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花咲くまでの物語  作者: 国城 花
第三章 変わる想い、変わらない想い
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92 雨①

2日空きました。

すみません。


朝目が覚めると、焼き立てのパンの香りが部屋の中に漂っている。


少し眠い目をこすって起き上がると、「おはよう」と母が優しく頭を撫でてくれる。

「よく眠れた?」という優しい声に頷いて、布団から出る。


カーテンの隙間から朝日が差し込む、広いとは言えない家。


家族4人で身を寄せ合うように眠る寝室から出れば、すぐに居間が見える。



台所には、父の背中。


とことこと歩いていけば、すぐに気付いて振り返ってくれる。

テーブルの上に手を伸ばすと、少し微笑みながら後ろから抱き上げてくれる。



「今日の朝ご飯は、ロールパンだよ」


食卓の上には、ふかふかと温かそうなパンが並んでいる。

それに手を伸ばせば、「まだだめだよ」と床に降ろされる。


少しふてくされると、ランドセルをテーブルの近くに置いた兄が宥めるように頭を撫でる。


「純は、ほんとにパンが好きだね」


それに、迷いなく頷く。


「父さんのパン、おいしい」

「そうね。母さんも好きよ」


4つの椅子に囲まれた、小さな食卓。


香ばしくて、あたたかいパンの香り。

窓から差し込む陽射しは柔らかく、小鳥たちが朝を告げるように鳴いている。


手を伸ばせば、抱きしめてくれる母。

大きくてあたたかい手のひらで、頭を撫でてくれる父。

「今日は何をして遊ぶ?」と微笑みかけてくれる兄。



どこにでもあるような、当たり前のような幸せ。


明日も、明後日も。

来年も、再来年も。


それがずっと続くのだと、信じて疑わなかった。




雨が降っている。


雫が体を打ち、着ている服が肌に張り付く。

髪から水滴が垂れ、頬を濡らしていく。

激しく打ち付ける雨は周りの音を消し、視界を邪魔する。


目の前には、赤い水溜まり。


さっきまで自分に微笑んでくれた人たちは、もういない。

指先が、冷たくなっていく。

耳に、誰かの声が聞えた気がした。


それが、最後だった。




6月も終わろうとしており、暦の上ではだんだん夏が近づいてきている。

しかし、最近はどんよりとした天気が多かった。


今日も太陽の陽射しはなく、代わりに黒い雲からいくつもの水滴が落ちてきている。



「また雨か」


翔平は、雨が叩く窓から暗い空を覗いた。

梅雨の時期なので仕方ないとはいえ、雨ばかりだと気分も落ち込みやすい。

はやくすっきりとした天気になってほしかった。



次の授業が行われる教室へと歩いていると、窓から見える渡り廊下に見慣れた姿が見えた。

深紅の制服に、灰色がかった薄茶色の髪が見える。


『あんなところで、何してるんだ?』


純は廊下に立ち尽くし、少しも動かない。

まるで電池が止まってしまったかのように、指先一つ動かなかった。


その様子が気になり、階段を下りて渡り廊下に向かった。



純は柱に手を当て、ただ立っているだけのようにも見える。

しかし、何故か全く動かなかった。


「こんなところで何してるんだ?」


翔平が後ろから純に話しかけると、純が驚いたように振り向いた。

その姿に、違和感があった。


「どうした。大丈夫か?」

「別に。ちょっと考え事してただけ」

「こんなところで立ったまま考え事をするな。雨が降ってるだろ。中に入れ」

「別に大丈夫。屋根あるし」

「それはそうだが、ここはほぼ外だろ」

「相変わらず心配性」

「お前の行動のせいだろ」

「そうかもね」


純はそう言いながら柱に寄りかかり、目を瞑る。

そのまま、動こうとはしなかった。



「そろそろ授業が…」


ふと人の気配がして振り返ると、翔平の背後に細目の男が立っていた。

体育祭の時にもいた、理事長付きの職員である。


細目の男は、純に視線を向ける。


「理事長がお呼びです」


純は、ゆっくりと目を開ける。


「…そう」


細目の男は純に近寄り、翔平と純の間に入る。


「翔平。わたしは今日帰るから」

「大丈夫か?」

「いつもの家の用事。じゃ、またね」


純はそう言って手を振ると、細目の男とその場を離れた。



翔平はその後ろ姿を見送りながら、さっきから感じている違和感の原因を探していた。


「…あいつ、俺が話しかけた時驚いてたよな」


純は、人の気配に敏感だ。

後ろから人が近付いてきているのに、気付かないはずがない。

つまり、話しかけられて驚くはずがないのだ。


「考え事をしていたからか…?」


考えすぎかもしれないと思い、雨の降る渡り廊下から教室へ向かった。




「あれ、純は?」

「今日も休み?最近、休むこと多いね」


梅雨らしく雨がしとしとと降るある日、つぼみの部屋の百合の席は空席である。

先日は早退したし、最近はそんなことが多かった。


「純は昔からこの時期はよく休むからな。家の事情らしい」

「家の事情って?」

「理事長の会社を手伝ったりしているらしいわ」

「なるほどー」

「純も大変だねぇ」


翔平と雫石の説明に、皐月と凪月は感心している。


「翔平も、家の仕事を手伝ってるんだよね」

「あぁ」

「2人ともすごいな」


晴も感心している。


「俺は後継者だからな。仕方ない」

「純は会社を継ぐわけじゃないのに、手伝ってるのかな」


凪月の疑問に、翔平は昔自分が純に同じことを聞いたのを思い出した。


「この時期は、ショーが重なっていて人手が足りていないらしい」

「なるほどー」



そんな他愛のない話をしながらも、この部屋に1人足りないというのは違和感があった。


そろそろ、つぼみになって3ヶ月である。

一体感も高まり、仲も深まった。


1人いないというのは、花びらが欠けた花のようで、寂しかった。




翔平は学校帰りに、純の家を訪ねていた。

純が休んでいる間に出た、課題を持ってきたのだ。


純は、数日授業を休んだところで成績が落ちることはない。

なのでわざわざ持って来る必要はなかったのだが、この前の純の様子が気になったのもあって、これを口実に様子を見に来たのだ。



「?」


翔平は純の家に入った瞬間に、違和感を感じた。


『いつもと、空気が違うな…』


純の家には昔から何度も来ているが、屋敷の中の雰囲気がいつもと違う気がした。

純の家は使用人と主人たちの距離が近く、アットホームであたたかい雰囲気なのだが、今日はどこか空気が張りつめていて、硬質的な感じがするのである。


自分を案内してくれているメイドはいつもと変わらないように見えるが、翔平の感じた違和感は拭えなかった。



「あの、何かあったんですか?」


「何もありません。どうぞ、お帰りください」


メイドの女性が答える前に、純の執事が現れる。


黒髪に整った面立ちの若い執事はいつもと変わらないように見えるが、まとっている空気がいつもと違う。

それはとても些細で、気のせいかもしれなかったが、翔平に疑惑を持たせるには十分だった。



「…純に、何かあったんですか?」


その言葉に、シロは自分の表情が険しくなるのが分かった。

平常心を保ったつもりが、この少年に見破られたらしい。

自分にどれだけ余裕がないのかが分かる。


「お嬢様は、体調を崩して寝ておられます。お帰りください」

「…本当ですか?純に、何かあったんじゃないですか?」


翔平は、言い知れぬ不安と焦燥に襲われた。

何かは分からないが、とても嫌な予感がして心が落ち着かない。



シロが口を閉ざしていると、翔平を案内していた小柄なメイドがシロに視線を向ける。


「シロ。今この時間がもったいないわ。話すか話さないか、早く決めて。私としては、人手は多い方がいいと思うわ」


メイドの言葉に一瞬葛藤するも、シロは一番大切なことを優先することにした。


「この状況であなたが簡単に引き下がるとは思いません。覚悟があるなら、ついて来てください」


そう言い終わらないうちに、シロはメイドとその場から走り出した。


翔平は、迷うことなく2人について行った。



2人が屋敷の外に出て車に乗り込んだので翔平も続いて乗り込むと、車内にいた人間はどれも見たことのある顔だった。

運転手やメイドなど、純の家に昔から仕えている使用人たちだった。


落ち着いた雰囲気のメイドが、目もとを険しくしている。


「シロ。(れい)。遅いわよ。…どうしてこの子を連れて来たの?」

「タイミングが悪かったのよ」

「簡単には帰りそうにないので、やむなくです」

「確かに、この子がいれば戦力になるでしょうけど…」


そう言って中年のメイドが、眉をしかめる。


「純様は、納得されないと思うわよ」

「承知の上です」


シロは、すでに覚悟を決めた顔で頷く。


「お嬢様の安全が、第一です」


シロの言葉に、他の使用人も頷く。

他に反論は上がらないまま、車は出発した。



『純に、何かあったのか…?』


使用人たちの会話と、車内の緊張した雰囲気が、翔平をさらに不安にさせた。

いつも明るく穏やかな使用人たちが、皆張りつめた空気をしている。


「一体、何が…?」

「ついて来た以上は、力になっていただきます」


連れて来るのは本意ではないが、あれ以上時間を無駄にするわけにはいかなかった。



シロの余裕のない姿を見て、翔平の感じていた嫌な予感が強まっていく。

それでも、その強い視線をそのまま返した。


「俺は、何をすればいいですか」


嫌な予感を鎮めるように、拳を握りしめた。



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