無気力だけど、愛してる
どちらかというと、私は無気力な質なので。
「アヴリール・ウールーズ、もう君との婚約は、破棄する!」
婚約者である隣国の末王子殿下から、婚約式目前の夜会で衆人環視の中、このような発言をされた時も、
「はあ……」
としか、言葉を発せなかった。
まあ特に、言うべきこともなかったし、そろそろあちらの我慢の限界が来る頃かなぁとは思っていたので、これ以上の言葉はなかったのだが。
巷で流行りの恋する乙女の愛読書と銘打たれた物語ではお馴染みの台詞を興味深くも聞き流し、夜会用の長椅子で寛ぐ私に向かって、婚約者殿はぷるぷる震えながらも指を突き出す。
「ああもう、なんだその愛らしい気の抜けた返事は!油断も隙もないな、全く。いくら可愛らしく上目遣いをしようとも、君のような無気力さんが公爵夫人に相応しくないことに、変わりはないんだぞ!」
だぞ、と力強く言われましても。
実際、気は抜けているので婚約者殿の言に文句はないのだが、お気に入りの長椅子で寛いでいるところに突撃してきて目の前で仁王立ちしているのは貴方なのだから、上目遣いになってしまったのは致し方ないこと、わざとじゃない。
それに、公爵夫人に相応しくない、とはどういうことだろう?そんな予定は欠片もないのだけれど、もしかして、婚約者殿は何か勘違いをなさっている?
首を傾げる私に一瞬胸を抑えた婚約者殿はしかし、すぐさま姿勢を正して、また吠える。
「首を傾げる角度も可愛い!けれども、君よりも、公爵夫人には我が国に遊学に来るほどの才女で君の従姉妹である、このベルフィーヌ嬢こそが相応しい!」
よく知る人の名前が婚約者殿の口から飛び出してきたので周囲を窺えば、婚約者殿の右側後方からひょっこりと赤毛が飛び出し、こちらに向かって何やらしきりに手信号を送ってくる。
必死の形相で口の前に人差し指を立て、かと思えば、頭の上で大きくバッテンを作る彼女は、我が従姉妹である侯爵令嬢。
彼女は確か、お家の事情で隣国へと派遣されていたはずだが、いつのまにか戻ってきていたらしい。
久しぶりに再会した従姉妹姫へと手を振り、手信号を読み取ろうとしたところで、はたと気づく。
この構図からしてもしかして、二人は浅からぬ関係、だとか?
「アヴリール、何やら不穏なことを考えているようだけれども、それはない、絶対にない。断じて私とベルフィーヌ嬢には、なんの関係もないから!」
わくわくとした気持ちで婚約破棄殿と従姉妹姫を交互に見ていたら、ものすごい勢いで否定の言葉を浴びせられる。
なんだ、関係ないのですか。
ちょっとした劇的な展開を期待していたのに、出鼻を挫かれてしまう。現実はそう簡単に物語のようには行かないらしい。
少し残念なような、ほっとしたような気持ちを覚えながら、こんな風に従姉妹姫との関係を全否定するくせに、私が公爵夫人に相応しくないだとか、従姉妹姫こそが相応しいだとか、よく分からないことを声高に主張する婚約者殿の真意を探るべく、じっと見つめて考える。
私はウールーズ家の嫡子であり、唯一の後継者だ。
我が国ではそれぞれの家がその家のやり方で後継者を決められるため、老若男女問わず、家に定められさえすれば誰でも後継者になれる。
当家の場合は私が生まれた瞬間から、ウールーズ公爵の名を継ぐのは私であると定めらていて、いずれは公爵となる私が公爵夫人になることなどあり得ない。
だから、相応しくないだとかそんなことを、一生懸命主張などしなくてもいいのに。
そんなことは誰よりも知っているはずの婚約者に目を向ければ、首を傾げ続ける私を瞳孔を開く勢いでじっと見つめているし、その背後では従姉妹姫が先程とはまた違う奇妙な動きをしている。
何やらぐるぐると考えて、またとんでもないことをしでかそうとしている婚約者殿と、身振り手振りが独特すぎて何を伝えたいのかよく分からないし、美人なのに面白い顔になってしまっている従姉妹姫を見ていると、なんだかもういろいろ考えているのが馬鹿らしくて、可笑しくなってくる。
堪えきれなくて、つい笑みを溢せば、私たちを取り囲む人々から、悲鳴が上がる。
やってしまった。
普段は気をつけているのだけれど、久しぶりに婚約者殿の顔を見て気が緩んでしまったのか、破壊力があると称される笑顔で皆を怖がらせてしまった。
慣れたことなのでいちいち反応はしないが、被害状況を確認し、部屋の隅に控える我が家の護衛に目線で救護を指示する。
私が公の場に出るのが久しぶりだったからか、いつもより床に伏してしまった令嬢が多い気がする。
大変申し訳なく思いながら溢れた笑みを浚うように顔を引き締めたところで、諸悪の根源である婚約者殿が長椅子の前で膝をついた。
「アヴィ、ダメだよ。そんなに愛らしい笑顔を振り撒いては、ここが野戦病院みたいになってしまうだろう?」
子供を宥めるような言いように、野戦病院とは言い過ぎではないかと、婚約者殿の言葉にムッとする。
「ああもうほらぁ、言っている側からそんな可愛い顔をして。ダメだよ、アヴィ。ほら、向こうから甘いものを持って来させるから、機嫌直して」
婚約者殿が言い終わらぬ内に、仕事の早い彼の側近が私好みの甘味を綺麗に盛り付けた皿をそっと差し出すのを、婚約者殿の言葉につられて素直に受け取ろうとして、手を止める。
今まさに。
婚約を破棄されようとしているというのに、果たして飲食などしても良いのだろうか。
乙女の愛読書ではそんな場面見たことはないけれど。
ちらりと横目で婚約者殿を見ると、自分の言ったことなど忘れてしまったかのように頬を染めて跪き、こちらを見上げるその青い瞳は、熱に浮かされているようで。
婚約、破棄するのですよね?
あの婚約破棄宣言はなんだったのかと思うほどの甘い視線に、このあとの展開がもうだんだん読めなくなってきて、このまま流されてしまおうかと思ったところで、聞き覚えのある声に邪魔される。
「エレール殿下、久しぶりにお目にかかったかと思えば、貴方はまた一体何をなさっているので?」
耳馴染みのありすぎる声と共に人波が割れて、見知った顔が姿を現す。
「お久しぶりですね、ジャロウ殿下」
背後からの声に答えて優雅に立ち上がり、よそゆきの笑顔で我が婚約者殿が挨拶をしたのは、我が国の末王子であるジャロウ殿下。
自国の王子の登場に色めき立つ周囲に、これまた面倒な事になりそうだと、ため息が落ちる。
「アヴィ、気持ちは分かるけどね、人前でため息なんて吐いてはいけないよ。物憂げな君を愛でていいのは僕だけなのだから」
「エヴにため息をつかせているのは、貴方でしょう?エレール殿下」
面倒な事になったと思った側から、これだ。
この二人は、末っ子という共通の境遇ゆえかなんなのか、顔を合わせればいつもよく分からないことで小競り合いを繰り広げ、それに私は大抵巻き込まれてしまうのだ。
「魔王の先祖返りであるエヴが無気力なのは太平の証でしょうに、それを槍玉に上げてこのような騒ぎを、しかもエヴの誕生を祝う席で起こすとは、一体どういう了見なのか教えて頂きたいものですね、エレール殿下?」
なんでもないことのように幼馴染が発した、魔王の先祖返り、という言葉に婚約者殿は気色ばみ、周囲のものたちはにわかに騒つく。
それはそうだろう。
世にさまざまな先祖返りがあれど、私の場合は魔王である。
たとえ魔王がこの国を作った創世の主といえど、当初は世界を滅亡させようした者の先祖返りともなれば、皆が恐れるのも無理はない。
この地に顕現した魔王がただ一人の伴侶と出会って恋をして、お互い愛し愛され結ばれたからこそ今も平和な世界が続いているが、もしも魔王が愛する者と出会うことがなければ、あっさり世界は終わっていただろう。
この身に宿る膨大な魔力を思えば、それは容易いことのように思う。
私の中で眠る魔王の本気が目覚めれば。
この世界など一瞬で消し飛ぶだろう。
だから私が無気力であるということは、魔王の本気が大人しくしているということで。
それは私の美徳であり、世界の安寧の証。
皆が無気力な私に安堵し、許容する。
ああ今日も先祖返りの公爵令嬢は無気力で、世界は平和だな、と。
「アヴィの無気力を槍玉になど上げてはいない。ただどこかの誰かがどうやらアヴィによからぬ思いを抱いているようだから、こうして公の場で公爵夫人には相応しくないと、その者に分からせる為に言ったまでのこと。こちらとしては、婚約者のいる令嬢を馴れ馴れしくエヴなどと愛称で呼ぶそちらの了見こそお聞かせ願いたいものですね」
「エヴと私は幼馴染ですからね、後から来た方に馴れ馴れしいなどと言われる筋合いはございません」
「幼馴染であればこそ、婚約者ができた暁にはそっと遠くで見守ることこそが美しい有り様では?」
私が物思いに耽っている間も舌戦は繰り広げられていたようで、口の立つ幼馴染に我が婚約者殿も負けてはいなかった。
系統は違うが金髪碧眼の王子二人の熱い戦いに、間に挟まれていなければもっと楽しめるのに、と少し残念な気持ちになる。
「そっと遠くから見守った結果がこの有様だ。エヴ、君の無気力を揶揄する男などやめて、こちらにおいで」
「やはり噂通り、アヴィを公爵夫人にと狙っているのだな。だが残念だったな、アヴィはウールーズ公爵となって婿を取るのだから、そちらの公爵家に嫁ぐことはありえない!」
「私が継ぐ予定の公爵は王族に与えられる名ばかりのものですので、私が他家へとを入ることは可能です。エヴ、婿が必要だというのなら、私でいいじゃないか」
やいのやいのと二人で言い合っていたのに急にこちらに話を振られた上に、我が婚約者殿と相対していた幼馴染が急にこちらに向き直ったかと思うと右手をさっと掬われる。
いつになく真剣な幼馴染の目が私の瞳を覗き込むけれど、私がこの目に映したいと思う人はただ一人。
「私は、エレール様がいいの」
だって初めて会った時に、この人だと分かったのだ。
私が、この命尽きる最後の一瞬まで側にいたいのは、エレール様だと。
「エレール様が、魔王の伴侶の魂を宿しているだとか、そのせいで隣国と政略的に結ばれたとかそんなこと、関係ない。エレール様じゃないと、私が嫌なの」
そう、全ては私の意思。
私の中に在る魔王の何かがエレール様の中の伴侶の魂を求めることと、私がエレール様と共にありたいと思うことは、同義ではない。
魔王の先祖返りだがらといって、その心までは同じではないのだ。
私の方がエレール様を先に見つけて、先に気づいたのだから。
この気持ちは、私のものだ。
「わからないな。どうしてそこまで彼がいいというんだい?理解に苦しむよ」
「私がエレール様をいいと思うことに、理由などいる?」
「ああ、アヴィ。やはり、結婚までは公の場以外では会わずにお互い自国にて己を見つめ直すなどという取り決めをしたあの馬鹿げた婚約は破棄して、今すぐ結婚しよう!」
感極まったエレール様が私に抱きつこうするけれど、寸でのところで私の側仕えの者たちに止められる。
「宴もたけなわではございますが、そろそろアヴリール様の活動限界でこざいますので、本日はここまでとさせて頂きます」
私の側仕えたちは精鋭揃いなので、私から本気が漏れだしたのを察知して、一糸乱れぬ最上礼を披露してから私を乗せた長椅子ごと撤収していこうとする。
幼馴染の言葉尻に噛みついて、危うく本気を出しそうになった自覚はあるので、大人しく長椅子に身を預ける。
いつもより声を張り、たくさん喋ったからか、持ち上げられた揺れ心地に眠気が誘われる。
「もう本当、そういうとこ!いつもいつも大事なところで活動限界が来るんだから!でもそんなところも愛しくて、やるせない!」
「婚約を、破棄する件につきましては、また明日のお昼間にでも、陛下も交えてお話しましょうねぇ」
なんとか目を開けて、運ばれて行く長椅子から少し身を乗り出して手を振ると、危ないよ!と焦った様子で駆けてくるエレール様。
私は、魔王の先祖返りで。
伴侶の魂の欠片を持つエレール様に、本能が惹かれていくのも悔しいけれど事実で。
けれど、こうして私のこととなるといつもどうしようもなくなるエレール様が魔王の伴侶だなんてことはなく、そんな彼を選んだ私も魔王ではない。
私が私である限り、先祖返りだろうがなんだろうが魔王が世界を滅ぼすことはないし、長椅子から垂れる私の手を握りながら幸せそうにこちらを見つめるエレール様を、無気力ながらも本気で愛す。
誤字報告ありがとうございます。