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愛の檻  作者: hanamizukiyume


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16/31

縋らない場所

レイがロイドのマンションに着いたのは、夜も更けてからだった。


エントランスを抜け、エレベーターに乗る。

鏡に映る自分の顔は、いつもと変わらない。

だが、ロイドから届いた短い連絡が、頭から離れなかった。


《カナリアがいる。話すことはない。様子だけ見ておいてくれ》


話すことはない。

その言い回しが、妙に引っかかる。

話ができた、という意味ではない。


――何かが、決定的に終わったのだ。


部屋の鍵を開けると、室内は静まり返っていた。

明かりはついているが、生活音がない。

リビングに入って、すぐに気づく。

ソファに、カナリアがいた。


背もたれに身を預けるでもなく、前かがみになり、両手を組んだまま動かない。


泣いてはいない。

だが、壊れかけている人間特有の気配があった。


レイは声をかけなかった。

不用意に触れれば、彼女は自分の感情を言葉にする前に、崩れてしまう。


ここで必要なのは、問いでも叱責でもない。

ただ、逃げ場のない“聞き手”だ。


レイはカナリアの向かいに腰を下ろし、何も言わずに待った。


時計の針が、ひとつ進む。

やがて、カナリアがぽつりと口を開いた。


「……ロイドさんが来る前に、ユキさんが、ここに来たんです」


声は低く、震えていた。


「私……自分には、どうしても手に入らないものを、あの人が持っているのが……ずっと苦しくて」


言葉を探すように、一度息を吸う。


「嫉妬しました。だから……傷つけるようなことを、言いました」


自嘲気味に、唇が歪む。


「本当は……自分の過去のことを、ロイドさんにちゃんと話すつもりだったのに」


「……怖くなって」


レイは何も言わない。

ただ、視線を逸らさずに聞いている。


「全部、台無しにしました」


カナリアの肩が、わずかに揺れた。

沈黙が落ちる。

それを破らず、レイはしばらくしてから静かに言った。


「……もし、まだ何か伝えたいなら」


カナリアが顔を上げる。


「一人で行く必要はない。次はな」


その言葉に、カナリアの瞳が揺れた。


「……どうして、あなたは私にそんなふうに……」


問いかけは、途中で途切れる。

レイは答えなかった。

代わりに、まっすぐに見て、短く言う。


「一度や二度くらい、誰でも手を差し伸べる人間がいたっていいだろう」


それだけだった。


***

翌日。

ロイドのマンションのリビングには、四人が揃っていた。


重たい沈黙ではない。

だが、軽くもない。

ロイドは腕を組み、窓の外を見ている。

背中が、わずかに緊張しているのが分かる。


ユキはソファの端に座り、両手を膝の上で揃えていた。

カナリアは視線を落としたまま、息を整えるように小さく肩を上下させている。


レイだけが、立ったまま壁にもたれかかり、場を見守っていた。


「……話すんだろう」


ロイドは振り向かないまま言った。


「言いたいことがあるなら、今だ」


その言葉で、空気が引き締まる。

カナリアの指先が、きゅっと絡まる。

逃げ場はない。


それでも、ここに来たのは自分だ。


「……はい」


小さく、けれどはっきりと答える。


「ユキさん。昨日は……ごめんなさい」


顔を上げない。

言い訳もしない。


「あなたがどんな過去を背負っているか、私は知りませんでした。でも……知ろうともしなかった」


一度、言葉を切る。


「ロイドさんのそばにいるあなたが、羨ましかった。私にとってロイドさんは、両親からの期待と愛情を取り戻せる存在で……初恋でした」


喉が詰まり、声が揺れる。


「だから……自分の痛みを、あなたにぶつけただけじゃなくて……利用しようともしていました」


沈黙。


ロイドが、ゆっくりと視線だけをカナリアに向ける。

怒りよりも、冷えた確認の色。


「……ユキを傷つけた」


それだけ言い、視線を外した。

腕を組み直し、ソファから一歩、距離を取る。

それが、彼の答えだった。

カナリアは唇を噛み、俯く。

そのときだった。


「……ロイドさん」


ユキが、静かに声を出した。

全員の視線が向く。

「私、カナリアさんが来てくれたこと……嬉しかったです」


ロイドの眉が、わずかに動く。

ユキは、少しだけ笑った。

まだ、強い笑顔ではない。


「本当の気持ちを……向けてくれた気がしたから」


カナリアが、はっとしてユキを見る。


「私……カナリアさんが、優しくしてくれたことも、本音だと思っています」


言葉を選びながら、続ける。


「だから……最初から全部、なかったことにしたくなくて」


ロイドを、まっすぐ見つめた。


「私は、カナリアさんと……もう一度、ちゃんと関係を築きたいです」


願いだった。

ロイドは、ユキを見た。


一瞬、何か言いかけるように唇が動く。

だが、言葉は出なかった。

代わりに、ゆっくりと息を吐く。


「……勘違いするな」


それ以上は続けず、視線をカナリアから外した。

拒絶でも、受容でもない。

ただ、線を引き直しただけだった。


カナリアの胸に、じわりと温かいものが広がる。


「……ありがとうございます」


震える声で、そう言った。

ユキは、そっとカナリアの方を向く。


「また、一からですね」


その一言に、カナリアの目から涙がこぼれた。


「……はい」


***

その後、レイはカナリアを連れて部屋を出た。

廊下の突き当たり。

窓から差し込む午後の光が、静かに床を照らしている。

二人きりになると、レイは足を止めた。


「……一つだけ言っておく」


カナリアは、黙って聞く。


「自分の価値を、他人の愛情で測りすぎだ」


きつい言葉だが、声は穏やかだった。


「ロイドに選ばれるかどうか。両親に愛されるかどうか。そんなものは、お前の人生の本筋じゃない」


カナリアは俯く。


「……でも、私は……」


「分かってる」


遮るように言う。


「だから言う。今度は、自分で歩け」


視線を合わせる。


「誰かに選ばれなくても、立っていられる場所を作れ。その先で誰かと並ぶなら……それは“縋る”じゃなく、“選ぶ”だ」


少し間を置いて、付け足す。


「お前は、もう被害者でも加害者でもない」


カナリアの胸が、静かに鳴った。


「……はい」


今度の返事は、泣き声ではなかった。

レイはそれ以上、何も言わない。

ただ、背を向けて歩き出す。


その背中を見ながら、カナリアは初めて思った。

——自分の人生を、生き直せるかもしれない。

その予感だけが、胸に残っていた。


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