煙の向こうのカウボーイ
敵の銃声が途絶え、谷に静けさが戻る。
硝煙がまだ鼻に残る中、尾根の上から一人の男が降りてくる。
テンガロンハットに長銃を抱えたその姿は、見間違えようもなかった。彼は一直線に歩き、遮蔽物も気にせず、堂々と戦場の只中に現れた。
誰より先に動いたのはアイリーンだった。
男は立ち止まり、こちらを見た。
「何だ。礼でも言いに来たのか?」
第一声からそれだった。
「ずいぶん派手な歓迎を受けてたな、お嬢さん。道間違えたのか?」
アイリーンは、戦場の煙がまだ薄く漂う中、冷ややかに男を見返した。彼女の周囲では、兵たちが銃を構えたまま沈黙を守っている。
「……状況が分かっていて助けてくれたのなら、感謝はするわ。でも礼を言うほど、こっちは余裕がないの」
「で? その立派な隊列は、何しにこんな寂れた谷まで出張ってきたんだ? 山賊退治か、視察か、それとも慰安旅行か?」
アイリーンは眉ひとつ動かさずに応じた
「ここは、正式な地図にも記載されているわ。定期接触は半年ごと。今回は、遅れていた物資の確認と……住民との協定が目的だった」
男はふんと鼻を鳴らした。
「協定? お嬢さん、それはとんだ笑い話だな。こんなとこに住人なんざ、最初からいねぇよ」
兵たちの間にざわめきが走る。アイリーンの視線だけが動かず、男の言葉を探るように受け止めていた。
「地図に載っていても? 定期報告もあるはずよ」
「ある“はず”だな。でも俺がここに来て三ヶ月、見たのは廃屋と野犬だけだ。焚き火の跡も、煙の一本も見やしねえよ」
「つまり、定時連絡は――」
アイリーンが言いかけた言葉に、男が無遠慮にかぶせた。
「そんなのある訳ないだろ。報告してるなら、そいつはウソか、死んでるかのどっちかだ」
副官が顔をしかめた。
「……では、我々が受け取っていた報告書は、誰が?」
「さあな。俺が知るか。……ただ一つ言えるのは、三ヶ月も人がいねぇ場所で、“生活の痕跡”を一度も見ねぇってのは、そういうこった」
カウボーイは肩をすくめ、コートの裾を払って岩に腰を下ろした。
「それとも、お前らんとこの文官ってのは、誰が書いたかも確かめずに報告受け取るほど間抜けなのか?」
副官が言い返しかけたが、アイリーンが手で制した。
「……つまり、定時連絡は最初から送られていない。誰かが、本部を騙していた」
「ようやく話が早くなってきたな、お嬢さん」
カウボーイはそう言って笑うと、地面に落ちた空薬莢をブーツの先で転がした。
「ま、誰が通信偽造したかなんて、俺の関知するこっちゃねぇが……治安維持のためだ。協力はしてやるぜ、せいぜい足手まといにならねぇ範囲でな」
その物言いに副官が眉をひそめかけたが、アイリーンは微動だにしない。
「それで、報酬は?」
「報酬だぁ? ……ああ、そうだな」
カウボーイは唇の端を吊り上げ、谷の向こうを見やった。
「とりあえず、撃っていい奴がもう一、二人残ってるってなら、そいつらの場所だけ教えてくれ。それでチャラにしとく」
まるで狩りの続きでも頼むような口ぶりだった。
アイリーンは小さく息をつき、帽子の奥にある男の顔を見つめた。
「あなた、見た目の割に――良い人そうに見えるけど、中身はずいぶん乱暴なのね」
カウボーイは鼻で笑った。
「見た目がいい? そりゃどうも。だがな、お嬢さん、俺に人間性なんて求めるなよ。こっちにも事情ってものがあるんだよ」
「事情、ね。ずいぶん義理堅いわね」
「そりゃ、商売の都合ってやつさ。放っときゃこっちが撃たれる時代だ。弾の節約にもなるってだけだよ」
そう言って、彼は懐から銀紙に包まれた干し肉を取り出し、歯で裂いて噛みはじめた。
「それに、あんたらが死なれると面倒が増える。あとからまた役人がうじゃうじゃ湧いてくる。静かな山暮らしが台無しだ」
アイリーンは眉をひそめる。
「貴方はここでずっと暮らしてるのかしら?」
彼女が問うと、カウボーイは一度肩をすくめ、それから吐き出すように答えた。
「暮らしてるってほどじゃねえがな。……借りがあって、返してるところだ」
その言葉に、アイリーンは静かに眉を寄せた。
「……誰に?」
風がひと吹き、干し草の香りを運んでくる。カウボーイは干し肉を噛みながら、暫くの間、空を眺めていた。




