仕掛けられた罠
朝霧がまだ山の稜線を這う頃、隊列は谷の傾斜を抜け、ようやく目的地にたどり着いた。
そこに広がっていたのは、岩肌に抱かれるようにして佇む小さな村――だが、どこか異様だった。
「……煙が、上がっていません」
最前列の斥候が、声を潜めて報告する。アイリーンは騎乗のまま、その視線の先に目を凝らした。
屋根は無事、家屋の外形も崩れていない。だが、煙突からは一本も煙が昇らず、朝の食事を連想させる気配が村にない。門扉の影にも、人の姿は見えなかった。
「隊を止めて。副官、五名を選出して前方に随行。残りはここで待機、防御隊形を維持」
号令が走ると、兵たちは迅速に動いた。警戒態勢のまま、選抜された五名がアイリーンの左右に展開する。
歩みを進めるにつれ、村の静けさが際立っていく。門は開いており、道はぬかるんでもいなかった。だが、歩くたびに聞こえるのは自分たちの足音だけ。鶏の声も、犬の吠えも聞こえない。
風が、ひと筋、谷を抜けていく。木の葉が擦れる音さえ、どこか遠く感じられた。
そのときだった。
パンッ。
乾いた音が、山の斜面に反響した。
「伏せろ!」
副官の叫びと同時に、銃弾が土を穿ち、砂利が跳ね上がる。兵たちが地面に身を伏せ、弓を手にした斥候が反射的に周囲の木立に矢を放つ。
二発、三発。連続する銃声。狙いは正確で、標的は明らかに中央のアイリーンを捉えていた。
「遮蔽物を確保! 敵は高所だ、右の尾根!」
副官が指揮をとる。兵の一人が荷馬車の陰に転がり込む。別の斥候が岩の陰に走り、背後の丘へと回り込もうとするが、また一発、今度は彼のすぐ脇の幹が吹き飛んだ。
岩壁が銃弾を受けて砕け散る。粉塵が舞い、土くれが雨のように降りかかった。山に響く銃声は一発ごとに鋭さを増し、射線は散発ではなく、連携をして来ていた。
右の尾根、左の斜面、そして背後の谷――三方から撃ち込まれる弾丸が、まるで狙撃手の網のように隊列を押し潰す。銃声は一斉に響くのではなく、秒単位で交差し、兵たちの動きを追い詰めるようにして撃ち込まれていた。
悲鳴はなかった。ただ鈍く倒れる音と、呻きが土に吸われていく気配だけがあった。
誰かが発砲を試みた。だが、立ち上がる前に肩を撃ち抜かれ、銃が地面に転がる。
兵士の一人が這うようにして岩陰に移動しようとした瞬間、すでにその動線を読んでいたかのように、弾が目前の地面を穿った。
――訓練された傭兵、いやそれ以上だ。
アイリーンは冷静だったが、確かに理解していた。この攻撃は、即興ではない。配置も距離も、完全にこの場所を「待ち伏せの罠」として設計した者の手によるもの。
ふと、弾道の交差点に、ひときわ異なる一撃が響いた。
乾いた音でも、重い轟音でもない。空気そのものが裂けるような、研ぎ澄まされた一発。
左の尾根、木立の隙間に、一人の男が立っていた。
風にあおられたコート、古びたテンガロンハット。腰のホルスターはからっぽで、彼は両手で長身のライフルを構えていた。
カウボーイだった。
その銃口が向いていたのは――アイリーンでも兵士でもない。
敵の狙撃手だった。
再び、雷鳴のような発砲音。標的のひとりが木陰から崩れ落ちる。その直後、尾根の裏手で動こうとしていた影にも、正確に二発目が撃ち込まれた。
敵が動揺する。銃撃が一瞬、止まった。
その隙を突くように、アイリーン側の兵が反撃に転じる。丘の影にいた二人が走り込み、遮蔽物の間から狙撃体勢に入る。
そしてカウボーイは再び銃を構え直す。
その眼差しは、まるで狩人のようだった。




