18 完璧な幸せ家族に
完全に寝入っている佑をお二人に預けて、わたしは馨くんを離れに引っ張って行った。
「どういうつもりよ」
「言った通り。俺は奏子が好きだ。愛してる。初めて会った時から、ずっと。だから結婚して欲しい。可能であれば佑と養子縁組させてもらいたい、父兄参観には俺が行きたい」
「いや、そうじゃなくて!」
「十七歳の俺には何も出来なかった。佑に何一つ、敵わなかった。奏子が佑に笑顔を向けるのを、指を咥えて眺めてた。佑はそんな俺を利用して……奏子を愛した。何もかもが佑の掌の上。腹が立ったが、どうしようも無かった。そして佑は首尾良く奏子に宿り、俺には気持ちだけを押し付けて、遠ざけたって訳だ」
「……そ、そんな、言い方」
「佑は身勝手だった。奏子を守れるように体を鍛えろと言った。年齢差はどうしようも無いからせめて社会的身分を得て来いと言った。夜道は危ないから奏子を迎えに来いとか、ああ、自分は絶叫系が苦手だからって俺を代わりにジェットコースターに乗せたな?」
唐突に、思い出された。初めて三人で行った遊園地。
「馨くん……ジェットコースター、嫌だった?」
「俺は奏子と二人で乗れて嬉しかったよ。でも折に触れ思い出したのは三人で乗った観覧車だ」
佑はわたしの隣に座ってくれたけれども、馨くんの隣に無理矢理座ってみたりした。「お客様~、ゴンドラ内での移動は~、」『揺れるから危険なんだろう? 揺らして無いよ』「詭弁だ!」三人で笑い転げた。懐かしい思い出。
「三人で……、たくさん、遊んだね?」
「映画も行った。プラネタリウムも。ゲーセンも。ボートに乗ったり、フリマ覗いたり、カレー食べ歩いたり」
「陶器市……憶えてる?」
「忘れるもんか。俺の箸置きは籠だ」
「馨くんは懐が深いから、何でも受け入れてくれるよねって、佑が言ってた」
「何だそれ。奏子の音符は、そのまんまだな。佑の羽根は?」
「……飛んで行っちゃうって、暗喩?」
「いつだって奏子のところへ飛んで来る、の間違いだろ」
佑の写真の前、並んだ三つの箸置き。
「俺らの写真も並べよう。三人だ」
馨くんが、後ろから抱きしめてくれる。わたしはそれを素直に受け入れた。
「奏子の手料理、美味かった。俺あれの御陰で生きられてた。本当だよ。運動公園でピクニックする時いつもサンドイッチ山のように作って来てくれてさ、大事に食べたいのに、佑が容赦無く扱くから腹が減って我慢出来なくて」
「馨くん、どんなに大量に作って持って行っても、全部食べてくれる。わたしはそれが嬉しかった」
「嬉しそうな奏子を見て、俺も嬉しくて……あれはどっちの気持ちだったんだろうな……でもどっちでも同じだ、同じように奏子を好きだったんだから」
回された腕に、力が籠められる。わたしはそっと触れた。佑はよく、こうしてくれた。……馨くんの腕で。
わたしは後ろを振り仰ぐ。馨くんが、わたしを見下ろしてくれる。
顔が、近づけられる。わたしは目を閉じた。
寸前、泣き声が響き渡った。
「佑!」
おとうさまが佑を抱えて、おろおろしている。
「そろそろ起きそうだと思って、抱き上げたんだが」
泣き声の合間に、いやああぁ、と聞こえる。わたしは佑を抱き取った。
「どうしたって言うの、佑。おじいちゃまよ? いつも高い高いしてくださるでしょう?」
「ああ……う、うえぇ……、お、おか、おかあさああぁん! おかあさん、おかあさん、いない……!」
「おかあさんはここに居ますよ、佑のおかあさんよ」
なるほど。寝入る前わたしが抱いていたので、擦り替わったと思ってびっくりしたのか。
「おとうさま、ごめんなさい。おかしなタイミングでお任せしてしまったせいです。あの、そんなに落ち込まないで……。佑? 佑? ほら、おじいちゃまよ?」
「うう……。じじ、じじ、うう……」
「おじいちゃまにも、抱っこされる?」
「うう……」
佑が手を伸ばす。おとうさまが抱き取ってくれたので、素早く顔を拭いてやる。おかあさまが濡れタオルを差し出してくださる。さすがだ。
拍手が聞こえた。馨くんだ。
「完璧なチームワークだ」それにしてもこれが佑か、と呟いたようだった。あの佑からは想像もつかない。あの佑も子供の頃はこうだった? いや、この佑はあの佑とは別人だ。新しい人生を生きてゆく。
「馨くん」
おとうさまがジト目だ。
「君はこの完璧な幸せ家族に割り込もうと言うのかね」
「今まさに佑くんに邪魔されましたが、諦めませんよ」
「いい根性だ」
佑はおかあさまに手渡された。
「馨くん。さっきも言った通り、奏子さんは我が家の大切な娘だ」
「お嬢さんをください、と、申し上げるべきですかね?」
「やらん!」即答だった。それから、気まずそうに咳払いする。「その台詞に何を返すかは、もはや様式美だな。覚悟はあるのか。歯を食いしばってもらおうか」
「お、おとうさま」大概おとうさまもこんなキャラではなかったはずなのだが。どうも佑が生まれて以降、様子がおかしい。
「いいのよ奏子さん、放っておきなさい」おかあさまだ。「娘婿たちが現れた時、本当はそうしたかったのよね。無理に我慢なんてするから、皺寄せがここに来た。まあ今となっては、彼らこそ殴っておくべきだったと私も思うけれども」
「というと?」おとうさまの怒気を柳に風と受け流し、馨くんが尋ねる。
「佑が亡くなった時、遺産の分け前を要求して来た。奏子さんたちを養子にした時、自分たちに相談も無かったと文句を言いに来た」
「なるほど」
「前者はともかく後者は、なかなかに色々と言ってくれた。つまり、自分たちの思い込みと勝手な推測を」
「というと。いや、それは、詳しく伺うまでも無い事ですかね? どれだけ金が欲しいか知らないが、とんだ悪手だ。あなたがたは彼らを決して許しはしない。そうですね?」
「……娘たちや孫たちの事もあるし、悩ましいところではあるのだが」
振り上げかけた拳を下ろしてくれたのは有難いが、またおとうさまの元気がなくなってしまった。おとうさまは一生懸命クールに振舞おうとしているが、実は子供好きだ。佑をことのほか可愛がってくださるのは、反動ではないかと思っている。
「やりようはありますよ」まただ。馨くんの、あの笑い。見た事がある。
「奏子たちについて何か言うなど、到底許し得ない。すぐさま思い知らせてやりたいのはやまやまですが、お嬢さんがたお孫さんがたを突如として未亡人や父なし子にさせてしまうのは忍びない。段階を踏みましょう」
背筋が寒くなった。不穏だ。不穏過ぎる! きっと彼らは、交番の目と鼻の先でナイフを振り回し暴れるよう仕向けられるのだ。
「……あ……えーと、馨くん? わたしは一向に気にしてなくて」
「そういう問題じゃないんだよ奏子。そもそも論だ、奏子はもっと自分を大事にすべきだ」
「え?」
何故か矛先がこちらに向いた。
「ご両親がこれ程までに怒ってくださるのは偏に奏子を愛しているからだよ。奏子はその愛に、ちゃんと応えている?」
「え……っと?」
「随分と心を開いて、信頼して、仲睦まじいようだ。でもそれだけじゃない。なるほど奏子はお二人を大切にしている――ではそのお二人がこよなく愛する奏子自身は? ちゃんと大切に出来ている? 貶されて、傍目にはそうだよね、なんて諦めてしまっていないか?」
「そ、それは」
「奏子は愛されるに足る人間だ。ちゃんとそれを自覚すべきだ。で無ければ、これ程までに愛してくださるお二人に対して、失礼だ」
「そ、そんな……わたし」
拍手が聞こえた。おかあさまだ。佑はまたおとうさまに戻り、よくわからないという顔をしつつもおかあさまの真似をしている。
「私たちは馨くんを認めざるを得ないわ。そうでしょう、あなた?」
「……むう」
「本当に立派になって。まるで別人ねえ」その言葉に含みは無いのだろうが、馨くんはちょっと肩を竦めた。「いかにも、どうでもいい事だわ、生物学上の問題など。過去に――何があったかなど。そもそも当人たちは納得済みのようだし、ほじくり返して云々する事じゃない。一応尋ねるけど馨くん、法律上だけで良いのね? たとえば検査結果を家裁に提出してなんて事は」
「そんな野暮は必要ありません。佑くんは佑さんの子だ」
「野暮と言い切る。その心を信じましょう。私たちも佑の血脈が続いていると思えるのは嬉しい事だわ。そうでしょう、あなた?」
「……むう」
本当の事だからね、と馨くんが呟く。遺伝子など些細な問題だ。
「だったら婿たちの代替品として馨くんを殴るのは無しよ。それに婿たちはいずれ馨くんが殴ってくれるのでしょう?」
お、おかあさままでが不穏だ! さすがは佑のおかあさま。遺伝子だって重要なファクターだとわたしは思う。
「殴るのは物理とは限りません。娘さんお孫さんがたを泣かせる訳にもいかない――いずれ近々、妹たち甥姪たちになるのだし?」
「き、き、気が早いのではないかっ。そもそもだ! 奏子さんはまだ返事をしていないんだろう!」
もうわたしは何に反応したらいいのかわからない。
「それもそうだ」馨くんは晴れやかに笑う。「奏子、愛してる、結婚しよう。これで言うのは三回目だ。もっと言って欲しければ、何度でも」
わたしは絶叫した。




