第8話 英雄殺し
ランフォンス公爵が軽く一礼をして、玉座の間を後にする。その背中を見送って、カナリニは再び玉座のマグヌム帝へと向き直った。
マグヌム帝によると、今回の勅令を受けた当人たるカナリニには、まだ極秘に話しておかなければならないことがあると言う。
「さて。それではそろそろ、件の男にも話に加わってもらおう——ミデン」
「ん」
「? ……うわ!?」
マグヌム帝の呼び声に間髪入れずに短く応えた男の声は、カナリニのすぐ隣から聞こえてきた。カナリニは理解が追い付かないまま自身の隣を二度見して、驚きのあまり声を上げる。
気配すら感じさせず、いつの間にかカナリニの横に隣立っていたのは、一人の体格の良い若い男であった。
皇帝の御前であるというのに、正装どころかそこらにいる庶民の如き軽装。珍しい白銀色の髪は綺麗に後ろに撫でつけられており、軍人らしさがある。だが、その顔は耽美な色を醸し出すものの。銀灰色の鋭い双眸も相まって、どこか近寄り難い、刃の切っ先のような鋭さがあった。
その灰色の瞳が、脳に焼き付いて消えない月紋章を模った灰色の鎧と重なる。そこでカナリニは、どこか三日月のような顔をしたこの男こそが、鎧に隠されていた大将軍ミデンの素顔であるのだとようやく理解した。
「待たせたな、ミデン。そこにいるのが、ヒエラクシア・カルディオフィロヌス・ランフォンス・カナリニ——そなたとともに、エーディーン王国へと渡る者だ」
「……」
マグヌム帝の紹介を受け、ミデンは無感情な眼だけをカナリニに向ける。カナリニはその視線にひるむことなく、無駄のない動きでミデンに敬礼した。
「エーディーン王国までお供させていただく、帝国軍第二軍団兵——千人隊分隊長カナリニと申します」
「……ふ。ああ、まさか。またお前の世話になるとはな。じゃじゃ馬——いや、カナリニ」
片方の口角だけをつり上げ、妖しく笑う男に初めて名を呼ばれたカナリニは、なぜか胸がざわついた。
笑ってカナリニの肩を軽く叩いているミデンの姿にマグヌム帝は一瞬目を丸くしていたが、すぐにどこか悲痛な面持ちで目を伏せて、堪えきれないようにミデンの名を零す。
「……ミデン」
「情けねぇ面、人前で曝すな。さっさと話せ、マグヌム」
ミデンは呆れたように息を吐いて、マグヌム帝に向き直る。しかし、ミデンのマグヌム帝に対するあまりにもの無礼な口のきき方に、カナリニがすかさず口を挟んだ。
「!? ……だ、大将軍殿! いくらあなたでも、陛下になんて口を……!」
「いいんだよ、俺たちは。だろう? マグヌム」
「……ああ。私たちは昔からこうだからな。それでは本題に入ろう」
マグヌム帝は青い目に残った悲痛さを振り払うように頭を振ると、強い視線で二人を見下ろした。
「此度、エーディーン王国にそなたたち二人を潜入させるのは、謎の多いエーディーンを調査させるためではない。……我々の真の目的は、このアウレアより彼の国に逃亡したと思われる、ある人物を探し出すことだ」
大陸大戦における未知の国へ対抗するため、軍事戦略としての情報収集かと思っていたカナリニは、マグヌム帝の意外な発言に小さく首を傾げる。
「エーディーンに亡命された、ある人物……? 陛下自らお探ししたいと思われるのですから、高名なお方なのでしょうか」
「まあ、確かにある意味高名か。……あと、探すだけじゃねぇだろ。はっきり言え」
荒っぽく顎を振って話の続きを促すミデンに頷いて見せると、マグヌム帝は深く息を吐き出しながら意を決したように低い声を絞り出した。
「二年前、私が皇帝の座に即位した年。戴冠式の日にて先代ゼニウス帝の暗殺未遂を犯し、エーディーン王国へと逃亡したかつての帝国大将軍——〝太陽奴隷ティティム〟の討伐。これを勅令とし、そなたたち二人に命ずる」
「な……!?」
カナリニは狼狽えたように半歩後退る。
太陽奴隷ティティムによる、ゼニウス帝の暗殺未遂。そしてミデンと同じく二年もの間行方知れずで、隠居したのではないかという噂があった太陽奴隷ティティムは、すでにエーディーン王国へと逃亡していた……マグヌム帝の口から告げられた、初めて耳にする衝撃的な真実の数々に、カナリニは驚きを隠せずにはいられない。
混乱しているカナリニに、マグヌム帝はゆっくりと語り聞かせる。
「帝国大将軍による先代皇帝の暗殺未遂と、アウレアからの逃亡……大陸情勢を揺るがす力を持つ大将軍がかような事件を引き起こし、他国へ逃れたことが諸国に知られれば、大陸大戦の戦火は一斉に大将軍の双璧が崩れたアウレアに襲い掛かるだろう。ゆえに、二年もの間この事実を隠蔽してきたが……ついに綻びが生じ始めた。その証拠が先の三国連合軍のアウレア侵攻だ。いよいよ情報が漏れ始めたのだと考えていい」
「俺たに大将軍を脅威として最も恐れている三国連中が攻めてきたということは、そういうことだろうな。だが、満を持して俺が直々に釘を刺してきたからには、三国連中も警戒してしばらくは動けまい」
「ああ。……しかし、漏れた情報はすでに波紋の如く大陸中に駆け巡っているはずだ。太陽奴隷ティティムに唯一対抗できるミデンが帰ってきた今。いよいよ我々は、二年前の決着をつけなければならない。——我が国へと大陸で最も猛き牙が向かれる前に、太陽奴隷ティティムを我々アウレアが討ち取る」
カナリニはようやく話の全容が吞み込めてきて、マグヌム帝の語気の強い言葉に頷く。確かに大将軍の力は大陸情勢を大きく左右させるほどに強大。先日の防衛戦よりそれを身に染みて痛感していたカナリニであったが、一つだけ腑に落ちないことがあった。
「我々の真の目的が、アウレアの守護に繋がるということは重々承知致しました。しかし、陛下。ティティム大将軍を捕えるのではなく、その……殺してしまってもよろしいのでしょうか? ゼニウス太上皇陛下の暗殺未遂という大罪を犯した方ですが……大将軍はアウレアが有する大陸最強の武将の一人。そんな方を失ってしまったことを知られれば、それこそ軍事力が落ちたアウレアは余計に大陸諸国から目を付けられるのでは? 生かして捕えておくだけでも、抑止力となるはずです」
「それができりゃあ——二年前に俺が奴を地下牢にぶち込んで、二度と俺に逆らえんよう家畜以下の生き物に堕として躾けた」
カナリニの進言へと即座に応えたミデンの低い声は、微かに怒気をはらんでいた。その怒気に中てられて、カナリニは僅かに肌が粟立つのを感じながら思わず押し黙る。
マグヌム帝は二人を宥めるように、落ち着いた声でミデンの言葉に続けた。
「二年前、ティティムに弑逆されかけたゼニウス帝を守ったのはミデンだ。そのままミデンは、ゼニウス帝を守りながらティティムと壮絶な死闘を繰り広げ……ティティムによって重い傷を負わされてしまった。この二年、ミデンが戦場から離れていた理由の一つもその傷を癒すため。療養だけに集中するよう私がきつく命じていた。……太陽奴隷ティティムが相手となると、隙を見せればこちらが滅ぼされる。生かして捕えるのは至難の業となるだろう」
静かに語るマグヌム帝の人形のような顔が、窓から差し込む日の光に当てられたせいか、ますます白く見える。人智を超えた力で戦場を支配するミデンに傷を負わせ、マグヌム帝にここまで言わしめるティティムという人物は、いったいどれほど恐ろしい人なのだろうか。
「なるほど……それでは、ティティム大将軍を討ち取ったとして。その死は、大陸大戦のほとぼりが冷めるまで隠蔽するしかないのでしょうか。大将軍の一人を失ったアウレアを、大陸諸国が黙って見ているとも思えません」
「……」
カナリニは密かに大将軍ティティムの人物像を想像しながら、マグヌム帝に尋ねる。しかし、カナリニのその問いにマグヌム帝は言葉を詰まらせた。
「奴の死は、上手く大陸諸国への牽制に利用すればいい。例えば、奴が先代皇帝を暗殺しかけたって事件を大々的に報じ——俺が、奴の無惨な死体やら首を吊るす。そうすれば、大陸一の大将軍だろうが生物兵器だろうが、アウレアに馬鹿を仕掛ける輩は全員俺にぶち殺されるっていう脅しがはっきりわかるだろう」
言葉を詰まらせたマグヌム帝の代わりに応えたのはミデン。マグヌム帝は淡々とカナリニの問いに答えて見せたミデンに何か言いたげな様子で口を開こうとしたが、それはすぐにミデンによって遮られた。
「つまり、端的にまとめると。内密にエーディーン王国に渡ってティティムを探し出し、俺が殺す。そして、その死体か首をアウレアに持ち帰る——それが俺たち二人の任だ。奴を殺すのは当然俺がやる。お前は情報収集を手伝ってくれ。いいか? カナリニ」
「え、は、はい。承知しました」
「ん。じゃあもう話すことはねぇな、マグヌム。カナリニ、お前今すぐ帰って準備しろ。明朝には発つ。詳細は後で遣いを出して知らせる」
「は、え? ……明朝発つ、というと……まさか……」
「あ? エーディーンに決まってるだろ。さっさと帰れ」
「い、いやいやいや! いくら何でも急すぎます! 本気ですか大将軍!?」
「俺はいつでも大真面目に本気だ。だから、そんな嬉しそうな声出すんじゃねぇよ」
「断じて出していません! そのようなことは、陛下にもご相談を!」
「軍人にとって報告、連絡、相談は必須事項らしいな。もうした」
ミデンは突然雑に話をまとめると、抵抗するカナリニの首根っこを掴み、ずるずると玉座の間の出入口となっている扉まで引き摺ってゆく。
そして、扉の外にカナリニを押し込むのと同時に。マグヌム帝が玉座から立ち上がって、必死に扉から顔を半分でも出そうともがいているカナリニへと大きく声を張った。
「カナリニ——ミデンのことを、よろしく頼む」
途端に、ミデンによって扉が音を立てて閉められる。しかし、扉の向こうからマグヌム帝よりも何倍も大きく高い声が、玉座の間のしんとした空気を揺らした。
「お守りします! ——この命に代えても」