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交わる視線のその先に

 時間が止まったような空間で、風だけがわずかに埃を揺らしていた。


 アイリーンの名乗りのあとも、相手はしばらく沈黙を続けていた。旧製紙所の奥に立つ二人――一人は若く、もう一人は年嵩の男だった。どちらも、身なりは労働者風ながら、物腰にはただの市民ではない落ち着きと覚悟が滲んでいる。


「……政務庁が、ここまで足を運ぶとはな」


 ようやく年嵩の方が口を開いた。声に敵意はなかったが、歓迎の色も見えない。


「取り締まりに来たわけではありません。証拠も命令書も持ち合わせていませんから」


 男はわずかに目を細め、皮肉めいた口調で言った。


「流石、あのアスナルクとはな。本国でも有名人だ。……政務の天才、フェレグリードの影の実権者。反乱分子の取締りにもご関心とは」


「そういう肩書きは、どれも私の意志で得たものではありません」


 アイリーンは即座に言い返した。


「ただ――この地で何が起きているのか、知らなければならないとは思っています。責任があるからではなく、私は、ここに生きる人間の一人だから」


「はっ、ご苦労なこったぜ」


 年嵩の男は鼻を鳴らし、軽く肩をすくめた。


「見てみな、今の現状を。お前達が何もしないからこうして行動しているんだよ、馬鹿かお前は」


 年嵩の男――ロシュは、煤けた壁を指さしながら言い放った。かつて注意喚起の文言が掲げられていたはずの場所には、今では剥がれかけた紙切れが何枚か、文言と共に無造作に貼りついている。


「おい、言い方気をつけろよ。あのアイリーンだぞ。何されるかわからないからって、グレンが言ってた」


 若い男――ノアが、やや小声でロシュに釘を刺すように言った。その顔には焦りがにじんでいたが、それ以上にアイリーンの前評判への戸惑いが色濃く出ていた。


「私は、フェレグリード産の紙の実態を追っているだけです。あなた方に対して、摘発や報告を行う立場ではありません」


 アイリーンの声は静かだったが、ひとつひとつの語が明確に響いた。その言葉に、ノアは一瞬目を見開いたが、すぐに視線を逸らす。


「確かめて、どうする。戻って報告して、王都に首を縦に振らせる気か? 俺たちのやってることは、あんたらからすりゃ明白な違法行為だ」


 アイリーンは一歩、彼らに近づいた。


「本国の要請から見れば、確かにあなた方の行為は明確に“違法”です。密造、印紙税の不履行、発行物の検閲違反――どれも条文に照らせば処罰対象になる」


 ロシュは肩を揺らしたが、もはや皮肉も吐かない。ただ、沈黙のまま彼女を見ていた。


「……けれど、私はまだ“フェレグリードとしての見解”を、あなた方に伝えていません」


「何だと?」


「それにフェレグリードは曲がりなりにも自治国家です。――選ぶ権利も、私たちにある」


 その言葉に、微かに空気が揺れた。


「……つまり、お前は見逃すってのか?」


 ロシュが絞り出すように問いかける。

 

「私の役割は、“見逃す”ことではありません。それを決めるのは、最終的には議会と国民です」


 アイリーンは続けて話す。


「現段階で、あなた方の活動が“正式に違法”と定められたわけではありません。まだ、です。けれど――」


 彼女は少し言葉を切り、視線をロシュに向けた。


「ただし、あのビラ――内容が“本国に対する反乱活動”と見做されれば、フェレグリードとしても擁護は難しくなります。議会内の保守派に口実を与えることになる」


 ロシュは腕を組み、口元を引き締めた。


「……黙ってろって言うのか?」


「違います。そんな事を言っているのではありません。けれど今は、声を荒げるよりも、こちらで法を止める手段を選びたいのです。本国からの印紙税押しつけに対し、フェレグリードの議会で否決を通すために動きます」


 その言葉に、ノアが息を呑んだような音を立てた。ロシュも視線を上げ、まじまじと彼女を見た。


「……それが、本気の話なら」


「本気です。その代わり、あなた方には――このビラのような過激な表現を、しばらく控えてもらいたい。敵を刺激する行為は、今は有害です」


 アイリーンは一歩進み、床に落ちていた一枚のビラを拾い上げた。


 黄ばんだ紙には、黒々とした手書きの文字が並んでいる。「金と情報をむしり取る本国に鉄槌を!」と大書されたその見出しは、読み手の怒りと恐怖を煽るように構成されていた。

 内容には、情報統制への批判とともに、王都の高官の名指し、さらには「民意に従わぬ政務庁は、民衆によって裁かれるべきだ」といった過激な文言も混ざっている。


「……あんた、本当に議会で否決できるのか?」


「ええ、アスナルクの名にかけて」


 ロシュがじっと彼女を見つめた。その瞳には、まだ懐疑と怒りが残っている。だが同時に、それを覆い尽くすだけの確かな重みを、彼女の声に感じ取っていた。


「……なら、こっちは手を止める。今だけだ。議会が負けたら、俺たちは好きにやる。それでいいな」


「ええ。あなた方が何を想って行動してきたのか、少なくとも私は理解しています」


 ノアが、少しだけ目を細めた。


「わかったよ。信じるのは簡単じゃないけど――待ってみる」


 アイリーンは軽く頷き、手にしたビラを慎重に鞄に収めた。


「私は政務庁に戻ります。今後の印紙税関連の議会の動きは、ぜひ――『ヴェスタ・タイムズ』でご覧になってください」


 そう言って背を向けた彼女の足取りは、扉の方へと向かっていた。

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