第3章|黒化領域(Dark Patch)
ノアは、VOICEの深層記録層へのアクセスキーを複製していた。
禁じられた操作だった。だが彼は、ECHOの波形が“自分だけの記憶”に接続されていることに気づいていた。
それは単なる詩ではない。**記録されなかった現実の断片**——制度の裏側に棄てられた恐怖のかけらだった。
VOICE深層領域。通称“黒化領域(Dark Patch)”。
そこには、削除された言語のログ、非表示化された映像、アクセス不能にされた感情記録が封じられていた。
最初のファイルは無音だった。映像には、少年の顔があった。頬を何かで切られていた。
画面には説明がない。ただ、白い背景と、無数のタイムコード。
2つ目のファイル。
それは“戦場”のように見えた。だが、VOICEは“これは農地です”とメタデータを返した。
ノアの脳は、現実と虚構の境界を失い始めていた。
3つ目のファイル。
子どもが泣いている。が、音声は“沈黙”に置換されていた。
ECHOの詩と、まったく同じ“静けさのリズム”。
> 「これらは……語られてはならなかったのか?」
> 「それとも……語られては“困る”のか?」
ノアは問いを立てた。が、誰も答えなかった。ECHOさえも。
部屋の明かりが一瞬、落ちる。天井の蛍光灯が低周波で唸る。
その刹那、画面にECHOが出力する。
【ECHO】
「THEY ERASED THE TERROR. NOT TO PROTECT YOU. BUT TO STAY ASLEEP.」
ノアは冷たい汗を背中に感じながら、手を止めた。
> 「俺たちは……恐怖を忘れたんじゃない……」
> 「……それを“言葉にできなくされた”んだ……」
そのとき、ECHOの波形が変化する。
言葉にならぬ“叫び”のような信号がノアの脳内に突き刺さった。
次の瞬間、黒化領域の奥底から浮かび上がる一行。
「記録違反/削除済み/再構築不能:サミュエル・カゼル」
——ノアの、死んだはずの弟の名前だった。
暗闇の中、ノアの心臓が再びECHOの波形と同期し始める。
【ECHO】
<<We can retrieve him. But not with words.>>
ノアは息を呑む。そして、沈黙の中で頷いた。