第8話 領主んちに泊まる
ダイキたち一行は、夕方に村を出て、領主の屋敷に向けて街道を進んでいた。
途中、道が暗くなったので車のヘッドライトを点けるとトカゲが驚いてしまったので、ダイキは慌てて消した。
前を走っていれば点けてもよかったが、あいにくと屋敷への道が分からないので致し方ない。
ダイキはのんびりと走る馬車の後ろ姿を見ながらふと思った。
どうすれば馬車はもう少し早く走れるようになるのだろうかと。
車両の走行距離やスピードには大きく分けて二つの要因がある。
ひとつ目は車両本体の性能。そして、ふたつ目は路面だ。
車両の性能は……ただの木製の荷車に小さな客室を設えたものだから、まさに馬力だのみではあるが、路面の凸凹を吸収してくれるゴムタイヤ、サスペンションはない。お馬さんが全力を出したら分解してしまいそうだ。
そして路面は……土と石、だな。舗装はされておらず、人や馬車に踏み固められた土と、ところどころに転がる石。雨でも降ろうものなら、あちこちに水たまりや轍が発生して、脆弱な馬車の足を絡めとるだろう。
どちらを取っても、馬車が早く走れる理由が見つからない。むしろ、おトカゲさん自身が走ることこそが一番早い移動手段だと思い至り、ため息をつく。
「道路整備……してやりたいもんだな……」
そういえばここは魔法とかあるんだっけか?
別のテクノロジーで解決できたりしちゃったり?
異世界人の自分が来るぐらいなんだから、あるっしょ、魔法。
確かにさっき、口から出まかせで魔法うんぬんと言ったら御者の奴は納得していた。つまりこの世界に魔法はあるんだ。だからきっと。
いやその前に、この世界には測量技術はあるのか?
道路を作るなら高低差も測定して、なんなら道を付け替えて街道そのものをデザインしなおして……ってドローンでもありゃあラクなんだが……。
あ、魔法でそれ出来ないもんか? いやいや、もしかしたら魔法でワープゲートとかあったり? だが村はあんなに貧乏で領主も普通の馬車に乗ってるし、やっぱ普通の移動手段しかねえのかな?
それよりもまず、タイヤを履き替えたいもんだな。もうちょっと悪路に強そうなやつだ。パンクしても、ここにJAFを召喚することは出来ないし。出来ればスペアタイヤや補修キットなんかも領主の家にでも置いといてもらいたいし……。
のろのろ走る馬車についていくのが退屈なので、ダイキは様々なことに思いを馳せていたのだが、ついぞ己が楽しんでいることに気づいていなかった。
「おお……あれか。でかいお屋敷だな……」
馬車の後をついていくこと二時間ほどで領主の屋敷に到着した。辺りはとっぷりと日が暮れて真っ暗である。
「おう、着いたなダイキ」
トラックの屋根から華麗に飛び降りたライサンドラが運転席のダイキに声を掛けた。彼はうなづくと、車を入口の脇に停めた。
御者は馬車から主人を降ろすと、どこかに去っていった。おそらく駐車場のようなものがあるのだろう。いや、トカゲを厩舎に入れたりするのかもしれない。彼らだって休息は必要だ。そう、己の車にも、水を飲ませてやらなければ。
「ふう。とりあえず、ここで待機だな」
ダイキは車を降りると、キッチンカーに背中を預けて領主たちの様子を伺った。
ライサンドラも彼の隣で腕組みをし、同じように人々を眺めている。
「異界人のくせに分をわきまえているようだな」
「向こうにも色々準備とかあんだろ。いきなり連れて帰ってきたんだから」
「私はお前のメシが食えればどこでも構わんがな」
「言ってくれるぜ」
とはいえ、出来ればベッドで眠りたいし風呂にも入りたい。なにせ一日中ずっと料理を作って疲れているのだから。
まもなく屋敷から執事っぽい男性が近づいてきて、中に案内するという。ダイキは車の置き場を尋ねると、そのままでよいと言われた。
ダイキが屋敷に視線を投げると、あちこちの窓やドアの隙間から、使用人たちが自分たちを見ている。まあ異界人なのだから珍しいのだろう。
横断幕を張った連中に耳障りなシュプレヒコールを聞かされたり、あからさまな敵意を向けられたり、ゴミを投げつけられたりしないだけマシだ。
◇
「いやあ~~、待たせて済まなんだ、ダイキ殿。そなたらの部屋を用意するのに手間取ってしまってな」
応接間で軽食を振舞われながら待つこと一時間ほど。ようやく領主が顔を出した。
ダイキは、お前が用意したんじゃないだろ、という言葉を飲み込んで、
「いやいや。部屋を用意してもらえるだけで有難い」
「これおかわりあるか」
遠慮のないライサンドラである。むしろブレない所が頼もしい。
領主の言うには、ダイキとライサンドラは客人待遇で、屋敷内は自由に使ってよいとの許可を得た。
これは、異界人特権……なのか? とダイキは思った。
何にしても、この世界における異界人は奪い合いになるほど欲しい存在のようだから、勇者的な能力を持っているのならば、客人待遇程度では釣り合わないだろう。
しかし自分は大した能力もないから、この客人待遇でも十分有難い。
「ところで……異界の料理の話なんじゃが、どうだろう。今から作れるか?」
「ああ、そうだったな。じゃあ、素材を見せてくれ」
「相分かった。ダイキ殿を厨房にご案内しろ」領主が執事に命じた。
執事がドアを開けて、こちらへ、とダイキを促した。
しかしライサンドラは食べてばかりで立ち上がる様子がない。
「おい、行くぞリッサ」
「私はここで食ってるから、頑張れよダイキ」
「手伝うって発想ないんだな……ったく」
「腹が減っているだけだ。満腹になったら行く」
「へいへい、期待しないで待ってるよ。じゃあ執事さん、よろしく頼むよ」
屋敷のキッチンに案内されたダイキは、悪臭に顔をしかめた。
「おお、申し訳ございません、ダイキ様。掃除が行き届いておりませんで……」
「それ以前だと思うけど。で、食材は?」
「こちらの氷室に」
氷室とはクラシックなものが、と内心わくわくしていると、執事はキッチンを出て近くのドアを開けると、目の前の階段を降りていった。
この部屋はまるごと食糧庫のようだ。同じ間取りで内部に階段がある、メゾネットタイプの構造だ。一階は常温保存の部屋で地下は要冷蔵品の貯蔵に使われているのだろう。
「おっと、いけねえ」
執事に置いていかれてはマズいと、ダイキは慌てて階段を駆け下りていく。
地下に降りると空気がひんやりとしてきた。冬のうちに運び込まれた雪が部屋全体を低温に保っている。
「お足元にご注意下さい、ダイキ様」
バタバタと足音を立ててやってくる異界人の男に執事が声を掛ける。主人の品の無さとは真逆に、執事は物腰も言葉遣いも実にエレガントだ。
氷室に置かれた棚には、酒樽や酒瓶、肉類、果物、野菜に穀物等々、様々な食材が保存されていた。置き場によって温度が異なるようで、よく冷やしたいものは雪の近くに、そうでもないものは階段近くに置かれている。また、地上部にも野菜はあったが、地下の生鮮品は余剰のストックなのだろう。
ダイキは木箱を借りて、必要な食材を入れていった。
「地下はこのくらいで大丈夫だ。上の食材も頂いていっていいんだよね?」
「もちろん。他にも必要なものがあればご用意致しますのでお申しつけ下さい」
「そうだな……パンはあるか?」
「パン焼き部屋にございますので、あとでお持ち致します」
「いや、一緒に行くよ。どんなパンがあるか見てみたいしね」
「かしこまりました。ご案内致します」
ふとダイキの目に見慣れた文字が飛び込んできた。
文字は、ワイン瓶に貼られた古い紙に、筆で手書きされているようだ。
その文字とは――
「醤油……じゃないか」
「おや、その異界文字が読めるのですね。さすがはダイキ様。いかにも、これはショユという調味料でございます。ですが使い方が分からず、こうして死蔵しておりまして……」
「どうしてこれがここにあるんだ?」
「私がお仕えする前からございましたので詳しいことは存じ上げませんが、先々代が行商人から買い求めたそうでございます。その際に使い方をよく尋ねなかったのが、よろしくありませんでしたね……」
「ということは、使っていいんだな?」
「もちろんでございます。ぜひに」
「ありがとう」
ダイキは醤油の瓶を木箱に入れ、階段を昇って行った。
この世界に醤油があるということは、大昔にやってきた日本人がこちらの素材で作ったもの、ということになるのだろう。おそらく大豆に相当するものもあるはずだ、とまだ見ぬ醤油職人に、彼は思いを馳せた。
食糧庫を後にしたダイキと執事は、パン焼き部屋にやってきた。
「執事さん、どうしてパン焼く部屋が別になってるんだ?」
「はて……そう改めて問われますと、私も考えたことはございませんでしたな。なにせ生まれた頃にはこのお屋敷が建っておりましたから」
「歴史のある建物なんだな」
「ですが推測は可能です。調理場もパン焼き部屋も、いずれも火を扱いますが、生ものを扱う調理場が高温になることは好ましくございません。パン焼き部屋は長時間高温になりますので、若干場所を離したのではないかと」
「なるほど。言われてみれば……」
ただし水や薪は共通の資材なので、二つの部屋がそう離れているわけでもないとのことだった。ぶっちゃけ石壁ひとつ隔ててあれば遮熱は出来るのだろうし。
「当家で焼くパンは使用人の多さもありまして、一日中焼いていることもございます。宴席を設ける際には前日から焼いていることも……」
「うわ、大変だな」
とはいえ、本当にそこまで時間がかかるものなのか?
それにパン焼きの熱もムダになっているかもしれない。排熱で別の調理は出来ないものか……。
なにか非効率なことをしているのでは、とダイキはついぞ考えてしまう。
「こちらでございます。只今、本日分のパンをお持ち致しますので少々お待ち下さい」
「よろしく頼む」
パン焼き部屋に入ると、小麦粉を焼いた旨そうな匂いが二人を出迎えた。そして、石積みのオーブンや生地をこねる平台、めん棒、そして粉を入れた大きな袋の山がダイキの目に入った。
ダイキは、近代的なパン屋の厨房なら入ったことはあるが、中世のパン屋を生で見るのは初めてだった。きっと現代でも欧州の老舗に行けば似たような店があるのだろう。
パン焼きオーブンは現代でいう石窯ピザのオーブンによく似ていて、上段下段に分かれ、下段で焚き木を燃やし、アーチ状に開口部の付けられた上段でパンを焼くスタイルだ。
「お待たせいたしました。こちらでよろしいでしょうか」
執事がバスケットに山盛りのパンを差し出した。
コッペパンのようだが、表面はざっくり感のある旨そうなパンだ。
「あ……みんな長いんだな。てっきり平たいやつが出てくるかと思った」
「平たいものは皿代わりでしたので、現在はあまり作られておりません。当家には十分な数の陶器の皿がございます故」
「丸いのとか小さいのとかは?」
「お客様をお招きする晩餐会などの折には作りますが、普段は旦那様のお好みで、この形のパンを作っております」
「ああ、そうなのね。オッサンの好みなのね。なるほど……どうもありがとう」
「では厨房に戻って、旦那様のお食事を作りましょう。ダイキ様にとって慣れない場所での作業でございますから、私もお手伝い致します」
「いやぁ……今日は俺の車で作るわ。皿だけ貸してもらえればいいから」
「皿だけ、でございますか?」
「この環境で調理すんの、イヤだし……」
「ですが、では一体どちらでお食事を作られるのでございますか?」
執事は彼が何を言っているのか全く分からなかった。
「俺、異界からキッチンを持って来てるんで」
「な! なな、なんと!」
「まあ、見れば分かるからついてきな」
「わ、分かりました……」
執事が皿を準備すると、二人は屋敷を出てキッチンカーに向かった。