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【連載版】捨てられ令嬢は、今さら亡命してくる元婚約者を門前払いします  作者: 入多麗夜


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不思議な噂

 内陸視察の出立を三日後に控えた午後――


 最初の情勢報告が、現地の郡庁を経由して政務庁に届いた。


 応接室で報告書を手にしたアイリーンは、しばらく無言で数行を読み進める。


「……思っていたより、悪くないわね」


 そう呟いた彼女の言葉に、フィアナが少し目を見張る。


「治安は壊滅的だと覚悟していたのですが……この報告、多少の誇張があるとしても、秩序は維持されているようです」


 内陸部――本国の中心から遠く離れたこの地は、かつて犯罪者の流刑地とされていた過去を持つ。


 重罪人が流され、定住を強いられた山地と谷間の村々。世代を経て姿こそ変えたものの、その名残は、今もなお地勢や風習の随所に残っている。


 所々では、他国からの密輸品の隠し場所や、かつて摘発されたギャングの残党が潜んでいるという噂も、いまだに後を絶たない。


 もちろん、すべてが確認された事実ではない。だが“噂が絶えない”ということ自体が、この地の不透明さと閉鎖性を物語っていた。


 実際、かつて州外から派遣された調査団が一つ、途中で消息を絶ったという記録がある。形式上は「事故死」とされているが、報告書には不自然な部分が多く、内部でも再調査の声は上がっていた。


 ――だからこそ、油断はできない。


 アイリーンは無言のまま、報告書の一行一行を丹念に読み進めていく。表面的な治安の安定が、果たしてどこまで信用に足るのか。必要なのは数字ではなく、“何が書かれていないか”の見極めだった。


 ふと、ある村の欄で彼女の手が止まる。


 ――近月、大規模な盗難・傷害事件の報告なし。巡回官不在の区域においても、目立った衝突は確認されず。


 一見すれば、ただの良好報告。だが、それが妙だった。


 巡回官すらいない――すなわち、正規の監視体制が欠落した無警備地帯で、“まったく”問題が起きていない。そんなことが、あり得るのだろうか。


 アイリーンは眉を寄せたまま、その村に関する記述を繰り返し読み返す。報告書に添えられた数枚の補足資料。そこにも、目を引くような記録はなかった。ただ、すべての文面に共通していたのは「問題なし」というあまりに素っ気ない一文だった。


 巡回官がいないはずの村で、どうして秩序が保たれているのか。住民たちが自主的に自衛している? それとも、別の――正体不明の勢力が存在しているのか。


 その可能性を思案するには、材料があまりに乏しかった。


 だが、ふと脳裏に浮かんだのは、ほんの数日前に政務庁へ持ち込まれた、信憑性に乏しい一件の報告だった。


 郡庁の記録には載っていない。巡回記録でもなく、現地の商人から伝え聞いた話を、警備隊の副官が書き留めた非公式な覚え書きにすぎない。


 だが、妙に具体的だった


 西風に吹かれるような古びたロングコートに、砂埃に染まったつば広帽。腰には二丁の銃をぶら下げたカウボーイの男が現れたというのだ。


 夜明け前のこと。集落の酒場で騒ぎが起きた直後、その男は音もなく姿を見せ、たった数発の銃声だけで、暴れた連中を沈めた。そして一言も発することなく、何事もなかったかのように街を離れた――そう記録にはあった。


「二丁拳銃の……ガンマン」


 アイリーンはその記述を反芻するように目を細めた。


 二丁拳銃、今では旧式の代物だ。現行の制式銃と比べて、装弾数も命中精度も劣る。

 

 それを携えたまま、数人を一瞬で制圧した――その時点で、素人ではない。


 退役軍人か、傭兵崩れか。それとも、もっと別の筋か。


 アイリーンは書類を静かに伏せた。


「視察初日、この村を最優先で確認する。準備を」


 フィアナが頷く。小さな違和感が、大きな問題になる前に、抑える必要があった。


 相手が何者であれ――味方か敵かすら不明である以上、無視はできなかった。

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