11 夢の果て
その日は珍しく、会社の懇親会に出席していた。例によって佑が事前情報をくれていたのだが、避け続けるのもそろそろ限界だった。相変わらずわたしは他の人を手伝わないし残業もしないので、上司の当たりが厳しくなっている。いっそ転職しようかな。そんなに稼げなくたっていい。佑と過ごす時間の方が大事だ。
勧められる酒を飲む振りをして、取り繕った外向けスマイルを浮かべて、楽しんでいる風を装って。
「最近、付き合いが悪いから」
偶々だったと言い訳する。
「恋人が出来たって、もっぱらの噂。それで?」
曖昧に笑う。
「どんな人? 年齢は? どこにお勤め? あなたももういい歳だもの、近々結婚するんでしょう?」
作り笑いが引き攣りそうになるのをどうにか堪える。まだ終わらないのかな。佑はこういう時、どこか近くで待っていてくれる。他の人には見えないのだから、いっそ隣に居て欲しい。
「計画的にやらないと駄目よ。歳を取るのなんてあっという間よ。いつまでも子供を産める訳じゃない、逆算してごらんなさいよ、呑気にしてられる期間なんてそんなに無いのよ」
さすがにちょっと顔に出たかも知れない。とりなすつもりなのか、周囲が口を挟んで来た。
「でも結婚って相手のある事だもの、こちらの一方的な都合では決められないでしょう」
「そうやって時間を浪費して、後で困るのはこちらでしょうに」
「こちらがいい年齢でも、相手はそうじゃないとか」
「何よ、何か知ってるような口振り」
「言わないでおいてあげなさいよ。可哀想じゃないの」
どういう意味か。
「見た人が居るって。若い男の子と、手を繋いで、楽しそうに」
「あんまり雰囲気が違うから、別人かと思ったって」
「でも随分と歳が離れてるんじゃないかって」
「ちょっと。だから別人かも知れないって。見間違いかも知れないって」
「だって」
「他にも見たって言ってる人が」
わたしの話題だった気がするのだが、わたしそっちのけで盛り上がっている。
そうか。わたしは馨くんの知り合いに見られる事ばかり心配していた。わたしの知り合いに見られる可能性など、考えもしなかった。それにしても皆、よく見ているものだ。わたし如きの何がそんなに面白いのか。
「……誰の、事かしら。わたしの彼、同い歳よ。背が高くて、とても優しい。事情が……あって、あまり一緒に出掛けたり出来ないけれど、でも、わたしをとても大切にしてくれるわ」
それまで好き勝手に囀っていた人々が、一斉にこちらを向いた。もっと詳しく、事情とは何なのか、教えてくれるまで帰さないから、云々。
「二次会に行きましょう。そこで聞かせてもらうから」
嫌だ。佑を待たせてしまっている。帰りたい。佑に会いたい。
『奏子』
――佑!
『迎えが来てるからって言って、二次会は断って』
「……む、迎えが来てるから、二次会には行けない、ごめんなさい」
驚いた顔をされたが、わたしだって驚いている。佑、どういう事? 他の人には聞こえないのだから教えてくれればいいのに、黙って外へと促すばかりだ。わたしはどうにか引き留める手を振り払い、店を出た。
「奏子」
――馨くんだ。どうして。
「迎えに来た。帰ろう」
そう言って、わたしの手を掴む。背後が騒がしくなっている。二次会で酒の肴にされるのかな、わたし云々はともかく、馨くんは控えめに言ってもかっこいい。最近は鍛えているし、背も伸びた気がする。高校生って、可能性の塊だね。
「傍から見て……どう思われるかって、全然考えてなかった。ごめんなさい」
列車の車窓に映った、わたしと佑……ではない、わたしと馨くん。最初から、わかっていたはずなのに。
「馨くん、迷惑よね。こんな冴えないおばさんとどうして一緒に居るのかって、きっとずっと訝しがられてた。わたし佑と街中に出られるのが嬉しくて、普通の恋人同士みたいに振舞えるのが嬉しくて……自分の事しか、考えてなかった……」
馨くんの手が離れた。きっと呆れられた。
なのに馨くんは、わたしの肩に手を回して来た。
「たす……く?」
『帰ろう、奏子』
「帰ろう、奏子」
二人の唇が、同時に動いた。
◆ ◆ ◆
わたしはあまりお酒を嗜む方じゃない。佑は嫌いではないらしかったが、無理に付き合う事は無いと言い、あまり用意させてくれなかった。馨くんと三人で食事するようになっても、未成年だから必要無かった。
久し振りに口にした酒に、どうやら酔ってしまったらしかった。気をつけていたのに。彼は甲斐甲斐しくわたしの上着を脱がせたり水を飲ませたりしてくれる。
「見られてたんだって、わたし。わたしたち」
濡れタオルで顔や手を拭いてくれる。気持ちいい。
「好き勝手、言われてた。あの人たちに悪気が無いのはわかってる。何なら本気で心配してくれてる、わたしが婚期を逃すんじゃないかって」
そういうの余計なお世話って言うんだ、と呟いたようだった。
「普通は婚活に勤しむ年齢。ううん、もう遅い? わたしアラサーだもの。でも恋愛なんて、して来なかった。佑が初めてなの。こんなに好きになったのも……わたしの事、好きって言ってくれたのも」
好きだよ。ささやいてくれる、優しい声。
「佑が好き。ずっと佑と一緒に居たい。普通じゃない、わかってる。だけどわたし佑と一緒で幸せなの。佑がいい、佑じゃなきゃ嫌」
何か言ったようだったが、聞き取れない。
「結婚するなら佑がいい。佑のお嫁さんになりたい。家族になって一緒に暮らしたい」
わたしは彼にしがみつく。
計算外だ。計算通りだ。言っただろう、利用するって。利用していいって。納得ずくだ。それ以上だ。望みは一つだけだ。同じだ。奏子の望みを叶えたい。
カーテンを閉め切って明かりを落とすと、何も見えなくなる。
「奏子」
わたしを呼ぶ、優しい声。
わたしに触れる、優しい手。
「たすく」
佑は歳を取らない。一方で、生身のわたしは歳を取る。今は同い歳だけれども、時間の経過と共に差が広がってしまう。今でさえお世辞にも綺麗とは言えないわたし、加齢で更に容色が衰えてしまっても、佑は変わらず好きと言ってくれるだろうか?
そもそも佑は、いつまでわたしの傍に居てくれるのか? わからないけれども行くべきところみたいなのがあって、たぶん本来はそこに行かなくてはいけなくて、どういう理由でここに留まっているのか知らないけれども、でも、きっと、ずっとという訳には。
佑にはもう戸籍が無いから結婚出来ない。身体が無いから、触れられない。
……でも今、佑はわたしに、触れてくれている。
「たすく」
男の人に触れられるのって、初めてだ。人肌って温かいんだな。すべらかで、貼りつくみたいで、合わせた箇所から溶け合いそう。自分の身体が、自分のものじゃないみたい。自分の上げる声を、どこか遠くで聞いているような感じ。押し広げられ、穿たれ、消えない痕を付けられる。
涙が止まらない。嬉しいのか、悲しいのか、寂しいのか。
「たすく……っ」
佑はわたしを好きと言ってくれた。可愛いと、折に触れ言ってくれた。わたしの拙い手料理を喜んでくれた。うまく生きられないわたしに、たくさんのアドバイスをくれた。わたしは佑の御陰で息が出来るようになり、前を向けるようになった。
「たすく、たすく」
わたしはそんな佑に、何をしてあげられただろう?
「たすく、あいしてる。たすく――…」
『かなこ』




