採決の時 ④
議長の宣言とともに、静寂が落ちた。
最初に立ち上がったのは、軍事を担うハーヴェル州の代表だった。冷静な表情のまま、手元の書簡を読み上げる。
「我が州は、本案に原則として賛同いたします。行政文書への課税による秩序の明文化と、歳出不足への対応は、国家維持のために不可避と判断するためです」
重々しい言葉が、空間に広がる。
続いて立ち上がったのは、ソルディアナ州の代表だった。教会の長を兼ねる初老の男が、柔らかな口調で言葉を繋ぐ。
「教会としては、印紙税の導入が信徒の生活を著しく圧迫するものでない限り、容認できるものと考えています。ただし、弱者への配慮は忘れるべきではありません」
議場が一瞬ざわついた。これで賛成二票。
だが、反対意見もすぐに続いた。
「我がアシュレイン州は、産業活動を基盤とする地域です。製造業や運送、契約文書が不可欠な分野において、課税は直接的な負担となる。従って、本案には反対の立場を取ります」
次々に交わされていく賛否。その空気の中で、アイリーン・アスナルクは静かに席を立つ。
「フェレグリード州として、本案には反対いたします」
静けさのなか、彼女の声が鮮やかに響いた。
「先程も述べたように、この会議体そのものの自治的正統性を脅かす動きに対して、明確な抗議を示す必要があると考えたためです」
その言葉を皮切りに、各州の代表が順に立ち上がっていく。
「カーベン州も、本案には反対します」
書類を小気味よく整えながら、交通要所を預かる代表が言う。
「我が州では文書処理が日常業務の根幹です。課税は即ち機能低下を意味します。行政の整理とやらのために、物流を鈍らせるような制度には賛同できません」
賛成二、反対三。緊張が議場を満たし始める。
「エルトワーズ州は……本案を条件付きで容認します」
外交港湾都市を代表する人物が立ち、慎重に言葉を選ぶ。
「課税の透明性が確保され、通商への支障が最小限にとどめられる限り、我々は国家との協調を選ぶべきだと判断します」
賛成三、反対三。均衡する。
「ヴァルネス州、反対」
短く言い放ったのは、中央から最も遠い牧畜の地を代表する人物だった。
「我々は中央の干渉に慣れておらぬ。税制度が牧童たちの暮らしを縛るならば、それはもはや国家の顔をした異物だ」
反対四。
「ミルヴァン州も反対とします」
商業都市の代表が、静かに言葉を重ねる。
「利潤を生まぬ書類に税を課すことで、取引のスピードが落ちれば、失われる信用と利益は取り返せません」
反対五。
議場には、重苦しい静かさが広がっていた。あと三州が判断を示せば、結果は決まる――だが、ここからが読めない。
再び立ち上がったのは、サルベリア州代表。老いた農政官は、資料を見下ろしながら言う。
「我が州は、大河と農地を持つ穀倉地帯。課税が契約手続きに影響を与える可能性は否定できない。だが同時に、国家の安定無くして収穫は守れぬ」
言葉を切ったその間に、緊張が走る。
「以上を勘案し……我々は、本案に賛同いたします。ただし、農村部における負担の再検討を要請するものとします」
賛成四、反対五。再び拮抗する。
「ノルヴァ州」
名を呼ばれた漁業州の代表が、ためらうように立ち上がった。
「我が州では、漁協の契約書や許可証など、文書の数こそ少ないが、その一枚一枚が命綱だ。現場からは、不安の声も上がっている」
そこで視線が、円卓の反対側――アイリーンへと向けられる。
「我々も、反対の立場を取るべきと考えるに至りました」
反対六。中立と目されていた州が、一つ反対に傾いたことで、場の空気が一変する。
「……ローエン州」
議長が静かに名を呼ぶ。
会場が息を呑む中、保守派として知られるその代表が、椅子を引いてゆっくりと立ち上がった。
「我が州は、州権の独立と慎重な制度設計を重んじてきた。中央が力を振るうならば、それに対し、我々も自らの論を示さねばならぬ」
反対七、賛成四。 残るは、あと二州。
再び静寂が訪れたその中で、イストリア州の代表が立ち上がる。学術州を代表する痩身の男は、眼鏡越しに全体を見渡し、言葉を選びながら口を開いた。
「制度とは、数字や効率の問題であると同時に、理念と正統性の問題でもあります。我々は、課税そのものよりも――その制定過程に、いくつかの懸念を抱いております」
議場が静まり返る。
「議会の同意が形式的であるならば、それは制度に対する信頼を損なう結果となる。よって、我がイストリア州は、今回の案に反対いたします」
反対八、賛成四。
議長が立ちかけたそのとき――最後のひとつ、沈黙を守っていたガラン州が、ゆっくりと椅子を引いた。
銀髪の代表は一拍置いてから、口を開く。
「……我がガラン州は、国境の守りを担い、本国と密接な関係を築いてきた。それは事実であり、誇りでもある」
銀髪の代表は、卓上の文書に一度だけ視線を落とし、再び全体を見回した。
「だが同時に、我々はこの議会体制の一員でもある。中央の意を汲むことと、自らの判断を放棄することは、決して同義ではない」
一瞬、場が静まった。
「それでも――今回の印紙税強化案については、ガラン州として、これを容認する立場を取る」
ぴしりと張り詰めた空気のなか、誰かが小さく息を呑んだ。
「理由は明快だ。国境の維持、秩序の強化、そして本国との信頼関係の持続。いずれも、我々の州にとっては死活問題だ。その安定のための一歩であるなら、一定の負担は受け入れねばならぬ」
静かに、だが明確に言い切ると、代表はゆっくりと着席する。
これで――賛成五票、反対八票。
議場には、長い沈黙が訪れた。
議長が立ち上がり、厳かな声で宣言する。
「以上を以て、印紙税強化案に関する採決を終了とします。過半数により――本案は、否決と認定されました」
議長の宣言が下り、重く張り詰めていた空気が少しずつほどけていく――かに見えた、そのときだった。
「――異議ありだ」
立ち上がったのは、軍事州ハーヴェルの代表だった。