソファの端に座っていた。
彼もまた、ユキと過ごした時間を思い返す。
胸に残る温もりを感じながら、ゆっくりと目を閉じる。
ユキと見た夕日も、星空とともに聞こえた波の音も、一人でいた頃とは違った美しさを放っていた。
だが、その理由はわからない。
ユキへの本能からくるものか、自分が初めて口にした愛という可能性からなのか——答えはまだ出ない。
目を開き、シャワーを浴びようと席を立つ。
そこでスマートフォンの画面が光る。
スーリンからの短いメールだった。
ロイドは折り返しの電話を入れる。
三度のコールの後、スピーカー越しに声が返ってくる。
「…あら、連絡くれて助かるわ」
「…急用か?」
ロイドは短く確認する。
「忙しいのはわかってるわ…」
その言葉に、ロイドは急を要していることを読み取った。
「…店でいいか?」
確認すると、スーリンは礼を言い、客用の入り口を開けておくとの返事をくれる。
ロイドはまだ熱の残る車内に戻り、車を走らせた。
スーリンはカナリアに、淹れたばかりの紅茶を差し出す。
「飲んだら落ち着くわ」
優しい眼差しと口調に、カナリアは少しずつ緊張を解く。
「…ありがとうございます。私、本当にどうしていいかわからなくて…助かりました」
スーリンも微笑み返す。
「ここ、明日の夕方から開店だから、それまではゆっくりしていいのよ…寝るなら狭いボックス席のソファだけど」
「一晩居させてもらえるだけでも助かります」
その返事と同時に、客用の入り口が開く音がした。
ロイドがマティーニの扉を開けると、奥にスーリンと、カウンター席に座る白髪女性の背中が見える。
「ユキ…か?」
思わず口に出したその声に、女性は振り返る。
碧眼の瞳が、ロイドをまっすぐ見つめる。
ロイドもその瞳に目が奪われる。
だがすぐに視線をスーリンに向け、二人のいるカウンターへ歩み寄った。
するとカナリアはロイドの服を掴み確認する。
「あの!……昔、どこかでお会いしたことありませんか?雪の日に、公園のブランコで…傘を!」
女性は少し期待を含ませて尋ねる。
ロイドの本能はユキの時のように「失うな」と囁かない。
だが過去の記憶にある白髪、碧眼の少女を思い出す。
レイとユキにしか語られていない過去を知る女性に理性は揺さぶられる。
——この子があの時の少女かもしれないと。
ロイドは思考を巡らせる。
だが、違うと否定するには根拠がなさすぎた。
「名前は?」
少し戸惑い、やや期待が外れた表情で答える。
「あっ…突然すみません、カナリアと言います」
ロイドは頷き、すぐにスーリンに視線を戻す。
「ごめんなさいね、こんな時間に呼び出して」
スーリンは静かにロイドを見つめる。
「…悪いんだけど、奥で話せるかしら。カナリアさんはここでゆっくりしてていいわ、疲れてたらボックス席も使ってね」
カナリアは小さく頷いた。
スーリンとロイドは奥の控え室に入り、ドアが閉まる。
「彼女とは知り合いなの?」
スーリンはさりげなく確認する。
「……わからない。だが…」
白髪と碧眼の容姿は、とても珍しい。
だからなのかユキを見た瞬間、無意識に本能が囁いた。
カナリアに本能は動かない。
ただ思考を揺さぶるには十分だった。
しばらくの沈黙。
沈黙を破るようにスーリンは口を開く。
「相談ていうのはね、彼女をここに置いてあげようかと思って。ただ、あなたが店の子達のために用意してくれた部屋に、もう空きがなくて…」
スーリンは一呼吸おき続ける。
「…もしよければ、少しの間、借りられる場所を教えて欲しいの。もちろん支払いはするわ」
スーリンの真剣な眼差しの奥には、親友アリアへの助けられなかった贖罪の影が滲む。
ロイドはしばらくの沈黙のあと、重たい口を開く。
「…会社保有のマンションに空きがある、私的に使える場所じゃないが…しばらくならいいだろう」
スーリンは驚き、ロイドを見つめる。
そんなことは気にせずロイドは控え室の入り口へ進むと、スーリンも後に続く。
そしてカナリアに近づき、低く告げる。
「…ついてこい、移動する」
カナリアは不安な視線を向けロイドに言う。
「あの、どこにいくんですか?」
「…部屋だ。次が決まるまでのな」
「えっ?…ありがとうございます。」
困惑しつつも確かな喜びをカナリアは噛み締める。
喜びの裏に何かを秘めて。




