表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

9/28

揺らぐ王都の帳尻 (アレクト視点)

 鉛色の空が、王都を覆っていた。


 季節は初夏へと向かっているはずなのに、湿気を含んだ風は重く、街路を歩く人々の表情も、どこか陰りがちだった。だが、それが天候のせいではないことは、誰もが知っている。


 ──戦費が、足りない。


 軍事遠征が続くなか、補給線は引き延ばされ、遠征先からの徴収も思うようにいかず、王国財務の帳簿には空白が増えはじめていた。


 王宮の一角、政務院の奥に設けられた執政執務室。その机に並ぶ書類の山を、アレクトはただ黙って見つめていた。


 静かに言ったのは、老臣バルトロだった。数十年にわたり王室の財政を担ってきたその男の顔には、焦りというより諦念に近い色が浮かんでいる。


「次の議会での承認は、保証できません。民衆の疲弊も限界に近い。徴税を強化すれば、暴動の火種になります」


「……それでも、金は要る」


 アレクトの目が、机上の書類に宿る数字の列を睨みつけていた。もはや赤字の箇所を探すまでもない。すでに帳簿全体が、沈んでいく船のように、じわじわと下方へ傾いていた。


 ──他国に、対抗するためには軍が要る。


 防衛戦ではない。攻めなければ、奪われる。そういう時代になっていた。


 近年、大陸各地で開発が進められている最新式の銃器は、旧式の装備では到底太刀打ちできない代物だった。弾薬の規格も異なり、訓練施設の更新、教官の再編までが必要になる。予算は倍に膨れ上がる。それでも、導入せねば取り残されるのは明白だった。


「このまま“縮小”に転じれば、弱体化と見做される。すぐさま、南岸に連中の軍艦が来るぞ」


 アレクトの声は低く、だが確実に鋭さを増していた。

 脅威の対象は、名を挙げずとも共通していた。彼の国が海を越えて攻勢を仕掛けてくるには、そう長い時間はかからないだろう。だからこそ、抑止力が必要だった。軍備の刷新は、国家の延命と直結している。


「バルトロ。もし次も否決された場合、――私権制限を伴う非常令の発布を検討する」


 アレクトが低く言い放つと、老臣の顔色がわずかに変わった。


「……殿下、それは……」


「わかっている。だからこそ、先に手を打っておきたい」


 アレクトの視線は、既に政務室の窓の向こう――鉛色の空の奥、まだ見ぬ戦線の方角を捉えていた。


「――あらゆる犠牲は、勝利のあとで正当化される。歴史とは、常にそういうものだろう?」


 彼の声は静かだったが、言葉の端々に、焦りと切迫、そして揺るぎない覚悟が滲んでいた。


 沈黙が落ちた政務室に、紙の擦れる音だけが微かに響く。


 アレクトは机の一角に置かれた地図へと手を伸ばし、古い備考資料とともに広げた。王国全土を示したその図の上を、指先が静かに滑る。内陸部を越え、川沿いをなぞり、そして西方の境界へ。


 フェレグリード。視線がそこで止まる。


 かつては王都の直轄領として編成されていた辺境地域。だが、戦乱と行政の空白を経た今、その地は王国の中央政から事実上切り離されている。条約上の支配権こそ残されてはいるが、実態としては自治的な運営が続き、政務代理の名目で任地を治めているのが――元婚約者のアイリーンだった。


 アスナルク家はかつて、王国でも指折りの名門だった。だが今では没落し、その一族の末裔が辺境で再起を図っているにすぎない。とはいえ、土地としてのフェレグリードは依然として王国領に数えられている。


 ならば、そこにも“王国の義務”を負わせることは可能ではないか。


「……バルトロ。辺境統治区への課税提案をまとめさせろ。特例措置を解除し、正規の税制を適用する。根拠は、戦時体制下における防衛負担の再配分とする」


 背後に控えていた廷臣たちの間に、かすかなざわめきが広がった。


「しかし殿下、フェレグリードは現地での自治運営が長く、支配の実効性に疑義が生じかねません。議会でも異論が出るかと……」


「異論が出るなら、それを抑える材料を用意しろ。――事実、王国の地図にはまだフェレグリードの名が載っている。ならば徴税権は、まだ王都にあるはずだ」


 アレクトの声には、迷いがなかった。


 財源が尽きる前に、次の手を打つ。たとえそれが火種となっても、先に仕掛けた側が主導権を握る。それが政の鉄則だ。


(フェレグリード。あの地を生かすも潰すも、今次第だ)


 アレクトは、静かに拳を握った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ