静かな喪失
その日はあっという間にやってきた。
ロイドと受けた検査の結果が封筒で送られてくる。
結果は、紙一枚で終わる。
父:エドワード・ウィリアムズ一致。
家族関係――成立。
「……嘘ですよね」
ユキの声は、ほとんど音になっていなかった。
検査結果の紙を握る手が震えている。
ロイドは、しばらく黙ってそれを見ていた。
否定も、慰めもしない。
「事実だ」
淡々とした声だった。
「私と君は、最初から――そういう線の上には立っていなかった」
ユキは首を振る。
理解を拒むように、何度も。
「それでも……それでも、私は……」
言葉にならない感情が喉につかえ、涙だけが先に落ちた。
ロイドは、ほんのわずかに眉を寄せる。
「……そこまで言うなら」
一歩、距離を詰める。
ユキの前に立ち、低く囁いた。
「一緒に死んでやろうか」
ユキは息を呑んだ。
「それなら、誰にも咎められない。倫理も、血も、全部――終わる」
声は静かで、冗談めいてすらいた。
だがそこにあるのは、逃避ではない。
選択肢を与えているだけだった。
ユキは、ロイドを見上げる。
「……ロイドさんは、死にたいんですか?」
ロイドは一瞬、目を伏せた。
「いいや」
即答だった。
「もう…生きることにも死ぬことにも、執着していないだけだ」
ユキの肩が、小さく震える。
「……私は、死にたくない」
その言葉に、ロイドの表情が、ほんのわずかに変わった。
「……そうか」
それだけ言って、距離を取る。
「なら、答えは出てる」
背を向ける。
「君は生きる。私は――君から、退く」
振り返らない。
「それでも愛しているなら、それは君のものだ。私が奪う理由にはならない」
扉が閉まる音がした。
その瞬間、ユキは理解する。
愛してしまった相手が、自分よりもずっと冷静に絶望できる人間だったことを。
***
ロイドは、そのまま消えた。
会社には休暇届が出され、権限はすべてレイに移され、別荘の電気と水道だけが、数日分きっちり使われていた。
遺書はない。
ただ一行、データに残されていた。
選択肢は与えた――俺は、それを奪わない
ロイド・ウィリアムズは、誰のためでもなく、誰かを守るためでもなく。
壊れたまま、生き続けることだけを、選ばなかった。
それだけだった。
ユキはロイドが去った、その夜。
夢の中で、彼はそばで生きていた。
白い光の差す部屋。
朝の匂いがして、カーテンが風に揺れている。
ロイドはキッチンに立ち、いつものように少し不器用な手つきでコーヒーを淹れていた。
「遅い」
振り返った彼は、穏やかに笑う。
責めるでもなく、当たり前のようにそこにいる。
指輪が光る。
いつの間にか、二人は結婚していた。
小さな足音がして、ユキの足元に誰かがしがみつく。
ロイドとよく似た髪と、ユキの目をした子ども。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。――これから訪れるはずだった未来。
ユキはロイドに近づき、そっと手を伸ばす。
触れられる。
確かに、温度がある。
「ロイドさん……」
ロイドの頬に、触れた――はずだった。
その直前、彼が静かに口を開く。
「……生きろ」
それだけだった。
声は強くも、優しくもない。
命令のようで、願いのようで。
次の瞬間、世界が途切れる。
目が覚めた。
暗い天井。
音のない部屋。
隣には、誰もいない。
夢の余韻だけが体に残り、それが現実ではないと理解するまでに、少し時間がかかった。
喉が詰まり、息がうまくできない。
何も、ない。
未来も、声も、温もりも。
世界は変わらずそこにあるのに、ユキだけが取り残されたようだった。
――まるで、最初から一人だったかのように。




