第12話 キッチン大掃除
ダイキたちが領主の館に宿泊した翌朝のこと。
さすがに朝食まで作ってやる義理もないので、彼らは屋敷の料理人の作った食事を領主と一緒に取っている。それにしても長いテーブルだ。
「良く眠れたかの、ダイキ殿」
朝っぱらからワイングラス片手に領主が尋ねる。
「おかげさんで。こちとらどこでも熟睡できるよう鍛えられているもんで、あんまり寝心地のいいベッドだと、ついつい寝過ごしてしまうな」
「それはなにより。ライサンドラ殿は……」
「ああッ? なに人の睡眠気にしてんだ? 気色の悪い! 夜這いでもかけようもんなら貴様のイチモツを叩き切ってやるから覚悟しておけ!」
触らぬ神に祟りなし。触らぬくっころに斬撃なしである。領主も余計なことを言わなければよいものを……と、ぬるいスープをすすりながら横目で見るダイキ。
「いや、何もない! なーんにもないから! だから切るのだけはああ……」
「リッサもいちいちオッサンを脅すな。どうせ誰もお前に敵わない」
「そうか。私が最強なのだな、ならばよし」
何がよしなのか、よくわからないが納得してくれるならいい。
とにもかくにも。こんな狂暴な女を一つ屋根の下に寝起きさせるとは、領主も未練タラタラなのだろうか。命知らずにも程がある。
食事が終わると、執事が革袋と何かのスクロールを持って来た。
「ダイキ様、こちらが領内の地図と、当座の路銀でございます。不足がございましたらご遠慮なくお申しつけください」
「とはいっても無限にお代わり出来るもんでもないだろう?」
「ほっほっほ。ダイキ様はお優しいお方ですね。ええ、出来ますれば月に3袋までとさせて頂けると助かります」
「ということは、あと二回この袋を満タンに出来るということだな。ありがとう、オッサン。無駄遣いしないように気をつけるよ」
「奥ゆかしいことじゃ、ダイキ殿。もっと頼ってもよいのだぞ?」
「バカ言うな。自分の領地も満足に運営出来ないやつが。どこの馬の骨ともわからん男に貢ぐくらいなら、領民にちゃんとメシを食わせろ」
「あうう」正論パンチでグーの音も出ない領主は撃沈した。
「パンの方ですが、表の厨房の方にご用意致しましたので、のちほどご確認下さい」
「ありがとう。さてと、じゃあ地図の方だが……」
ダイキは羊皮紙のスクロールをテーブルの上に広げた。
「見方を教えてくれ」
「かしこまりました、ダイキ様」
執事は地図の四隅に重しとしてカップや燭台を置くと、現在位置から説明を始めた。
◇
近隣地域の説明を聞いたあと、ダイキは執事と共に屋敷のキッチンへ向かった。やはり長期間逗留するのであれば避けて通れない問題があったからだ。
「そのようなこと、客人のダイキ様にさせるわけには……」
「俺がイヤなの。あんな臭い台所を放置するなんてな。それに便利な道具と薬品も持ってきてるから大丈夫だよ」
ダイキはデッキブラシを担ぎ、もう片方の手には洗剤各種を入れたバケツをぶら下げている。屋敷のキッチンを丸洗いする気マンマンだ。
執事と一緒に調理場にやってきたダイキは、悪臭の原因が何なのか気になっていた。臭いの元が一つとは限らないからだ。
調理場の中には料理人と、給仕や雑用をする使用人が大勢で作業をしていたが、見慣れない男が執事と共にやってきたので、皆に緊張感が走っていた。
「皆さん、ちょっと手を止めて聞いてください」
執事が呼びかけると、みな気だるそうに顔を向けた。
「こちらは、旦那様の御客人でしばらく当家に逗留なされる、異界の勇者様で料理人でもあらせられる、ダイキ様です。皆、失礼のないようにしてください」
「はじめまして。しばらくご厄介になるダイキです。どうぞよろしく」
執事から異界の勇者と紹介されてしまったことで、使用人たちは一様にざわついている。勇者なのに料理人? なにそれ。とみな疑問を口にしているが、もっともな反応である。
「はい、静かに、静かに。さて本日はこの厨房の大掃除を致します。仕事の割り振りは後でするので、みな一旦外に出てください」
一斉に騒ぎ出すスタッフたち。確かにこの状況は訳が分からない。
「俺の提案だ。申し訳ないが、この調理場は汚れていて臭い。食べ物を作る場所としてふさわしくない。だから掃除をさせてもらう」
料理長と思しき人物が、不満を隠そうともせずに前に出た。
「あんた異界人かなんか知らないが、勝手に俺らの場所に入り込んで汚いだの臭いだの、随分な言い草だな。俺らはずっとこれでやってきてるんだ。掃除なんかさせねえよ」
「この汚い調理場で作った料理で、連れが腹を壊した。掃除が行き届いていないからだ。賠償金を払うか、大人しく俺に掃除をさせるか、好きな方を選べ。なお連れはお前らのご主人様がご執心な貴族のご令嬢だ。さて、賠償金はいくらになるだろうな?」
執事は一瞬ニヤっとしたが、すぐに真顔に戻って、
「ダイキ様の仰せのとおりだ。金が払えなければ打ち首になるであろう。私も優秀な料理人を失いたくはない。大人しく掃除を手伝いなさい」
「わ、わかった……。打ち首は勘弁してくれ……。俺には女房も子供もいるんだ」
「路頭に迷わせたくはないよな。じゃあ話は終わりだ。俺は清潔な調理場でみんなに良い仕事をしてもらいたいだけなんだ。口に入れるものを扱う場所は、悪臭がしちゃいけねえし、汚れていてもいけねえ。だから常に清潔にする必要があるんだ。自分らの作った料理で他人を病気にしたくはないだろう?」
料理人たちにはダイキの言葉が届いたようで、みなうなづいているが、使用人連中は、自分の仕事が増えると困る、とブツクサ言っている。
「あー、最初は面倒をかけるだろうが、仕事が増えないように工夫していくから安心してくれ。調理場に入る人間は、全員、誰かの命を預かっているんだ。それを覚えていてくれたら嬉しい」
仕事が増えないのなら……と、消極的ながら協力する気になったのか、ぞろぞろと調理場の外に出て行った。
人払いをした調理場の中を、ダイキはあちこちチェックして回った。悪臭の原因を特定し、汚れの程度を見極め、水回りを確認した。さらに調理器具の衛生状態も見て回ると、一日で終わる仕事量ではないことが判明した。
ダイキが掃除や設備、道具の整備にはかなり時間を要すると執事に告げると、お任せしますと言われた。だがさすがに設備のDIYまでは手が回らないので、おいおい大工と相談しなければならないだろう。
「どこから手をつけましょうか、ダイキ様」
「そしたらまずは、ゴミの処理だな。室内に貯めておくから腐って悪臭がするんだ。だからこまめに部屋の外に捨てるようにするだけで、悪臭がかなり減るし害虫も来なくなる」
「たしかに。ご炯眼にございます。ゴミの容器を増やしておきましょう」
「頼む。次は……床だな。物が多くて、これじゃあ掃除をする気にもならん。整理整頓して、使わないものは棚にしまうか、別の部屋に移すべきだな。普段は使わないが、必要な道具などを置く場所はあるか?」
「そうですな……倉庫はございますが、調理場からすこし遠いですな」
「では、なるべく近くに準備してくれ。場所が離れていると片付けるのも億劫になるんでな」
「かしこまりました。近くに調理場で使わないものを入れている倉庫がございますので、そちらを別の場所に移して、調理用具などの保管庫をご用意いたします」
「頼む」
ダイキは外にいる使用人たちを呼び戻すと、床置きされている箱やら道具やらを部屋から運びださせた。
「床掃除が終わったあと、どうしても必要なものだけ調理場に戻して、それ以外はまだ置いたままにしてくれ。近くの部屋に専用の倉庫を用意するので、残ったものはそっちに入れてもらいたいんだ」
なんとなくダイキのやろうとしていることが分かって来たのか、使用人たちはあまり不平不満を漏らさなくなった。
床の上から荷物がなくなると、汚れやゴミが露わになった。それを見た料理人や使用人たちは皆一様に顔をしかめた。
「あんたらでも見れば分かるか。こんなにゴミが落ちていたんだぜ。そりゃあ腐りもすれば、虫やネズミも沸くだろう。そんな場所で食い物を扱えば、腹を壊すのも道理なんだよ」
さすがに思うところがあったのか、皆それぞれに床掃除を始めた。
床は皆に任せて、ダイキは作業台の掃除を始めた。かなり大きなテーブルなので女性では中心部まで手が届かないだろう。こちらも掃除が行き届いていなかった。
「執事さん、この作業台大きすぎるから、もうちょっと幅の狭いのにならないか。女の人の手が届かないんだ」
「そうですな、心当たりがございますので、のちほど入れ替えを致しましょう。さすがはダイキ様、掃除が出来ない理由にまでお気づきになられるとは、まこと勇者様としか言いようがございませんな」
「なんでそこ勇者だよ」
「ダイキ様は勇者レベルの調理人でございます故」
「そんなもんかね」
「そんなものでございますよ」
床掃除が一段落したので、ダイキはバケツに水と少量の洗剤を入れて、汚れのひどい場所に撒き、デッキブラシでこすりはじめた。
みるみるうちに綺麗になっていく床を見て、皆が目を丸くしている。だがいつかは洗剤も底をつく。今のうちに代用品を探さなければ、とダイキは思った。
ある程度はきれいになったので、本日の清掃作業は終了となった。
「じゃあ、今日はこのくらいにしよう、ご苦労様。また協力してもらうと思うので、よろしく頼む」
後片付けを使用人たちに任せると、ダイキは執事を伴って食糧庫に向かった。
「パンを用意してくれてありがとう。それで、もうちょっと分けてもらいたいものがあるんだが……」
「かまいませんよ、ダイキ様」
「悪いな」
「あの集落に行かれるのでしょう?」
「へへ、そういうことだ」
ダイキは食糧庫から小麦粉と卵とバターを運び出し、パンと共にキッチンカーに積み込むと、炊事用と燃料用の水を補給した。
水で走る、と言っても執事はなかなか信じてくれなかったのだが、どう説明すればいいのかダイキにも分からなかったので、異界の魔法で押し通した。
待ちくたびれたライサンドラと、お目付け役の御者=フランツを乗せ、一行は領主の屋敷を出発。そして街で食器やざるなどの雑貨を購入すると、一路あの村へ向かった。
◇
ダイキは街の出口で一旦車を停めると、領主からもらった地図を広げた。
今日の行程を再確認するためだ。
「今、ここだよな……。この街道をずーっと行って……」
地図を見ると、例の農村から少し離れた場所に、港に流れ込む川があった。そして村の前を通る街道を港の方角に少し行くと、街道が交差していて、物流・交通の拠点になっている。
「フランツ、俺この村の近隣を少し見て周りたいんだけど、いいかな」
「もちろんですよ、ダイキ殿。貴方は彼らの力になりたいのですね。お優しい方だ」
「まあな……。俺さ、元の世界では人助けの仕事をしてたんだけど、なんかイヤになっちまってね。それで、料理人になったんだ。それもあまり上手くはいかなかったんだがね……」
「そうですか……。でも大丈夫です。当家が貴方をご支援致します。店でも何でも、お望みのようになさってください」
「お望み、か。俺、何がしたかったんだろうな……ホントに」
「きっと見つかりますよ。そのために、こちらにいらしたのでしょうしね」
「そういうもんかな」
「私の知る限り、異界から来る方々は、元の世界に居場所を無くした方が多いそうです。元の世界との結びつきが弱くなった結果、こちらに招かれたのではないでしょうか。まあ、これは私の持論ですが」
フランツは、ダイキに釣られて饒舌になっていた。
旅の道連れが無口なよりはマシだろう。
しかも語り口からして、知性は低くもなさそうだった。場合によってはライサンドラを牽制することも出来そうに思える。