第7話 黄金の花の王
「ランフォンス公アラウダ、そしてカナリニ——よくぞ来てくれた。待っていたぞ」
広い玉座の間に、凛とした低音の声が静かに響いた。ランフォンス公爵とカナリニは共にその声の主の前で跪き、恭しく首を垂れる。
「お久しゅうございます。マグヌム皇帝陛下」
「ああ、こうして会うのは本当に久しいな。さあ、顔をよくみせてくれ。我が友たちよ」
純粋な喜色の滲んだ声に促されて、カナリニは玉座を見上げる。
アウレアの国章、黄金の花の紋章を背に玉座に坐すのは、現在のアウレア帝国を治める若き皇帝——マグヌム・へリアントス・ドミヌス。丁寧に整えられた口髭からは王の威厳と気品が溢れているが、その色白の顔は人形の如く整っており、可憐な美しさと儚さを感じる——まるで、花のような美丈夫であった。
マグヌム帝は顔を上げて立ち上がったランフォンス公爵とカナリニの二人をゆっくりと見比べると、細い息を零して顔を綻ばせる。
「二人とも、見たところ息災なようで何よりだ」
「お気遣いいただき痛み入ります。陛下もお変わりないようで」
「ああ。だがアラウダ、そなたは些か腹が出てきたようだな?」
「おや! 流石は陛下……いやあ、年は取りたくないものです。少しでも油断しますとほら、すぐにこうぽっこりでございますよ!」
「……ランフォンス公」
ぽん、と片手で盛大に腹を叩いて見せるランフォンス公を、カナリニは恐ろしく低い声で制した。ランフォンス公は、今にも牙を剥き出す獣のような形相になりそうな娘に気圧されて、苦笑を零す。
そんな親子二人の様子に、マグヌム帝は涼やかな淡い青色の眼を細めて、柔らかな笑みを浮かべた。
「ふ、懐かしいな……城内を駆け回る幼き日のカナリニと、顔を青くして慌てふためくアラウダ。そなたたち二人はよくこの城に遊びに来てくれた。昨日のことのように思い出せる……」
マグヌム帝は一度目を伏せて、脳裏に過った過去の光景に想いを馳せているようだった。しかし、再びカナリニに向けられた淡い青の双眸はどこか暗い影を落としていて、カナリニの全身に僅かに緊張が走る。
「あのお転婆娘が、ずいぶんと美しく成長したものだ。……カナリニ。そなた、今年でいくつになる?」
「は。……十四になります」
「十四か。……若いな」
マグヌム帝はカナリニの言葉を独り言のように繰り返し、深い息を鼻から漏らす。しばらくぼんやりと視線を遠くに寄こして口を閉ざしていたマグヌム帝だが、緩やかに一つまばたきをして、真っ直ぐにカナリニを見据えた。
「すまぬな、カナリニ——さっそくだが、そなたに任せたい役目について話をしたい。よいか?」
「は。……そのために、陛下の御前へと参上致しました次第でございます。何なりとお申し付けくださいませ」
「ああ。そなたに任せたい役目とは……北の大国エーディーン王国へと秘密裏に潜入する、とある要人の警護だ。心から信を置ける、私の友たるそなたにどうしても任せたい」
エーディーン王国。大陸北部に位置し、大陸屈指の歴史を誇る大国とされる。〝太陽王の国〟とも称される彼の国は、ここ百年近くアウレアとの交流が一切ない。
十数年前より勃発している大陸大戦においてのエーディーン王国は、大陸諸国の動向を静観するばかりで滅多に剣を交えることもなく、軍事力の規模も未知数な謎の多い国であった。
(なるほど……陛下は情報戦において、先手を取られるおつもりか)
無知は、破滅へと繋がる。先の防衛戦で、エーディーン王国も大陸大戦での脅威の一つだと仄めかしていたミデンの言葉が頭をよぎって、カナリニは眼を細めた。
「そして、警護してもらいたいとある要人とは……カナリニ。そなたが先日、北の防衛戦にて行動を共にしたという男。ミデンのことだ」
「え……!?」
警護対象として名前に上がったのが、はからずとも今まさに自身の脳内に浮かんでいた人物であったため、カナリニは仰天したように声を上げた。
「ミデンは周知の通り屈強な男なのでな。警護役はほとんど飾りのようなものになるやもしれぬが、彼はアウレアの宝だ。用心に越したことはない。くわえて、そなたにはミデンの警護と共に彼の補佐役も任せたい。……カナリニよ、この任を受けてくれるか?」
「……勿論でございます。喜んで務めさせていただきます」
またあの英雄のそばに立つことができるとは、何という因果か。カナリニは予想だにしていなかった事態への驚きと、自分でも得体の知れない高揚感で高鳴る胸を抑えながら一切の迷いもなくマグヌム帝へと跪き、役目を受ける意思を示した。
「……そなたはどうだ。ランフォンス公アラウダよ」
マグヌム帝はカナリニに頷いて見せると、次はランフォンス公爵へと視線を移す。ランフォンス公爵は先ほどまでのにこやかな雰囲気から打って変わり、恐ろしく静かな面持ちでマグヌム帝を見上げていた。
「カナリニと共にそなたを呼んだのはこのためだ。此度、カナリニに任せる役目には並々ならぬ重責が伴い、長き旅路となるであろう。未知の国への潜入だ。無論、命を落とす可能性がある。……ランフォンス公アラウダよ。皇帝としてではなく、そなたの一人の友として……今一度問う——此度の役目、そなたの娘に任せてよいか?」
「……」
しばし重い沈黙が続いた。カナリニは微かに冷や汗を滲ませて、一向にマグヌム帝の問いに答えようともしない父を密かに見上げる。
普段は馬鹿みたいに温厚な人物だが、父はカナリニのこととなると、昔から人が変わる。カナリニが帝国軍に入隊すると聞かなかった時も、今までに見たこともないような冷たい顔で徹底的に一蹴され続けた。カナリニが「認めてくれないなら、名を捨てる!」と泣いて父の巨体を窓から投げ飛ばすまで、話すら聴いてくれないほどに。
まさか、皇帝陛下相手に暴走しまいか……と、カナリニは気が気でならない様子で、いつもの締まりのない阿保面を消し去った父の横顔を祈るように見つめていた。
「……ふふ。いや、あなたもまだまだですな、マグヌム皇帝陛下。これは一人の友としての助言ですが——王たる者。使命を与える権限の一端でも、己以外に委ねてはなりませぬ。あなたはただ、我々親子に〝やれ〟と命じてくださればよいのですよ」
ランフォンス公爵は諭すようにそう語ると、カナリニに並んでマグヌム帝の前に恭しく跪いた。
「そのお役目。我が子カナリニであれば、必ずや立派に果たして参ります。なにせ、帝国軍に入るために名を捨てると私を脅して、窓の外にまで投げ飛ばせるほど心身共に頑健な自慢の娘ですから。……それに、〝可愛い子には旅をさせよ〟と。異国の格言にありますしね」
「……お父さん」
「しっかりお務めを果たしなさい。……必ず生きて帰ってくるんだよ」
立場も忘れて父を呼んでしまった娘に、ランフォンス公爵はいつもの朗らかな笑みを浮かべて片目を瞑って見せる。
マグヌム帝はランフォンス公爵の言葉を受け、どこか困ったように眉を下げながら小さく苦笑を零した。
「そうか……そうだな。あいわかった。そなたたちにはいつも教えられてばかりだ。感謝する」