第6話 千の城
対三国連合軍防衛戦より幾日か経ち。カナリニは帝都の南に位置する皇帝の居城、キーリア城を訪れていた。キーリア城は現皇帝が王太子の時代に築かさせた新しい城であったが、カナリニにとっては幼い頃から通い慣れた馴染みの場所である。
カナリニは城門から少し離れた橋の上で川のせせらぎを耳にしながら、とある書状を何度も読み返していた。
「皇帝陛下から、私個人への勅令……」
カナリニが手にしているのは皇帝直筆の勅書。そこにはカナリニ個人に対して、『内密にとある任務を任せたい』というような趣旨が記されていた。
「いよっし。よしよしよしよしよし!」
カナリニは勅書を胸に抱くと空気を目一杯に吸い込んで、誇らしげに鼻を鳴らす。
ついに、一人の軍人として皇帝陛下に見えることができるうえに、勅令までいただけた。
帝国軍に入隊して一年。大陸全土を巻き込んだ大陸大戦に乗じ、この一年は戦果を挙げるため、ひたすら戦に明け暮れる日々だった。
十四という驚くべき若さで部隊を持ち、千人隊の分隊長にまでのし上がって〝百年に一人の逸材〟と帝国軍内でも名が知れるほど輝かしい軍人の道を邁進していたカナリニだが、それでもカナリニ自身はまだまだ物足りなく感じていた。
(私は、英雄にならないといけない。女だろうが、年がいくつだろうが、関係ない——アマルティアみたいな、史も塗り替える英雄に。一刻も早く)
帝国の礎を築いた三雄神の一人、アマルティアは〝少女〟の年頃にして三雄神で最も強大な力を有し、無数の蛮族を打ち倒して、幾度となくアウレアを守った救国の女傑である。
しかし英雄と考えると、子どもの頃からの憧れであるアマルティアと共に今のカナリニの脳裏には、先の防衛戦にて見えた現代の英雄——ミデンという男の背中が鮮烈に浮かび上がった。
大陸最悪の生物兵器、怪物、奴隷王。まるで人ならざる厄災の如く人々に恐怖され、狂乱まで植え付けていたあのミデンという英雄は、カナリニが今まで目指してきたアマルティアのような〝国を守る英雄〟とは程遠い存在に思えてならなかった。
何より、神器グレイプニルを操って戦場を思いのままに支配するミデンの背中を見ていると——絶対に彼のようにはなれないと。心のどこかで己の矮小さに絶望してしまった自分がいることに気が付いて、心底腹が立った。
アマルティアのような英雄となるには、現代の英雄であるミデンを超える気概でいかなければ。カナリニは弱気になっていた己を奮い立たせるように頭を振って、再び手にある勅書に目を向けた。
今回の皇帝陛下からの勅令を見事遂行できれば、もっとアマルティアに近づけるかもしれない。そうすれば、兄と父の苦労も——
「カーナーリーニー! お待たせー!」
「……はあ」
ふと、自身を呼ぶ朗らかな大声が無遠慮に響き渡り、カナリニは重々しく溜め息を吐いて軽く頭を抱える。カナリニは手にしていた勅書を大事に懐にしまうと、こちらに駆け寄ってくる声の持ち主を苦々しく振り返った。
「お……じゃなくて、ランフォンス公。いつも言っておりますが、声! 大きすぎ……」
「はっはっは! すまんすまん。だが一年ぶりに愛娘に会えた父の気持ちを察してみてくれよ。はあー、会いたかった! 抱きしめちゃダメ!?」
「ダメ」
カナリニの前に現れたのは、ダークブロンドの髪と口髭にカナリニとよく似た快活な茶色の瞳が特徴的な中年の男。豪奢過ぎないが、貴族然とした品の良い正装を着こなす男は上背があって体格もよく、一見威圧的にも見える。しかし、その朗らかな声色と人好きしそうな笑みから、近寄りがたさは全く感じられない。
カナリニの短い拒絶の言葉にがっくりと項垂れるこの男の名は、ヒエラクス・カルディオフィロヌス・ランフォンス・アラウダ。アウレア帝国十氏族の一つ、カルディオフィロヌス氏族筆頭貴族ランフォンス公爵家当主であり、カナリニの実父であった。
「なあ、カナリニ。ここは帝国軍本部ではないんだ。せめて今くらいはそんな他人行儀な態度はよしてくれよ。……お父さんさみしい」
「これから向かうのは皇帝陛下の御前ですよ? 私は皇帝陛下の勅令を受ける者として、軍人たる姿勢で参らないと。……そもそも、どうしておと……ランフォンス公まで、皇帝陛下の謁見に……私一人でいいのに」
カナリニの不満げな呟きにも構わず、ランフォンス公爵は相も変わらず穏やかな笑みを溢しながら、愛娘の金色の頭に優しく手を置いた。
「私も驚いたよ。まさか我ら親子そろっての謁見が、お前の勅令に対する第一条件だとはな。それにしてもいったい何年ぶりだ? お前と二人で陛下にお会いするのは!」
「……これも皇帝陛下の命です。浮かれないでください。では、そろそろ参りましょう」
「ああ! あ、そういえば陛下へのお土産に、最近城下で話題の焼き菓子を買ってきたんだ。食べるか? カナリニ。いっぱいあるぞ!」
「いらない」
まるで、久々の親子水入らずの観光に繰り出す父親のような顔をしたランフォンス公爵に耐えられず。カナリニは呆れたようにまた大きく息を吐いて、父の前を早足で歩く。
こうしてランフォンス公爵親子は、キーリア城の城門をくぐった。