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【連載版】捨てられ令嬢は、今さら亡命してくる元婚約者を門前払いします  作者: 入多麗夜


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不正の帳簿

 朝の光が、政務庁の古びた窓硝子に滲んでいた。

 かすかに揺れる埃が、淡く差し込む陽に浮かんでいる。


 アイリーンは、割れた脚を小さく補修した机の前に立っていた。

 整備途中の執務室。家具も書類も不揃いなままだが、それでも彼女はそこに自ら座ると、深く一度だけ息を整えた。


 隣室では若い職員たちが忙しく動いていた。

 ロウが掃き掃除をしながら、声を張り上げている。


「そっちの棚、ぐらついてるから気をつけて! あ、フィアナさん、その箱、昨日の名簿が――」


「違う。こっちは去年の簿記記録。日付を確認して」


 冷静な声が、割って入る。

 その主は、薄青の制服を着た若い女性だった。


 フィアナ。政務庁内では数少ない、文書整理と会計処理に長けた職員の一人だという。

 二十歳前後と見えるが、表情に無駄な起伏はなく、動作も淡々としていた。


「記録の分類が混在しています。名簿と財務資料は分けて保管すべきです。保存年限も不明瞭ですし、封印の施された文書が開封された形跡もある」


「……え、封印って、誰が?」


「不明です。署名が剥がされていて確認できません」


 フィアナは、書類を一瞥しただけでそう答える。


 アイリーンは、手元の紙から顔を上げた。


「それ、いつ頃の書類?」


「三年前の財務記録です。港湾管理局への出納帳簿。支出額と証憑が一致していません」


 ロウが慌てて近寄る。


「まさか……盗られたんですか?」


「断定はできません。ただ、何者かが記録に手を加えた可能性はあります」


 アイリーンは椅子を引いて立ち上がった。

 机越しにゆっくりとフィアナに近づき、封の切られた帳簿を受け取る。

 中をざっと確認すると、確かに明らかな違和感があった。書き直された跡、日付の消し込み、意図的な改竄の痕跡だった。


「この件、他にも同様の書類がないか調べて。港湾、税務、歳出の項目すべて」


「承知しました。整理班を割いて調査します」


「文書整理の作業は少し中断して、調査を最優先にして。担当はフィアナさんに任せる」


「……私に?」


 フィアナの瞳がかすかに揺れた。


「承りました」


 彼女がそう言ったとき、部屋の空気がひとつ引き締まった。


 ロウが横からそっと尋ねる。


「あの、アイリーン様……これって、大ごとなんですか?」


「今はまだ何とも言えないわ。状況次第って所かしら。でも、放っておいても良い物ではないわね。問題が見つかったなら、それを調べるのが大事よ。まずは真っ当な記録と真っ当な仕組みを取り戻すところからね」


 使い古された言葉だったかもしれない。

 けれど、それはこの地で必要とされていた言葉だった。


 政務庁内の若者たちは、それぞれの持ち場へと戻っていった。


 


 ◇




 その後も政務庁では、作業の音が絶えなかった。


 散らかった帳簿の山を仕分けする者、壊れかけた椅子を修繕する者。

 若い職員たちは、懸命に作業を進めていた。


 やがて、扉が一度だけ控えめに叩かれ、フィアナが戻ってくる。

 まだ朝の日差しが浅い時間帯であることを思えば、戻りは予想よりも早かった。


「報告します。いくつか、確認の取れない帳簿が見つかりました」


 フィアナは腕に抱えた簿冊を一つ、アイリーンの机に置いた。手慣れた動作だったが、どこかその表情には影があった。


「外部の者ではありません。どうやら……内部、それも以前の経理担当による操作のようです」


 彼女が一冊を開いてみせる。


「こちらは架空の納品記録です。物品は記載されていますが、対応する発注伝票も搬入記録も存在しません。印章の押された支出だけが残っていました」


「……つまり、帳簿上では“物が届いた”ことになっているけれど、実際には何も届いていない」


 アイリーンは呟くように言った。


「はい。しかも、この手口は一件ではありません。港湾と物資管理部門、さらに同様の書式が、医療供給と建材調達にも――」



 フィアナが言葉を切る。そのまま静かにアイリーンの視線を見つめ返した。


「記録が改竄されていた痕跡は明白です。封印がなかった理由も、おそらくそこにあります。意図的に処理されたのでしょう」


 アイリーンは無言で帳簿に視線を落とした。

 過去の政務が放置され、誰も検証しなかった結果がこれだ。

 問題の根は思っていたよりも深い。


 それでも、彼女の目に迷いはなかった。


「フィアナさん。これらの資料は、全て別途保管しておいて。後日、証言も含めて正式な調査を立ち上げる必要があるわ」


「はい。内部協力者も含めて、あたりをつけます」


 その答えに、アイリーンは小さく頷く。


「ご苦労さま。――でも、まだ始まったばかりよ」


 政務庁の中に、静かな緊張が走った。

 けれどその一方で、職員たちの足取りはわずかに変わっていた。

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