御伽噺の横顔
「お義母さん。一体、どういう事ですか」
婿たちが物凄い形相だ。二人揃って――二家族揃って遠路遥々お出ましとは、ご苦労な事だ。こういう時だけ結託する。まったく娘たちは、彼らの何が良くて選んだのか。いや私だって娘たちが連れて来た当初はありふれた好青年だとしか思わなかった。見る目が無いのは親譲りか。それなら仕方がない。
「お義母さん。僕たちは納得出来ません」
さて、この場には夫も居るのだが。
まったく、婿たちの浅はかさにはがっかりだ。何故、夫ではなく私に話し掛けるのか。何故、娘たちは押し黙ったままなのか。何故、孫たちを連れて来ないのか。
佑ならこんな悪手は打たない。きちんと家長であるところの夫に話す。当事者であるところの娘たちに話させる。孫たちを連れて来て懐柔させる。私でさえそのくらい思いつくのに。
「こんな、どこの馬の骨とも知れない女を養女にするなど!」
「この女狐は、この家を乗っ取るつもりに決まっています!」
婿たちはドロドロ系ホームドラマの観過ぎではないだろうか。もしくは、三文芝居の登場人物にでもなったつもりか。真顔でそんな台詞が吐けるとは、いっそ天晴だ。拍手でもしてさしあげようか。
――いや、そういう訳にはいかない。佑を抱いた奏子さんが、今にも出て行きかねない様子だ。
「奏子さん」
私は極力のんびりした声を出す。
「佑の情操教育に良く無いわ。離れに寝かせて来たら?」
「で、ですが」
それだけでまた婿たちが騒いだ。
「お義母さん! その売女を庇うのですか!?」
「実の娘たちより、その淫売の肩を持つと!?」
私は何も言っていない。というより以前に、よくもまあそこまで薄穢い言葉を臆面も無く口に出来るものだ。娘たちは本当にそれでいいのか。二人とも俯いているので表情はわからない。
佑、何とか言い返しておやんなさいよ。――無理か。乳飲み子だ。仕方ない、ここは私が。
「少なくとも奏子さんは、そんな聞いた耳が腐って落ちそうな穢らわしい言葉を口にしたりはしないわね。あなたがたの家庭ではそんな言葉が日常的なの? まったく孫たちの行く末が思いやられるわね」
婿たちが棒を呑んだようになった。私が言い返すとは思わなかったのだろうか。いちいち娘の夫と言うのが面倒で婿と言っているだけで、家族に迎えた訳ではない。盆暮れ正月にも碌に訪ねて来ないので、顔を合わせた回数など片手で足りる――はさすがに言い過ぎか、だが両手で余る程度だ。なのでこれまで特に披露する場は無かった。娘たちは話さなかったのか、それとも聞かなかったのか。
「我が身を振り返ってごらんなさい。冷静にお考えなさい。自分たちが他者の目にどう映るのか」
ああ、駄目かな、これは。大声を出して騒ぎ立てるが、言い返されたという事実に憤っているだけだ。これでは会話にならない。
「おかあさま、おかあさま。やめてください。いいんです。お気持ちは、もっともなんです。ご不満に思われて、当然なんです」
「奏子さん!」
まったくこの嫁は、控え目が過ぎる。そんなだから婿たちにいいように言われるのだ。
「あなたはそれ以上発言してはいけません。渋るあなたを説得して養子縁組したのは私たちなのよ?」そうだ。殊更に、はっきりと告げる。聞こえよがしに。「あなたも、この佑も、私たち夫婦の子なのよ。法律上。立派に」
騒ぎ声が大きくなった。そこでようやく、夫が口を開いた。
「税金対策だ。充分に検討した上での決定だ。文句は受け付けない」
その言い方も、どうかと思うが。
「……そ、それで養子に……、二人とも!?」
「そんな、そんな事をされたら、取り分が」
聞こえましたよ、はっきりと。
「――お、お義父さん。よく考えてください。法律的に養子縁組するという事は、法律的な制約も発生するんですよ?」
「お義父さん。法律には制限もあるんですよ? 御存知無いんですか、養子を取っても基礎控除は増えないんですよ?」
言いましたね、はっきりと。
「それは相続税計算の話ね。あなたたちは早く相続が起こればいいと思っているのね?」本当に、娘たちは見る目が無さ過ぎた。見る目があったのは佑だけだ。奏子さんは実に出来た嫁だ。我が家にはもったいないくらいの。
「つまり君たちと養子縁組してもメリットは無いという事だな。良い事を教えてもらったな。ご苦労だった」
夫の言葉が、会見終了の合図だ。私は立ち上がり、娘たちを促す。
「せめて亭主の手綱くらい取れるようになりなさいな」
◆ ◆ ◆
総領息子に先立たれてしまい、どうしたらいいかわからなくなった。身内贔屓と言われようが佑は出来た息子だった。一方で娘たちの夫たちときたら、佑の遺産は佑の妹である自分たちの妻、佑の甥姪である自分たちの子にも分け与えるべきではないかと言ったのだ。佑の築いた財産は佑が愛したこの家の維持費に充てる、そう言って追い返した。もう誰を信用する気にもなれなかった。
「佑さんに、ご挨拶をさせていただけませんでしょうか」
奏子さんが訪ねて来たのは、そんな時だ。同じ事故に遭って、佑は亡くなり、奏子さんは助かった。その事に対して、思うところが無かったとは言わない。最初はあまり良い態度が取れなかったかも知れない。けれども奏子さんは意に介さなかった。
「佑さんのお話を、お聞かせ願えませんでしょうか」
問われるままに話した。子供の頃の話、大人になってからの話、思いついた事を、とりとめもなく。奏子さんは黙って聞いた。相槌を打ち、時に訊き返し、言葉少なに雑感を述べたりするが、それだけだ。――奏子さんがもしも、自分も大変だったとか、佑が亡くなったのは自分のせいではないとか、悪いのは事故を起こした相手だとか、そんな話をしたのであれば、私はきっと叩き出していた。
「また、佑さんに会いに来ても、良いでしょうか」
それから毎月、訪ねて来た。必ず月命日に来てくれるのを、私はいつしか心待ちにしていた。
「おまえはすぐに絆される」
夫に苦言を呈された。
「あなた程じゃないわよ」
私は言い返した。
奏子さんは自分の話をしない。こちらから問いかけ、聞き出した。佑と同じ二十六歳。会社員。身寄りが無く、単身者向けの狭いアパートで一人暮らし。野菊のような清楚な佇まいを好ましく感じた。和服を着せたら似合いそうだ。
どういうつもりで佑の話を聞きたがるのか。穏やかな眼差し――まるで、親しい相手を見るような。
「佑と……面識は無かったのよね?」
とても困った顔をされた。
「わたし……わたしは、ただ、佑さんに会いたい。佑さんに関するお話を伺いたい。それだけなんです。ご迷惑なら……控えます」
「そんな事は」
佑に会いに来てくれる、休みを取ってまで。好感を抱くなと言う方が無理だ。
私はいつしか夢想していた。もしも佑が健在だったなら。奏子さんみたいなお嫁さんを連れて来て欲しい。
元気が無いように見えて心配していたのだが。仏間に飾った百合の花に噎せた様子から、まさかと思い尋ねたのだが。果たして奏子さんは、バッグの内側からチャームを取り出した。マタニティマーク。
まったくもって身勝手な事ながら、裏切られたような気持ちになった。
「……立ち入った事を訊くようだけれども、お相手は?」
「居ません」
即答だった。いや居ないはずは無いだろう、聖母マリアじゃあるまいし。
「一人で産んで、育てます。そのための準備中なんです」
堂々と答える姿は、誇らしげですらあった。
毎月訪ねて来てくれるのは、変わらない。
「佑さんのお話を聞かせてください」
様子を訊いても、大丈夫としか言わない。
「お茶を……差し替えましょうか」
わざと席を外す。そして様子を窺う。はしたないなどと言ってはいられない。
奏子さんは自らのお腹を撫でる。そして仏壇を見上げる。このうえなく優しい眼差し。たすく、と、その唇が動いたように見えた。
夫に相談する。さすがに目撃した事は言わないが。
実は私以上に絆されやすい夫は、奏子さんが心配でならない様子だった。相手を探し出してやろうかなどと言う。
「どうやってよ」
「興信所に依頼する」
そこまでする? ……大人の判断としては、ありかも知れない。奏子さんを裏切るようで気が引けるが、物理的に相手の不存在は有り得ない、御伽噺じゃないんだから。その相手が真っ当な人間とは限らない、困った事を言って来る可能性も充分に考えられる。
多少時間が掛かっても構わないので、きちんと調べてくれるよう依頼した。くれぐれも、探っているとは悟られないように。
興信所は優秀だった。そしてこまめに報告を上げてくれる。こちらも報酬は惜しまないが。
家族は居ない。辿れば縁戚は居ない事も無いが、交流はまったく無い。そして……、恋人も居ない。過去にも居た形跡は無い。
「そんなばかな」
慎重に、聞き出してもらった。勤務先では未婚の母と随分好き勝手に噂されているようだが、その中に、一時期は恋人が居たらしいというものがあった。何でも、飲み会の後、迎えに来たとか? だが当人ははっきりと否定したそうだ。自分の恋人は同い歳で、背が高くて、優しい。若い男の子というのは、見間違いだ。
……若い男の子?
報告の中に、一人暮らしのアパートを訪ねる高校生くらいの男の子が目撃されていたというものがあった。出入り制限のある立派なマンションなどではない、住人も互いに無関心だ、よって信憑性も薄いと書き添えられていたが。
思い当たる節が、無い事も無かった。そもそも彼を連れて来たのは奏子さんだ。
彼は私たちを恩人だと思ってくれているので、時折連絡をくれる。私は夫を焚きつけ、近況伺いのメールを送らせた。返信に添付されていた写真を興信所に渡す。興信所は慎重に、複数枚の写真をアパートの住人に見せたらしい。
通りすがりに見かけただけなので確約は出来ないが、この人だったように思う。
指し示されたのは、馨くんの写真だったそうだ。
「どうしよう」
「仮にそうだったとして、馨くんは海の向こうだ。……恐らく、知らないんだろう。知っていたら呑気に留学などしない」
奏子さんは佑と同い歳だから二十六歳。馨くんは高校生、十七歳。それは確かに、公に出来るはずの無い関係だ。
それにしても、お互いからお互いの話を聞いた事は一度も無い。最初こそ奏子さんが馨くんを連れて来たが、以降は別々だった。だから思いもしなかった。ついでに調べてもらったが、連絡を取り合っている形跡は無いようだった。馨くん側からも調べてもらったのでなかなかに費用が掛かったが、そんな事を気にしている場合ではない。
「男の子みたいなんです」
そう言った時の奏子さんの表情。
奏子さんの身上報告書を見て、夫は険しい表情をしている。
「これで子供を育てられるはずが無い」
諸々はともかくとして、奏子さんが心配だ。
下宿先を提供するだけのつもりだったが、本人を前にして口が滑った。勢いづいた。隣の夫が渋い顔をしている。
奏子さんは恐縮した。固辞しようとした。生まれるまでの間だけでも、と、ほとんど説得した。生まれたら再度検討する、そう確約したところで、奏子さんはようやく頷いてくれた。それでも、離れを提案したらまた固辞しようとした。佑の思い出の場所には割り込めないと。こちらとしては世知辛い理由だ、さすがにいきなり母屋に招き入れる訳にはいかないという。人を招くのは遠慮して欲しいと伝えたところ、きょとんとしている。この子以外に家族は居ませんが、と、腹を撫でる。
大した私物は無いと言うので、間に合わせで良ければと取り揃えたところ、また大いに恐縮している。滅多に使わないまま古びてしまった客用寝具など、こちらとしてはいずれ捨てるだけだったというのに、こんなにふかふかのお布団は初めてです、などと目を輝かせる。演技だとしたら、大したものだ。
一つだけ要求された。佑の写真だ。一番いい場所に大切そうに飾る。……演技だとしたら、大したものだ。
家事を手伝うと言う。手際が良い。得意料理を尋ねたら、私たちの好物を挙げた。そしてまた、きょとんとしている。演技だとしたら……。
当然のように四人分の食器を並べようとする。陰膳は毎度は並べない、そう言ったら、そうでしたか、と、少し寂しそうな顔をした。
朝に夕に、仏壇に手を合わせる。水を換え、花を換え、掃除をする。時折、何か話しかけているようだった。
演技でも構わない。そう思えた。
娘たちが訪ねて来た際、引き合わせた。下宿人として紹介した。私たちが気落ちしていたのを知っている娘たちは、それで元気になるなら良いと言ってくれ、奏子さんと和やかに話した。一方、婿たちは微妙な表情をしていた。奏子さんには懸念を話しておいた方がいいかも知れない。
だがそこで、奏子さんが産気づいた。
奏子さんが佑の名を呼んでいる。あれが演技などであるものか。大丈夫、と聞こえる。必ず無事に産んであげるから。何を引き換えにしてでも。わたしの命をあげるから。今度こそ、受け取って。
どういうつもりなのか。物理的に有り得ない。御伽噺など信じない。だが生まれた子供が男の子だと聞かされた奏子さんは真っ先に、私たちにお願いがあると言った。名は佑と付けたいと。
彼らを手離すなど、もう考えられない。この子は佑だ。私たちの許に還って来てくれた。いや、また来てくれたのだ。
◆ ◆ ◆
娘たちが訪ねて来なくなったので、奏子さんが申し訳なさそうな表情をしている。寂しくないとは言わないが、それよりも佑だ。どんどん似て来る……気がする。思い込みかも知れない。でも奏子さんも、佑もこうだった、と話すと、嬉しそうにしてくれる。
私たちはほとんど忘れかけていた。佑は、佑の子だ。……夫が手を回して、奏子さんが住んでいたアパートは取り壊させた。もう誰も、何があったかなど、思い出さない。
そのはずだった。
「法定相続分に実子と養子の差はありません。つまり養子が増えればそれだけ法定相続分が減るし、主張出来る遺留分も減る。彼らはそれを憂いているんでしょう」
「養子を取っても基礎控除は増えないと言いおった」
「いかにも、相続人が多い方が計算上有利だ。だからって何十人も書類上だけ調えられては堪らない、それで制限がある。よく御存知だ。それ以来、本当に何も言って来ないんですか?」
誰だろうこの子は。いや、わかっている、馨くんだ。佑を抱き上げ、突き回している。佑も果敢に応戦している。
「言って来ようとするのを拒否している、というのが正確だ。また奏子さんを悪し様に罵られては堪らないからな」
「……ふぅん」
軽く目を細める仕草を、見憶えがあると思ってしまう。そんなはずは無いのに。つくづく、あの小柄で気弱だった高校生と同一人物とは思えない。
「客間の用意が出来ました」
奏子さんが戻って来た。佑が、馨くんを押しのけるようにして離れ、奏子さんに駆け寄る。相変わらず母親が大好きだ。
「客間? 離れに入れてくれるんじゃないの?」
「何を馬鹿な事を。駄目に決まっているでしょう。――さあ佑、いらっしゃい。おじいちゃまとおばあちゃまに、ご挨拶よ」
出来た嫁は孫を抱き上げ、お先に失礼させていただきます、と頭を下げる。
「馨くん。まがりなりにも奏子さんが好きだと言うのなら、奏子さんが今日の今日でいきなり気持ちを切り替えられるような器用な人となりじゃない事くらいわかるでしょう。空気を読んで、今日のところは客間で我慢するのね」
それもそうだ、と笑う馨くんに、奏子さんは小さく、おやすみなさい、また明日、と言い、引き下がった。
「――馨くん。君は元々、奏子さんと親しかったのかね」
程好くアルコールの回ったらしい夫が、直球を投げる。それに対する馨くんの返答も明瞭だった。
「いいえ。奏子は佑さんしか見ていませんでしたよ。俺たちは佑さんの話ばかりしていたんです」
奏子さんは、馨くんにも佑についての話をねだっていたという事なのか。
「……っそ、それなのに」さすがに口に出すのは止まったようだ。私はいざとなったら夫を殴りつけようと構えていた手を下ろした。「それなのに、再会するなり求婚したと?」
「俺は奏子を愛しているんですよ――佑さんと同じようにね」
おかしな言い回しだ。馨くんは本当に佑を佑の子として扱うつもりらしい、それでいいのだろうか。実の父親なのに、養い親の立場で構わないのだろうか。
「現代の御伽噺ですよ。奏子の美しい心が起こした奇跡かも知れない。佑さんは奏子を愛した。そして佑くんを得た。俺は見届けるだけです。でも奏子は一途だから俺を受け入れないかも知れない。なのでお二人にはご協力いただきたい訳なんですよ」
「私はいいけれども」
「おい」
私があっさり了承したので夫が咎めるような声を出したが、黙殺する。
「それよりも、投げた石の波紋の大きさは覚悟の上なんでしょうね?」
「財産放棄の念書でしたら何枚でも書きますが」
「そういう事を言ってるんじゃない、というかまさにそうとしか思われない事を理解しているかと言っているのよ」この家はいずれ佑に譲りたい。元々、佑が継ぐはずだった家だ。だが傍目には赤の他人一家が入り込んだようにしか見えないだろう。煩いのは娘婿たちに限らない。
「だから手を貸させていただきたいと言っているじゃありませんか。――清廉な奏子の事だ、財産放棄の念書を書くと言ったんでしょう」「それが養子縁組を受ける条件と言ったわ」「それで? 書かせた?」「書かせて、受け取って、養子縁組が成立したと同時に破り捨てたわ」拍手された。さすが母さんだ、と聞こえたのは、その仕草があまりにも似ていたからか。夫も、おかしな顔をしている。
「同志だと思っていただけませんか。佑くんと奏子を幸せにしたい――その気持ちは、同じはずです」
「君は……本当にいいのかね。その覚悟があると?」
「さて。このおこがましい言い分を、信じていただけますでしょうか。俺はね――俺は、佑さんなんですよ」
そうか、と思った。これは酒の席上での戯言だ。佑が馨くんになって戻って来たなどと。グラスを弄ぶ仕草が、どんなに似ていようとも。けれども今だけは、酔いの醒めるまでは、そんな夢を見てもいいのではないだろうか。
「同じ夢を共有すればいいだけの話ですよ。この五人でね」
私と夫は昔から、佑に口では敵わなかったのだ。
佑は完全に母親似




