04 少年
既に陽はとっぷりと暮れている。少年は――佑はわたしを抱え、鞄を置いて来た場所まで戻った。お姫様抱っこで運ばれるなんて生まれて初めての経験だが、さてこれは恋人の腕と言えるのか。
佑はわたしを下ろし、座らせる。それから、ちょっと苦しそうな表情になった。
「奏子。こいつを捕まえておいて、逃がさないで」
「わかったわ」
その表情が、揺らぐ。二重写しになったように見えた。前のめりになる少年の背から剥がれるようにして佑が立ち上がるのを、わたしは不思議な思いで眺めた。
「……そんな、事、出来たんだ?」
『奏子を支えようと夢中で……腕を伸ばした。自分の腕じゃないみたいだった。実際、自分の腕じゃなかった訳だ』
わたしの腕の中から、呻き声が上がった。少年だ。「……気持ち、悪ぃ」捕まえておくまでも無く、逃げる気力も無いようだった。
「何かが割り込んで来た。俺は押し退けられた。勝手に手足が動かされた……」
「大丈夫? 立てる?」
「……無理」
『奏子。いつまでもそいつを抱いていてやる事なんか無いよ?』
「でもだって佑のせいでしょうに。放ってもおけない。どうする?」
『さて』
佑は屈み込んだ。少年と視線を合わせる。
『確認だ。君は僕が見えているね? 声も聞こえている?』
少年は答えず、目を逸らした。
『先程、君に同調――というか憑依? した事で、君の個人情報を多少知り得てしまったと思われるのだが、君の方はどうだ?』
少年は弾かれたように顔を上げた。
『つまり君がいつまでも僕の恋人にしがみついているのは、僕としてはあまり面白くないんだけどね?』
少年は慌てたようにわたしから離れた。
「完全に佑が見えているし声も聞こえているのね。ねえあなた、お名前は?」
唇を引き結んで、答えない。『カヲル、だってよ。薫風でも香車でも馥郁でも無い、馨香』ちょっと脳内で漢字が乱舞した。佑の言い回しは時々、謎だ。
「勝手に!」
『君も僕の名前がわかるんじゃないのか?』
「……タスク。人偏に右。そっちのあんたはカナコ、奏でる子」
佑は拍手してみせた。音はしない。
『さて馨くん。僕たちは小旅行で、今夜はこの街に一泊するんだが、君はどうする?』
「どう、って……」
『偶々だが君の住まいは僕たちが暮らす街から然程離れていないようだ。といって今から帰るのは無理だね? というか帰る気は端から無かった? 片道切符でここまで来た?』
「……嫌味かよ」
『僕たちは君にたいへん興味がある。積もる話をしようじゃないか。――奏子。君は僕の提案に賛成してくれるかい?』
わたしは首を傾げた。話がまったく見えないのだが。
『端的に言うとこの馨くんはここで命を絶つ予定だった。でも僕らは彼の――ちょっ、奏子!』
少年の胸倉を掴み、引っ叩いた。返す手で、もう一発。
「自分で死ぬですって! あなたはそのご立派で五体満足で健康な身体を、要らないって言うのね! 投げ捨てるって言うのね!」
『奏子、奏子、落ち着いて』
「生きてるって事が、どんなに、っ……」
わたしは頽れ、泣き噎んだ。息が詰まる。苦しい。そのうちに朦朧としたわたしを、誰かが抱え上げた。誰か? 決まっている、佑だ。優しいわたしの恋人。わたしは縋りつき、甘えた。彼は優しくわたしの髪を撫でてくれた。
◆ ◆ ◆
話し声がする。
「無茶苦茶だ。二度も体を乗っ取られた」
『人聞きの悪い。緊急避難だ。君だって動けなかったじゃないか』
「誰のせいだよ」
『いかにも僕のせいではあるが。だが奏子があんなに怒ったのは君のせいだよ、君には与り知らない事だろうけれどもね。――見ての通り僕は幽霊だ。肉体は火葬されてしまった。愛しい恋人に触れる事も出来ない、転んでも手を貸す事も出来ない、泣いたって涙を拭ってやる事も出来ないんだ。一方の君、立派な身体を持ちながら、手放そうとしている』
「それは……だって、俺にだって事情ってものが」
『ああそうだろうさ。同調したからよくわかる。君が苦しんだ事も。だから』
「だから」わたしは声を上げた。それから目を開く。佑が覗き込んでくれた。
『奏子? 起きたの?』
「たすく……。わたし……ここ、どこ?」
『宿だよ。二名でチェックインした、つまり、そこの彼を佑と名乗らせてね』
わたしは起き上がった。佑の向こうにはもう一組、布団が延べてあり、先程の少年が横たわっている。わたしと目が合うと、気まずそうに身を起こした。
『奏子、怒らないでくれ、緊急避難だ。足を怪我した君をそのままにしておけなかった。なおかつ、砂塗れの恰好のままにさせておく訳にもいかなかった。お願いだ、わかってくれ』
何を。わたしは自分の体を見下ろした。左足には包帯が巻かれている。そして……宿の浴衣を、着せられている? 汚れた服は、脱がされて……?
「だ、だだだ、誰が」
『僕だ! 奏子、君は恋人の僕が緊急避難で手を触れる事すら許してくれないのか?』
「佑っていうか佑じゃないじゃないのよ! ばか! ばか! ひどい!」
「いやあんた、あの恰好のままだったら風邪引いただろ」
妙に冷静な声。そうだ、こいつ。このガキ。
「……佑。さっきの話よ。このおガキ様、身体が要らないんでしょう? それでもって、佑は何だかこの身体に乗り移れるんでしょう? だから」
『か、奏子? そんな一足飛びに結論を』
わたしは、怯え切った少年をとっくりと眺めた。整った顔立ちは怜悧と言って良いが。
「佑。わたし佑の優しい綺麗な顔立ちが好き。こんな冷たいのじゃなくて」
『そ、そう? 照れるね。でも嬉しいよ』
「……こんな」
「ねえ佑。それって誰にでも出来るのかしら?」
佑は首を傾げた。
『乗り移る? そもそも、やろうと考えた事が無かった。さっきは本当に、奏子に手を貸さなきゃって、夢中だったんだ。ああでも二回目は意図的にだ、はっきり言って物凄く抵抗された。でも弱っていたから僕が圧し勝った』
「つまり抵抗しなければ、するっといけるかも知れない。ねえ、やってみてよ」
『……って?』
「わたしに! 名案だと思わない? それで、ずっと一緒に居るのよ! わたし佑の好物を作るわ、出来上がったらわたしに乗り移ってもらうのよ、そうしたら食べてもらえるでしょう?」
さあ、と、わたしは手を伸ばした。




