05 同調とは
結論から言うと、出来なかった。遠慮したとか出来ない振りをしたとかでは無い……と思う。幾度と無くわたしの身体を擦り抜ける佑の腕を眺めていた少年が音を上げた。止めろ、気持ち悪いもの見せるな。だったら見ないでよ、ていうか出て行ってよ。わたしが追い出そうとするのを佑が止めた。どうやら乗り移れるのはこの身体だけらしい、貴重だ。わたしは首肯した。
「それで、少年」
『馨くん、だよ。奏子』
「……馨くん。どうしてあなただけ出来るのかしら。狡いわ」
「そんな事を言われても! 俺が訊きたい!」
『馨くん。君は元々、幽霊を見る体質だった? 乗り移られるのも?』
「……見えるのは、時々。それで気持ち悪がられた。でもあんたみたいにはっきり見えた事は無かった。喋った事も無い。ましてや乗り移られるだなんて」
「乗り移られるって、どういう感じ?」
「どう、って……。そうだな、圧し負けた後はほとんど諦めてたんだが、何もかもがヴェール越しっていうか、遠くから眺めているような感じかな」
「わたしのあられもない姿は、どのくらいはっきり見えたのかしら?」
『奏子!』
「み、見てねえ、見てねえよ! 意識を逸らそうと……ってかそもそもその男、顔を背けたり目を瞑ったりしてたから!」
「……佑」
『プライベートは守る約束だからね』
さすがはわたしの恋人だ。紳士だ。わたしは取り乱した事を謝った。佑は優しいから、許してくれる。微笑み合っていると、盛大なる腹の虫が鳴り響き、雰囲気をぶち壊した。
『ともかくだ。奏子、君は風呂に入って温まっておいで。足は大丈夫? 歩けるね? 気をつけて。ゆっくりして来るといい。そして馨くん、君はフロントに連絡して、夕食を運んでもらうんだ。――奏子、この子が僕の分の食事をしても文句は言わないね?』
「佑はわたしの分を食べていてちょうだい。……お言葉に甘えて、お風呂に行って来ます」
◆ ◆ ◆
左足を庇いつつも大浴場を堪能して戻ると、少年――馨くんが膨れた腹を擦りながら寝転がっていた。何という行儀の悪さだ。でも佑が何も言わないので、見ない振りをしてあげた。
「佑は食べたの?」
『いただいたよ。美味しかった。いい宿を見つけてくれてありがとう、奏子』
そして馨くんが食べ散らかした膳の前に座ってくれる。わたしは安心して箸を付けた。
「幽霊なのに飯を食うとか、変だな」
「失礼だわ。佑、叩き出してもいい?」
『止めてくれ。――馨くん。陰膳という言葉を聞いた事は無いかな? いやまあ普通にお供え物でもいいんだが。いかにも僕は箸を持つ事も出来ないけれども、きちんと味わう事が出来るんだよ。それはきっと奏子の、僕に美味しいものを食べて欲しいと思ってくれる心のなせるわざだ。思いやりだよ』
「……ふーん」
「佑。この小鉢は何?」
『凍み豆腐だね。餡の中にナッツが入っていて香ばしいよ』
「そんなんあったか。気がつかなかった」
まったく、情緒を介さないお子ちゃまだ。佑が風呂に入って来るよう促し、馨くんは面倒そうに起き上がって出て行った。
『奏子。食べながらでいいから聞いて欲しい。あの子は住所で言うと隣街の住人だね。高校二年生。どうやら苛めを受けているらしい。それは幽霊が見えるという体質に端を発するものらしい。身内も頼りにならない、というか身内こそが問題だ。幽霊が見えるという彼の言を信じない』
「そもそも幽霊って何なのかしらね」
『……さて。それはこうなった僕にもわからない、僕は僕の事しかわからないよ。ともかくだ。僕は一応大人の務めとして彼の家に連絡を入れた――彼は拒否したので僕が乗り移った状態で行なったんだが。知り合いの家に泊まる、そう告げたら、ああそう、だってよ。ご迷惑にならないように、それだけで、どこの誰の家とも訊かれなかった』
「それは……とんだ無関心ね」
『我が身の置きどころが無さ過ぎて彼岸を求めた――その心持は、邪険には出来ないよ、僕は』
「佑は優しいわね」
『そうでも無いよ』
佑は座り直し、膳に肘をついた。お行儀が悪いが、でも、かっこいい。
『奏子。僕は僕の身勝手な思惑で、彼を利用したいと考えているんだ。君にとっては不快な話かも知れないけれども』
「わたしは佑を信じてるわ」
『君のその清らかな心は、どこまで僕を許してくれるのかな。ともかくだ、明日僕らは彼を連れ帰る。自宅に送り届ける。それからまあ、ちょっとばかりパフォーマンスを披露してだね、彼がもう少し生きやすい環境を整える』
「……何を企んでいるのかしら、わたしの素敵な恋人は?」
それは当日のお楽しみかな、と佑が笑ったところで、馨くんが戻って来た。湯上りの頬がつやつやしている。若いなあ。高校二年生って、十七歳? わたしたちより九つも歳下?
お腹を膨らませて、身綺麗になって、刺々しい雰囲気が消えた。よくわからないけど憑依? 同調? した事によりある程度の情報交換がなされたのと、わたしがお風呂に行っている間に話もしたらしく、こちらの事情は了解してくれたようだ。
「びっくりしたけど、すげえ仲良しなの、いいなあって思ったよ」
素直な賛辞と受け取る事にした。
『奏子に手を出したら許さないよ?』
「しねえよ。……こんな美味い飯、初めて食った。豪華ってだけじゃ無く。あんたらの雰囲気が良いからだ。落ち着くんだ。家みたいにギスギスして無い」
なるほど。随分と息苦しい生活をして来たようだ。
『いつまでその信頼が続くやらだけどね』
佑が不穏な事を言う。
『馨くん。僕は君の力になりたいと思っている――ただし、いささか荒療治で。なおかつ君に求めるものがある。強制はしないけれども、快く受けてくれたら有難いと思っている。いや快くは難しいか、というか喜んでと言われたら僕が複雑か』
「佑? 何を言っているのかわからないわ」
せっかくリラックスした雰囲気だった馨くんが、また固くなってしまっている。
『まあまあ、ものには順序がある。すべては明日以降、帰ってからだよ』
「帰る……。でも俺、もう金が無い。切符が買えない。っていうかこの宿代」
『君はこの宿に佑としてチェックインした。帰りの列車にも佑として乗る。それだけだ。まあ出資者は奏子だから僕が偉そうに言う事じゃないけれども』
「でも俺」
「待って。じゃあ佑が座って帰れないじゃないの。だったらもう一席、取るわよ」
『僕はどうにでもなるよ、幽霊なんだから』
「幽霊って言わないでよ! 嫌よ、佑と二人の旅行なのよ、帰りだって並んで一緒に帰るのよ」
わたしはまたぼろぼろと泣いてしまったのだが、馨くんが今にも出て行きそうになったので、どうにか涙を止めた。
「……か、馨くんと三人、旅行。でも、馨くんの帰りの席、離れちゃうかも知れない、ごめんなさい」
「俺……俺は」
『奏子。ごめん。そしてありがとう。僕は君に甘えてばかりだ。――さて馨くん。膳を下げてもらってくれるかな。それが済んだら君の布団を移動させて、部屋の端に。奏子の可愛い寝顔は見せないよ』
これでわかっただろう、と、佑が呟いたようだった。
「佑……佑、一緒に寝てくれる?」
『ああ、可愛い奏子。一緒に寝ようね。でもその前に、顔をちゃんと拭いて。腫れてしまうから』
佑は優しい。わたしがどんなにみっともなく泣き喚いても、決して怒らない。馨くんはきっと呆れているだろうな、自分より九つも歳上の女が、いい歳して、恋人に臆面も無く甘えて。




