03 小旅行
佑と出会うまでは、旅行なんて、した事も無かった。恋人が出来るって、そういう事だ。嬉しい。手配のアドバイスは佑がしてくれる。佑は何でも詳しいな。わたしは自分の希望を述べた。二人きりで静かにゆっくり過ごせるところ。そうして佑の挙げてくれた候補の中から、わたしは海を選んだ。
『そんなの、もったいないよ』
「嫌よ。どうしても、そうしたいのよ。佑が何を言ったって、決済するのはわたしなんだからね」
動物園や水族館なら笑い話で済ませられる。でもこれは二人で行く旅行だ。何もかも二人分だ――乗車券も、宿も。同行者として、わたしは佑の名前を記入する。検札が回って来ても、わたしは二枚の乗車券を差し出す。おかしな顔をされるけれども気にしない。だって佑はちゃんと座席に座っている。
『せめて奏子が窓側に座ればいいのに』
「佑の顔を見ていたいの」
車窓を流れる風景。佑の笑顔。でも時々列車はトンネルに入り、佑は窓ガラスには映らない。
『奏子』
「佑。わたし、楽しい。幸せよ」
海に到着したのは夕刻だった。シーズンオフで誰も居ない。それこそがわたしの、わたしたちの、希望だった。だって佑は他の人には見えないから。わたしが一人で喋っていると思われてしまうから。
「佑! 海よ!」
『奏子! 走ると危ないよ』
わたしはすっかりはしゃいでいた。だってこの広い砂浜に二人きりだ。誰もわたしたちを見咎めない。
「凄い、見て、大きな夕陽。空が溶けちゃいそうじゃない?」
『奏子は詩人だね』
「水平線に接したら海が溶けそうよ。ねえもっと波打ち際まで行ってみたいわ」
『靴に砂が入るよ』
「じゃあ脱ぐ。……ふふ、砂の感触が気持ちいい」
『奏子! 危ないよ、何が埋まってるかわからない』
「何も見えないわよ、大丈夫よ。ねえ競争しない?」
鞄も靴も置いて、走り出す。佑が追って来てくれる。楽しい。競争って言ったけど、わたしが先に走るの。だって佑が先に立つと、佑に影が無いのが見えてしまうから。
もうちょっとで波打ち際、というところで突然、左足の裏に痛みが走った。わたしは大袈裟な悲鳴を上げて転び、湿った砂に塗れた。
「痛ぁ……」
『だから! ああもう……大丈夫、奏子? 足を上げて。見せて。ああやっぱりガラスの破片だ。刺さってはいないね、切っただけだね』
「佑……潮が、滲みるぅ……」
こんな甘えた事を言えるのも、佑だから。恋人だから。
『何か、押さえるもの……ああでも鞄も置いて来てしまった、あんな遠くに』
わたしはハンカチを取り出し、足に巻いた。どうにか立ち上がる。
「ごめんね佑。はしゃぎ過ぎちゃった。鞄を拾って、戻ろう。大丈夫、歩けるから……、佑?」
全然気づいてなかった。わたしたちと、置いて来た鞄の、ちょうど中間くらい。一人の少年が立っている。訝しそうに、こちらを眺めている。
全身の、血の気が引いた。
見られた。わたしが一人ではしゃぎ、転び、そして喋っているところを。
「あ。あの」
狼狽するあまり、怪我をした事すら忘れていた。無意識のうちに左足を踏み出し、痛みによろけ、再度転んだ。佑が声を上げる。大丈夫、といつものように言おうとして――砂を蹴る足音が近づいて来たと思う間も無く、腕を掴まれて引っ張り上げられた。
「おい。なんであんた、手を貸してやらねえんだ?」
少年――高校生くらいだろうか。華奢に見えても男の子だ、わたしを片手で掴み上げて支えてくれる。
「で、あんたはどうしたんだ? 足、怪我したのか? どこを――」
少年の視線が下に向く。わたしの足許、そして、傍らに立つ佑の足許。まだ夕陽は沈み切っていない。わたしの下には長い影。そして――佑の下には、何も無い。
少年はゆっくりと顔を上げる。佑を見る。佑も少年を見返した。
『君は、僕が見えるの?』
「……あんた……まさか……幽霊?」
「佑が見えるの!?」
「そんな。幽霊って、もっとこう、あやふやで。あんた――あんたは」
『いや、いいから奏子をちゃんと支えてやってくれないかな?』
「カナコ?」
少年はそこで初めて、わたしを掴んでいる事に気づいた――とでも言うような顔をした。
「あんたは……あんたも?」
「わ、わたしは」
少年は悲鳴を上げた。わたしを振り払った。わたしは三度倒れかかり、佑が咎めるような声を出してこちらに手を伸ばし――…
何が起こったのかわからなかった。わたしは少年に抱き止められていた。佑は? ――佑が居ない! わたしは少年を押し退けようとしたが、更に強い力で抱え込まれた。
「奏子」
少年が、わたしを呼んだ。佑の表情で。




