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17 概念上の、法律上の

「どうして、ついて来るのよ」

「俺の目的地も同じ方角だからだよ」

「目的地?」

 馨くんは肩を竦めた。こんなポーズを取る人だっただろうか?

「真っ先にアパートを訪ねたって言ったろ。更地になってた。絶望した。俺は奏子の事を何も知らなかった。最初に(タスク)と同調して伝わったのは、(タスク)の知っている事――というか、(タスク)がいかに奏子を好きかとか、そういう事だけだったし」

 た、(タスク)は、何を伝えて……。

「いやそれは不可抗力だから。俺――馨も、いかに生き難い思いをしているかを知られただけだった。ともかく。連絡先を交換した訳でも無い、勤め先だって知らない、精々が飲み会を開催した店を知っているくらいだ。でもそれだって四年も前の話だ。手掛かりが無さ過ぎる。でももう一人――二人、奏子の存在を知っている人が居る。俺の恩人でもある。だからまずは挨拶に行こうとしてた。それでここを通り掛かった。先に奏子たちに会えたのは本当に偶然だよ」

 恩人?

「奏子が紹介してくれたんじゃないか。いや(タスク)だけど、そうと話す訳にはいかない。奏子もさすがに話しては居ないだろう? ……無関係じゃあるまいと思ってた。でも恐らく本当に、(タスク)の描いた設計図通りになったって事だね? この道筋は」

「……(タスク)は、どこまで、計算して……」

 遊び疲れた佑は、ちょっと眠そうだ。わたしに抱かれて、うつらうつらしている。「……おかあさんと、あそぶ……」確かに、わたしは馨くんと話し込んでしまっていた。平日一緒に過ごせないのだから今日は一緒にねって言ったのに。「お昼寝して、起きたらね? 大丈夫よ、おかあさんはどこへも行かないわよ?」「……ん……」ぎゅう、としがみついて来る。可愛い。(タスク)も、小さい頃はこんな感じだったのだろうか。

「奏子とは別口で、俺は何度も訪ねて来てたんだ。そして話を聞いてもらった。今の環境から離れた方がいいだろうと言われた。(タスク)の御陰で苛められる事はなくなったとはいえ、それまでの積み重ねは重かったから。手筈を調えてくれたのは(タスク)の同僚と上司だよ。奏子も一度、会っただろう?」

 馨くんを連れて来た時。挨拶した、一度だけ。

「奏子と離れるのは嫌だった。奏子は俺を邪険にしなかった。(タスク)と二人で、俺はお邪魔虫だっただろうに、何かにつけ俺を気に懸けてくれた。箸置きだって、俺の分もちゃんと揃えてくれた」

 あの箸置きは、今でもちゃんと飾ってある。

「だけどずっと奏子の傍に居るために、何もしない訳にいかなかった。(タスク)は、奏子を口説きたければ相応の人間になれと言った。口説くのは構わないのかと訊いたら――受け入れるかどうかは奏子次第だと。自分よりもいい男にならなければ望みは無い、そう言って笑った……笑ってやった、あんまり真剣な表情をするから」

 馨くんは、(タスク)だ。本当に、そうなのかも知れない。でも。

 若い男の子と。随分と歳が離れてるみたいで。悪気無い噂話で盛り上がる人たちを、わたしは思い出さずに居られない。

「奏子」

 随分と背が伸びた。見上げる首が痛くなりそうなくらいだ。追い詰められたような線の細さは、もうどこにも見えない。

「周囲に何か言われるのが、そんなに気になるか?」

「だって」

 もう、家に到着してしまう。門を潜ると、おかあさまが花に水を遣っていた。

「おかあさま、ただいま戻りました。ごめんなさい、お世話を」

「おかえりなさい奏子さん。これは私が育てているのだから、いいのよ。……そちらは」

 馨くんが頭を下げる。「ご無沙汰してます。ようやく留学期間を終えて戻る事が出来ました」


     ◆     ◆     ◆


 家には、おとうさまが戻っていた。どうしたのかと尋ねかけ、渋い様子に口を噤む。おとうさまはちゃんと限度額を決めている。超えて遣ったら叩き出す、と、おかあさまに毎度脅されている。

 お二人は、馨くんを歓迎し、労った。

「大負けしたが、馨くんが帰って来たから、相殺だ。今日はいい日だ」

 おとうさまの御機嫌が直ったようで、何よりだ。

「それで」

 お二人は、馨くんを、じっと見つめた。――いや。馨くんと、わたしの腕の中の佑とを、見比べた。

 並べて見ると、わかってしまう――眼許にはやはり、面影がある。わたしは俯いた。

「そうじゃないかと薄々思ってた」

 おかあさまは、あまり驚いていらっしゃらない。というか、こちらが何も言わずとも、確信なさっている。

「でも奏子さんの覚悟を尊重しようと、口出しはすまいと決めたの。生まれた佑は可愛くて……本当に(タスク)に似ているような気がした。それでいいと思う事にしていた、誰かが何かを言って来るまでは」

 わたしは否定すべきなのだろうか。この子は(タスク)の子だ。だってあの時わたしを抱いたのは――(タスク)だ。その……はずだ。

「奏子が幸せに暮らしているようで何よりも安堵しました。お尋ねする訳にいかなかった、奏子に求婚どころか気持ちを告げてすらいない身で」

 馨くんは否定も肯定もせず流した。とはいえ、聞きようによっては無責任発言と取られたかも知れない。おとうさまの眉が上がった。

「馨くん。君の無事の帰還は実に喜ばしいが、それはそれだ。奏子さんは今や我が家の大切な娘だ」

「法的にもきちんとしていただけたと。重ねて、何よりです」

 言葉を取られたおとうさまは、口の端を曲げた。

「佑も法的には我々の息子でもある。我々三人の誰に万一の事があっても佑が困った事にならないようにだ」

「それを伺って更に安心しました」

 つくづく馨くんはこんなキャラだっただろうか。わたしは確かに(タスク)を想起せずに居られなかった。……お二人も、もしかしたら、そうだったかも知れない。

「……ご立派になられた事」

「恐れ入ります」

 おかあさまの呟きに、如才無く頭を下げる。二十歳を過ぎたばかりの若者の所作には見えない。

「そ、それで。君は何をしに来たのかね。帰還の挨拶以外に?」

 苛立ったようなおとうさまの言葉。平素ならもっと冷静なのに、やっぱり負けが込んだせいで余裕を失くしているのね。

「奏子さん。それもあるけど、それだけじゃないわよ」

 おかあさまがわたしだけに聞こえるようにささやく。あれ、口に出していただろうか?「顔を見ればわかります」(タスク)にもそう言われていたか。

「何を――。そうですね、当初の目的は奏子の消息を御存知無いかと尋ねる事でした。奏子の住んでいたアパートは取り壊されていましたから」

「ほほう。君は一人暮らしの奏子さんを訪ねた事があると」

「事故現場を見て具合を悪くした奏子を送り届けましたしね」

 上手い言い回しだ。わたしたちが知り合ったきっかけはその出来事だと、お二人には話してある。そして、訪ねたのがその一度だけとも、そうで無いとも、言っていない。わたしは感心を通り越して呆れた。

「見ての通り、奏子さんはこの家で幸せに暮らしている。佑もだ。馨くん。よもや君は、何事かを主張しに来たのかね」

「まさか。奏子は(タスク)さんと結婚したようなものでしょう。そして佑くんは、(タスク)さんの子だ。そうですね?」

 わたしは思わず、遺影を振り仰いだ。それから腕の中の佑を見る。……それから、馨くんを。

「たすく」

 あなたは今、どこに居るの。

「佑くんの母親は奏子。そして、概念上の父親は、(タスク)さん。それでいいではないですか。生物学上の父親が誰かなど、どうでもいい事です」

「ど……どうでも!?」

 いかにもこれは大変な無責任発言だ。わたしは一拍置いてから、ようやくそれに思い至った。お二人が憤怒の形相で、今にも馨くんを叩き出さんとしたところで、馨くんはしれっと続けた。

「なので法律上の父親に名乗りを上げようかと。先程奏子にプロポーズしたんですが、返事をもらえないままここに到着してしまいましたので」

 お二人は、振り上げた拳の遣り場が無いといった様子で、わたしを見た。

「奏子さん」

「奏子さん」

「……はあ」

 どうしろと。

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