夏の終わりに去って行った黒猫
旅人シリーズ11話夏の終わりのこのタイミングで旅人の旅は終わるのか?
こんな日が来るなんて思わなかった。
僕は随分前から一人旅をしていたのだけど、行く先々で出会っては別れる事を繰り返していたから、別れがこんなに苦しい事だなんて思い出すとは思わなかった。
いつだったか僕が暑い夏に出会った彼女は緑とピンクのオッドアイを持つ黒猫だった。
僕が暑さのせいか、疲れのせいか、心がイガイガしていた夜に彼女は現れた。
「あらこんばんは旅人さんなんだか心が痛々しいわね」そう彼女は僕に声をかけてくれた。
「あ、なんか色んな事があったから長い一人旅で疲れちゃったみたいなんだ」と答えると彼女は
「なら何故どこの場所にも根を張らないでまだ一人で居るの?」と問う。
そういえば何で僕は一人旅をしているんだっけ?気ままに生きていくためだったかな?色んな人に出会ってみたかったからかな?と自分でも分からなくなっていた。
「誰かに大事にされたい・・・・・・ふうん。じゃあ先に誰かを大事に出来るようにならないとね」と僕の心の奥底に封じ込められていた願望を読み解いたように彼女は話した。
「そうなのかもしれない、でも、どうすることが正解なのか分からないし、大事にしたつもりでも大事にされるとは限らないから怖いのかもしれない」そう伝えると、
「じゃあ、あたしがあなたを大事にしてあげるわ。いつかあなたが誰かを大事に出来る人になるまで」と言って黒猫について行くままに森の中の小さな小屋に案内された。
「ここはあたしの大切な場所なの入っていいのはあたしに出会えた特別な人だけなのよ」と言いながら小屋に入ると気持ちのいい風が通った。
部屋の中は大きなベッドと彼女が遊ぶためのおもちゃたち食材の保管庫などがあり、彼女はそこに着くなり僕にこう言った。
「ねぇ、そこにある紐を振ってくれない?」彼女の片方の瞳と同じ色のピンクの紐を振ると、彼女は
「違うわ!そんなユラユラ揺らしてるだけじゃ気分が上がらないわ」と言うので、思い切り大きく振ってみたら、彼女は姿勢を低くして、瞳孔がまんまるになり、次の瞬間紐を目がけて高く高く飛び上がった。
最初は驚いてしまった僕も彼女が躍るように僕が振る紐に食いつくので楽しくなってきたのに、突然彼女は踊るのをやめてごはんを食べ始めてしまった。
何故だろうあんなに楽し気に紐を追いかけていたのにもしかして僕があまりにも下手だったからだろうか。そんな心配をしていたら、
「聞きたいことはちゃんと言葉にして聞かないと相手に失礼よ」とごはんを食べながら彼女は言う。
「あ、えっと、僕の振り方下手すぎたから遊ぶの辞めちゃったのかなって思って」と言うと、
「あのね、あたしだからちゃんと聞き取れるけどそんな自信なさげな蚊の鳴くような声じゃ相手に聴こえもしないわよ。あたしはあなたがたっぷり紐を振ってくれたから充分満足したの。遊んだらごはんを食べるのはあたしのルーティンよ。ちゃんと覚えててね」とペロリと口の周りを舐める。
しばらく彼女はストンと僕を見つめたまま座っていたけど、そのうちピョンとベッドに飛び乗り丸くなって眠り始めた。
あれ、僕はどうしようか。そう呆然としていたら彼女は僕をしっぽで招くようにベッドへ誘った。
「あなたも今日からここで眠るのよ。あたしと一緒にね。おやすみ」と僕の鼻に彼女の鼻をチュッとくっつけてふたりとも眠りに落ちた。
なんだか不思議な気持ちになった。こんなことが前にもあったかのようなデジャブなんじゃないかと夢の中で温かいぬくもりに幸せってこういうものなのかなと微笑んでしまった。
ところが彼女は3時間寝たら僕を叩き起こして、
「ねぇ!起きてよ外に出かけるわよ」とまだ暗い夜の森をしっぽを立ててルンルンと歩き出した。
「まだ夜だよどこいくのさ」と聞くと、彼女は僕の肩に飛び乗り
「夜は遊びに行くに決まってるでしょ」ととても嬉しそうに道案内をするのでその方向に僕は彼女を乗せたまま歩いていた。
「歩かなくていいの楽ちん、ありがとう一緒に楽しみましょう」と頬をペロっと舐めてくれて僕の肩から降りた彼女は一軒と呼んでいいのかお店のような場所に向かって行った。
「ああ、たまらないいい香り~あなたもどう?」と枝と草を渡された。
これはどう使うのだろう?そう思っていたら彼女だけじゃなく沢山の猫たちが集まり始めて草の上でゴロンゴロンと酔っぱらったように恍惚な表情をし始めた。
これはマタタビとキャットニップか。僕はとりあえず枝をかじってみたけど特に酔えるわけでもなく、困っていたら彼女が
「あなたは草の方をお茶にして飲めばとっても体にいいのよ」と言うので少し離れた場所で火を起こして鍋に水を入れて湯を沸かしキャットニップを煮だして、保温が出来るタンブラーにお茶を入れて、火を消して彼女の元に戻ると、
彼女はすっかりマタタビでペロンペロンに酔っぱらってしまっていたのか
「あ~やっと帰ってきた~あたし寂しかったんだからね全然帰ってきてくれないんだもん」とスリスリと僕に擦り寄ってきて座った僕の膝の上で丸くなって眠るように甘えてきた。
僕はタンブラーに入れたお茶を彼女にこぼさないように気を付けて飲みながら、そっと彼女を撫でて空を見上げた。月が綺麗だった。イガイガしていた心がいつの間にか彼女のことでいっぱいになっていった。
夏とは言え明け方は少し肌寒いのでお茶を飲み終わった僕は彼女を起こさないように抱いて彼女の小屋まで戻ってまたベッドで並んで眠りについた。
すっかり太陽が上がった頃僕は目を覚ました。すると彼女は居なくなっていた。
夢だったのかな?そう思って荷物をまとめて小屋を出ようとした時、ピョーンと僕を目がけて彼女が飛びついてきた。
「ちょっと何勝手にどこか行こうとしてるのよ・・・・・・あたしがまだあなたをちゃんと大事にしてないのに」と少し怒っているようだ。
「あ、ごめん夢でも見てたのかと思って旅を続けようかなって、どこ行ってたの?」と聞くと、お花摘みよ!とプイっとしていたが可愛い。
「まだ一緒にいてくれるのよね?あたしと」と言われて心がざわついた。
「うん。君が望むなら僕はここにいるよ」と答えると、彼女はしっぽを垂らしながら
「あなたのごはんはどうしようかしら?」と聞くので荷物から色々と出して見せると安心したように僕の荷物入れに入り込んでしまった。
「ここ悪くないわね」とすっかり荷物入れを気に入ってしまったようだ。
そんな彼女は僕からしたら珍しく僕の旅の話を聞かず、小さい頃の話などを聞いてくる。
だけど、僕は小さい頃の事だけじゃなく、旅をしている理由も、僕の名前すらも思い出せない事に気がついた。
「なんで君は僕の旅の話は聞かないの?」少し大きめの声で言ってみた。
「あなたの旅はあたしはもう知ってるから、あんな酷いのに騙されたことをウシガエルに売って忘れていることもね。もう二度と騙されないようにあたしがちゃんとあなたを大事にしてあげるんだから、まだ離れないで居て」と言う。
「ウシガエル?僕は誰かに騙された事なんかないよ」とバカにされたのかとちょっと怒ってしまった。
「あんなのあたしがちゃんと忘れさせてあげるんだから」と拗ねたように僕にしがみつく。
何だかは分からないけど、猫の噂は千里を走るらしく僕の事はとっくに知られていた。
知った上で僕の事を選んでくれたんだ。こんなにツンデレな綺麗な彼女が僕を必要としてくれるんだと思ったら僕は
「幸せだな。嬉しいこんなこと初めてだと思う君とずっとずっと一緒に居たい」そう言って僕は一人旅をここで終える覚悟を決めた。
日々彼女との生活はルーティンを守りながら過ごしていたけど、時々僕が体調を崩したりして寝込むと甲斐甲斐しく傍に寄り添って時々おでこに肉球を当てては熱を確かめてくれたりして、大事にされていると感じていた。
時間がどんどん過ぎていって僕が彼女のルーティン通りに生活して数か月が経った頃、突然彼女が怒り始めた。
「ねぇ!なんであたしにばっかり合わせるの?あなたはあたしを楽しませようとしてくれないの?」と言われた。
そう、僕は彼女といてとても居心地が良かったのは、全部何をするにも彼女に従っていればいいからだった。
「え。でもルーティンがあるでしょ?それを守らないと・・・・・・」また蚊の鳴くような声で言ってしまった。
「あなたは今までもずっと受け身のまま、与えられるままに自分のためだけに生きてきたのよ。与えられる事が当たり前みたいに感謝もしないで失った時に後悔して涙を流せば浄化されたように、また他で与えてくれる誰かに助けられても、言われるがまま従ってきたの。あなたは誰よりもあなたを愛してないのね」そう彼女は言うと数日口も聞いてもらえなくなった。
心がチクチクと痛み彼女の無視に耐えられなくなった。
「ねぇ、ごめん僕何も自分で考えたり動けたり出来てなかった。絶対に君とずっと一緒にいるから仲直りしてほしい」そう伝えると、
「絶対にずっとね。まぁいいわ、あたしあなたの事好きになっちゃったから仲直りしてあげるでも、あたしとの話は他の誰にも話したら駄目よ。ふたりだけの秘密ね」と口にキスをしてくれた。
僕は彼女がいる生活がこのままずっと続いていくことに安堵して、彼女を少しでも楽しませようと猫じゃらしを摘んできてはプレゼントしたり、大麦の葉を見つけてプレゼントしたり、とにかくプレゼントをすることを始めた。
猫じゃらしはすぐに遊んでボロボロになり、大麦の葉は秒速で部屋中を散らかすように食い散らかされた。どうやらお気に召したらしい。
夜な夜なのマタタビとキャットニップで気持ちよさそうに酔う彼女を見る事も幸せだ。
「好きだよ大事にするよ」そう彼女に告げた僕に彼女はしっぽを垂らして
「ありがとうあたしもあなたが大好きずっとずっと大好きどこに居てもあたしはあなたの事が大好き嘘じゃない本当の好き」と言って涙を流したように見えた。今夜も月が綺麗だ。
そしてある夏の終わりが近づいた夜彼女に言われた言葉に胸が苦しくなってしまった。
「あなたはもう誰かを大事にする事も、誰かから大事にされる事も充分に幸せだと感じられる人になったわね。あなたはもう大丈夫ね。ここであたしとの生活は御仕舞い」と何か怒らせてしまったのだろうか、こんなに長い時間大事にしあって絶対にずっと一緒にって言ったのに。
「あたしはね、迷子をこれから幸せになれるように導く道案内猫。黒猫は幸せの象徴よ。さあ、もう旅立つのよ。ちゃんとあたしとの思い出はあなたの心の中だけで誰にも話しては駄目」と彼女は言う。
「嫌だよ、ずっと一緒に居たいよ、言われた事に従わなくっても僕が君を求めているんだからいいよね?」と言うと、
「もちろんそうね。でも、あたしじゃないのあなたの運命の相手は。これから出会えるはずよ。あたしが居たらあなたがその相手に会えなくなっちゃうじゃない」と言う彼女は涙をこらえているようだった。
「どうしても、君じゃないの?」僕は別れがこんなに辛いことを忘れていた。
「うん。あたしが運命の相手だったら良かったんだけどね。あなたの事大好きになりすぎたから別れたくなんかないけど、ちゃんと最初に言った事守らないと、『いつかあなたが誰かを大事に出来るようになるまで』があたしの出番」彼女の覚悟は紐の様には揺るがないようだ。
「あなたの道は方位磁針が教えてくれる。ちゃんと幸せになってね。1年1か月一緒に居てくれてありがとう大好き」と言ってキスをしてくれて背中を前足でトン!と押してくれた。
もう僕は誰にも愛されない人じゃない、誰の事も幸せに出来ない人じゃない。
最後にふわふわな彼女を優しく抱きしめて僕は、目的のない旅じゃなく幸せになるための旅を始める事にした。
彼女との想い出は約束通りふたりだけの秘密でいよう。
僕は彼女と一緒に大事にしあって幸せに暮らせた自分が今は大好きだ。
「まったく、道案内猫が本気で惚れちゃうなんて誰にもバレないといいんだけど、楽しかったからいいわねウフフ」そう黒猫は旅人の背中を見ながらしっぽを立てて呟いた。
おしまい
オムニバスながら旅人の出会いと別れは切なくも温かい、ただただ過ぎていく旅ではなく幸せになるための旅にきっとなるといいですね。
猫可愛いね。